エクスペリエンスデザインの先駆者として
渡辺薫(以下、渡辺)
顧客に成功を届ける「カスタマーサクセス」がさまざまな業種の企業から注目されています。ただ、数年前まで、カスタマーサクセスとはアフターサービスであるとか、解約防止のための施策だという誤解がありました。ようやく最近になって、カスタマーサクセスは経営方針そのものであり、またカスタマーへ届ける成功とは「アウトカム+エクスペリエンス」であるという共通認識ができてきました。
特にエクスペリエンスデザインについては、日立は他社に先駆けて取り組んできたという自負があります。今日は、「ヘッド・オブ・デザイン」としてエクスペリエンスデザインを牽引してきた丸山さんにお話を聞きたいと思います。まず、ヘッド・オブ・デザインという肩書きについて伺います。こうしたポジションが置かれていること自体に、日立のデザインへの考え方が表れている気がしますが、これは、日立の中では丸山さんが初めて使っているものだそうですね。
丸山幸伸(以下、丸山)
主管デザイン長という日本語の呼称もあるのですが、これには社内呼称としての側面が強く、説明しないとなかなか理解していただけません。そこで、社外でもすぐにわかっていただけるグローバルな呼称は何かと考えたときに、ここにたどり着きました。
ヘッド・オブ・デザインという概念は、固定化されたものではありません。デザイン組織長を指す場合もありますが、私たちの組織ではイノベーション研究組織としてのマネージャーは別にいます。私はデザイン領域の専門家として、デザインプロセスや成果の品質と、事業への戦略的導入に対して、リーダーシップを発揮する役職だと理解しています。
渡辺
わかりました。では、日立のデザインの歴史を簡単に振り返っていただけますか。
丸山
60年以上の歴史があるのですが、もともとは、家電部門のディビジョンラボとして設立されました。今も、製品のルック・アンド・フィールやライフスタイルの提案は続いていますが、組織の位置づけ自体は、産業機器や監視制御部門など家電以外のデザインニーズが高まった1990年頃に、ディビジョンラボからコーポレートラボに格上げされています。私はこの頃に入社しており、当時、非常に印象に残った出来事があります。
私は学生時代に、皆さんがデザイナーと聞いてすぐに想起するようなことを学んでから日立に入社したのですが、デザインチームの同期はというと、心理学、情報工学、ソフトウェア工学、画像設計、生体工学、金属材料などを学んできた異分野の人たちでした。今で言う、学際的なチームだったのです。そのとき、チームのトップに「これからは、丸山君みたいな絵を描くバックグラウンドの持ち主だけがデザインをする時代ではなくなってくる」と言われました。だから学際的組織が必要で、君たちはそのためにここにいるのだと動機づけられたのです。
ソリューション系、サービス系、イノベーションへと対象が拡張
渡辺
その頃から、今のような時代の到来を予見されていたのですね。
丸山
そう思います。その後、2000年代に入るとICT分野の進化を背景にさまざまなサービスが出てきたりして、我々も2000年代前半から、お客さまの経験価値に着目した「エクスペリエンスデザイン」という言葉を使うようになりました。これまでのようにプロダクトだけをデザインしていては、お客さまの価値観変化について行けなくなるのが明らかだったからです。それを防ぐため、社内のより上流部分に参画し、スタイリングとユーザビリティとサービスを融合することによって顧客のエクスペリエンスをデザインする試みをはじめました。
渡辺
どの程度、上流にまでさかのぼったのですか。
丸山
「企画立案→計画策定→設計開発→供給販売→運用保守」というものづくりのバリューチェーンにおいて、従来のデザインは、設計開発の段階からスタートしていました。その頃は、お客さまがどのように使うかも考慮してはいましたが、むしろ、店頭でどう見えるかに注目していました。それが徐々に、どう売られるのか、どうメンテナンスするのか、どう不満を感じさせないようにするのかと変化していき、カスタマーサクセスと呼ばれる領域にまで広がってきました。2010年代の半ばには、大型設備機器の保守業務や、各種コールセンターの応答業務において、エスノグラファーやデザイナーによる現場調査の案件が増えていきました。
渡辺
エクスペリエンスデザインという概念の幅が一気に広がりましたね。
丸山
この変化を、デザインする側の視点で改めて整理し直すと、それまでルック・アンド・フィールのデザインをしていた製品について、エクスペリエンスという観点でよりよいものにしようという取り組みから着手したところ、対象となる製品がソリューション系に拡大し、さらにサービス系に拡大していき、結果として、サービス系のエクスペリエンスデザインも担当するようになった訳です。そして今は、イノベーションにまで、エクスペリエンスデザインの観点で入り込んでいます。
渡辺
イノベーションへの関わりは、具体的にはいつ頃から始まったのですか。
丸山
2009年に川村隆社長(当時)、中西宏明副社長(同)が、社会イノベーション事業への傾注を明言されました。このとき、この会社の中で今まで通りのデザイン業務を続けているだけでは、私自身も失業してしまうかもしれない、と感じました。
渡辺
なぜですか。
丸山
それまでの私たちの仕事は、すでにマーケットを持っている製品のデザインが中心でした。しかし、これからは何をデザインするかを考えて企画し、その結果、ビジネスモデルの変革にも寄与する必要があると感じたからです。一方で、そんなことが自分にできるのか、と疑問を持っていました。
渡辺
しかし実際には、丸山さんは今日まで、エクスペリエンスデザインを通じて日立のカスタマーサクセスに貢献してきています。次回はその10年余の取り組みについて伺います。
丸山幸伸(まるやま・ゆきのぶ)
株式会社日立製作所 研究開発グループ 社会イノベーション協創統括本部 東京社会イノベーション協創センタ 主管デザイン長。
日立製作所に入社後、プロダクトデザインを担当。2001年に日立ヒューマンインタラクションラボ(HHIL)、2010年にビジョンデザイン研究の分野を立ち上げ、2016年に英国オフィス Experience Design Lab.ラボ長。帰国後はロボット・AI、デジタルシティのサービスデザインを経て、日立グローバルライフソリューションズ(株)に出向しビジョン駆動型商品開発戦略の導入をリード。デザイン方法論開発、人財教育にも従事。2020年より現職。
渡辺薫(わたなべ・かおる)
株式会社日立アカデミー講師(DX、カスタマーサクセス担当)。
ハイテク企業で経営企画&マーケティングを経験したのち、90年代のデジタルマーケティングの黎明期にはエバンジェリスト&コンサルタントとして活動。その後、外資系ITサービス企業等でITサービスのマーケティング、コンサルティング等に従事し、2010年日立製作所に入社。超上流工程のコンサルティング手法の開発と指導にあたる。社会イノベーション事業推進本部 エグゼクティブSIBストラテジストとして、日立グループのデジタルトランスフォーメーションの戦略策定・実行のサポートと人財育成に注力。現在は、株式会社日立アカデミー講師のほか、株式会社ゴールシステムコンサルティング チーフカスタマーサクセスオフィサーなどを務める。
シリーズ紹介
楠木建の「EFOビジネスレビュー」
一橋ビジネススクール一橋ビジネススクールPDS寄付講座特任教授の楠木建氏の思考の一端を、切れ味鋭い論理を、毎週月曜日に配信。
山口周の「経営の足元を築くリベラルアーツ」
山口周氏をナビゲーターに迎え、経営者・リーダーが、自身の価値基準を持つための「リベラルアーツ」について考える。
協創の森から
社会課題の解決に向けたビジョンの共有を図る研究開発拠点『協創の森』。ここから発信される対話に耳を傾けてください。
新たな企業経営のかたち
パーパス、CSV、ESG、カスタマーサクセス、M&A、ブロックチェーン、アジャイルなど、経営戦略のキーワードをテーマに取り上げ、第一人者に話を聞く。
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各界のビジネスリーダーに未来を創造する戦略を聞く。
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今後企業が持続的に成長していくために経営戦略として取り組むべき「働き方改革」。その本質に迫る。
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新たな価値創造に挑む気鋭のニューリーダーに、その原動力と開拓する新しい未来を聞く。
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日本的経営の良さを活かしながら利益を生み出す「J-CSV」。その先進的な取り組みに迫る。
ベンチマーク・ニッポン
日本を元気にするイノベーターの、ビジョンと取り組みに迫る。
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マーケティングにおける「デジタルシフト」を、いかに進めるべきか、第一人者の声や企業事例を紹介する。
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私たちの仕事や働き方の発想を変える、膨らませるヒントに満ちた偉才たちの仕事術を学ぶ。
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全生庵七世 平井正修住職に、こころを調え、自己と向き合う『禅のこころ』について話を聞く。
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明治期に始まる産業振興と文明開化、日本社会の近代化に多大な影響を及ぼした岩倉使節団。産業史的な観点から、いま一度この偉業を見つめ直す。
八尋俊英の「創造者たち」~次世代ビジネスへの視点~
新世代のイノベーターをゲストに社会課題の解決策や新たな社会価値のつくり方を探る。