日本のモノづくりを再創造する
【第1回】90年代半ばにIT産業勃興を体感
東京都港区にて、個人事業として産声を上げた「港通信機製作所」。1956年12月17日に株式会社に改組し、「港通信機株式会社」として事業を開始した。1972年、社名を「ミナトエレクトロニクス株式会社」に、2015年に「ミナトホールディングス株式会社」に変更。電算機をつくる小さな町工場からスタートした会社だが、1973年にフラッシュメモリなどにマスターデータを書き込むための装置「デバイスプログラマ」を国内で初めて開発したほか、いち早くタッチセンサーを手がけるなど、高い技術力を誇ってきた。そして2012年に、当時、出資者であった若山健彦氏が社長に就任すると、M&Aや新規事業開発を基軸に売上高を...