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資本主義が今、見直しを迫られている。象徴的なのは、米国の経営者団体「ビジネス・ラウンド・テーブル(BRT)」が2019年に、「株主の利益を図る」という従来の立場から、株主だけでなく顧客や取引先、地域社会など、あらゆるステークホルダーの利益を重視する立場へと方向転換したことだろう。米国以外でも、世界経済フォーラム(WEF)のシュワブ会長などが「ステークホルダー資本主義」を主張し、世界的な潮流となっている。20年以上も前からステークホルダー型企業に着目してきた早稲田大学の広田真一教授に、その理由を伺った。

「第1回:株主主権からステークホルダー主権へ」
「第2回:資本主義の二つの顔」はこちら>
「第3回:従業員が重要である理由」はこちら>
「第4回:経営理念と取締役会の役割」はこちら>
「第5回:日本企業のめざすべき道」はこちら>

「モノの資本主義」から「人の資本主義」へ

――なぜ今、「ステークホルダー資本主義」が注目されているのでしょうか。

広田
一番の理由は、資本主義そのものが「物的資本主義」から「人的資本主義」へ変化していることだと思います。

チャールズ・チャップリンの映画『モダン・タイムス』(1936年)をご存じだと思いますが、あの映画に描かれたように、20世紀初頭の企業の競争力の源泉は、大規模なオートメーションの工場であり機械でした。労働者は、あたかも機械の一部のように、企業に単純労働を提供して賃金を受け取る存在でしかなかった。つまり、企業経営にとって重要なのは工場や機械などの物的資本であって、そうした資本を整えるためには膨大な資金が必要だったわけです。だからこそ、企業は資金を提供してくれる株主を重視して、利益を還元してきました。それが古典的な資本主義の姿です。

ところが、時代が下って豊かな社会に近づき、モノへの欲求がそれなりに満たされるようになると、単に設備などの資本を充実させればビジネスがうまくいく時代ではなくなりました。人々が企業に対して、より高品質なモノや新しい商品・サービスを求めるようになったためです。その実現のためには、人間による創意工夫やアイデア、研究開発、イノベーションが欠かせません。従業員の知識や能力、やる気といった「人的資本」が競争力の源泉になったと言えます。そして従業員の側も、企業に対して給料だけでなく、仕事のやりがいや自己実現、働きやすさ、雇用の保障など、金銭プラスアルファの価値を求めるようになりました。

かつては、原材料などを提供して代金を受け取るだけだった取引先も、企業の商品・サービスの開発や生産において重要な役割を果たすようになり、代金だけでなく、やはりプラスアルファの価値を求めるようになっています。つまり、今や企業は、株主に加えて、顧客・従業員・取引先などの株主以外のステークホルダーに対しても、価値を生み出す存在となっているのです。

このように、経済の成長や成熟化に伴い人々の意識や生活が変化したことが、現在のステークホルダー重視の潮流の背景にあると言えます。

画像: 「モノの資本主義」から「人の資本主義」へ

ESG投資による株主の意識の変化も

広田
また近年、ステークホルダー型経営が求められるようになった背景には、株主自体の意向もあります。急拡大しているESG投資がその一例です。

現在、気候変動などの地球環境問題に加えて、特に米国や英国で目立つ所得格差や富の偏在といった社会問題が存在します。環境問題や社会問題は、地球や人類の存続、世界の資本主義・経済活動の持続可能性を脅かすものであり、それらに配慮しなければ、企業活動そのものが行き詰まるようになり、その結果、株主も長期的な株式のリターンを得られなくなります。

さらには、投資家も人間ですから、自らの資金の運用において単に金銭的利益だけを追い求めているわけではありません。豊かな社会の中で、自分自身の生存や健康、雇用、子孫の繁栄に関心を持つなかで、多少リターンは少なかったとしても、社会に貢献する企業の株式を保有することに満足感を得る人が増えつつある。その傾向は特にミレニアル世代(1980〜1996年生まれ)で顕著に見られます。そうしたことも、ステークホルダー重視の経営が注目されている理由の一つと言えるでしょう。

ステークホルダー重視はどう受け止められたか

――ステークホルダー資本主義というのは、そもそも日本企業にはなじみやすい考え方のように思うのですが。

広田
日本は戦後、資本が過少だったため、製造業をはじめとする多くの企業が資本の制約の下でさまざまに工夫を凝らし、独自の生産システムを築いてきました。一橋大学名誉教授(現・国際大学学長)の伊丹敬之先生がかつて「人本主義」と呼んだように、日本の企業は以前から人間の知恵を生かしつつ競争力を高めてきたと言えます。

ところが1990年代後半から、日本企業の株主に外国人投資家が増えてきて、利益率をもっと高め、得られた利益を株主に還元するよう、要望が強まりました。政府や経済界、マスコミにおいても、日本経済の低迷は株主主権の不徹底にあるという声が強くなっていきました。2000年代に入ってからは、後でお話しするように、米国においては株主主権からの揺り戻しの動きがあったものの、日本においては、2008年のリーマン・ショック後の不況期にも「企業価値向上をめざせ」といった声が続きました。2010年代に入ると、第二次安倍政権のアベノミクスの「3本の矢」の一つである成長戦略において、株主主権の視点が色濃いコーポレートガバナンス改革が打ち出されました。企業もこれに呼応して、株主への還元を強く意識するようになり、配当を増やしてきたのです。

画像: ステークホルダー重視はどう受け止められたか

一方、米国など海外では2000年代初頭から、先述のように古典的な物的資本主義から人的資本主義へのシフトが鮮明となり、株主主義からステークホルダー主義へ、日本とは逆方向の動きが見られました。一つのきっかけは、2001年のエンロン事件※です。この事件で、株主の利益や株価の上昇のみに偏重する経営に疑問が持たれるようになりました。以後、アニュアルレポート(年次報告書)などでCSR(企業の社会的責任)に関する記載や、株主以外のステークホルダーへの言及が目立つようになりました。企業における人財活用や社会貢献が重視されるようになったのもこの頃からです。

また、2008年の世界金融危機をきっかけにして、アメリカ国内の所得格差や富の偏在が問題とされるようになり(We are the 99% 運動など)、豊かな人をさらに富ませる株主第一主義への反省が強まっていきました。その一方で、現実の社会においては、GAFAに代表される人的資本こそが競争力の源泉となる企業のシェアが高まっていきました。

ですから、2019年のビジネス・ラウンド・テーブル(BRT)の宣言に対して、米国のマスメディアや知識人、投資家から「株主重視をやめるのか」と批判の声が上がったことに、米国の企業経営者は驚いたのだと言います。ここ20年くらい、すでに自分たちはステークホルダー重視でやってきているのに、世間はそのように見てはいなかったのか、と。

このBRTの宣言に対し、日本の受け止め方は複雑でした。ステークホルダー主義が当たり前の感覚として浸透している実業界はともかく、1990年代後半以降、政府や金融業界は株主主義の方向へと動いてきていたため、大きな衝撃を受けたようなのです。

実は学者の世界も同様で、私が2012年に『株主主権を超えて――ステークホルダー型企業の理論と実証』(東洋経済新報社)を上梓した折には、他の研究者から、「広田さんはえらく思い切った異説を唱えるね」と言われたほどです(笑)。

資本主義の姿は、そのときどきの経済や社会、政治の状況によって変化しますが、今はまさに世界全体がステークホルダー型へ向かっていると言えるでしょう。(第2回へつづく)

※エンロン事件
世界最大手のエネルギー販売会社エンロンの不正発覚事件のこと。簿外債務の隠蔽などが明るみに出て、株価が暴落、160億ドルの巨額負債で倒産した。その後、さまざまな企業の不正会計が次々に明らかになり、米国全体のコーポレートガバナンスが問われるようになった。

(取材・文=田井中麻都佳/写真・秋山由樹)

「第2回:資本主義の二つの顔」はこちら>

画像: 「ステークホルダー資本主義」をどう見るか
【第1回】株主主権からステークホルダー主権へ

広田真一(ひろた・しんいち)
早稲田大学商学学術院教授、Global Management Program(GMP)プログラムディレクター。1991年同志社大学大学院経済学研究科博士課程修了。博士(経済学)。摂南大学経営情報学部専任講師を経て、1998年早稲田大学商学部専任講師、2000年同助教授、2008年より同教授。2001年~2003年イェール大学経営大学院Visiting Scholar。主な著書に『株主主権を超えて――ステークホルダー型企業の理論と実証』(東洋経済新報社、2012年)。

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