慈眼
人を育てることに、正解はないと言われます。
修行道場に入門するとき、私は父から「褒められるようになったら帰ってこい」と送り出されました。褒められるのは見どころがあると認められたから、ではありません。禅の修行において褒められることは、成長する見込みがないことを意味します。
「獅子の子落とし」という故事があります。獅子はわが子を生まれてすぐに千尋の谷に落とす。這い上がってきて、さらに親のすねに噛みつくぐらい強い子だけを育てるというものです。修行道場も同じで、とにかく叱られて、叱られて、これでもかと叱られて、それでも這い上がってくる器量が試されるところなのです。
そうやって叱られて成長してきた...