「第1回:『これは!』と思えば全部読む。」はこちら>
「第2回:『華族』という未知との遭遇。」はこちら>
「第3回:『二・二六事件』の異なる視点。」はこちら>

※本記事は、2021年6月2日時点で書かれた内容となっています。

ずるずる読書の基本に「裏取り」があります。例えば、興味を持つ特定の人物について言えば、当事者の書いた自伝と、他人が客観的に書いた評伝を両方読む。頭の中でその人についての理解が多面的になり、より鮮明に像を結ぶようになります。

僕は音楽が好きで、子どもの頃からモータウンのR&Bで踊るのが大スキでした。大人になってから、ネルソン・ジョージ『モータウン・ミュージック』というモータウンの歴史をたどった本を読みました。モータウンの音楽創造を支えたメカニズムが分かり、非常に面白い。次に、モータウン音楽の生みの親である創業者で社長のベリー・ゴーディーが書いた『モータウン わが愛と夢』という自伝に行きます。これが僕のいう「裏取り」です。

僕にとっての音楽のヒーローは何といってもエルヴィス・プレスリーです。彼は自伝を残していませんが、数多くの評伝が出ています。中でも本格的な評伝の決定版としては、ピーター・グラルニック『エルヴィス伝』があります。エルヴィスという天才が辿った道程を2巻にわたって詳述した素晴らしい評伝です。

これと併せて読むと面白いのが、エルヴィスのダークサイドを描いたもの。エルヴィスの私生活は奇妙奇天烈なもので、アラナ・ナッシュ『エルヴィス・プレスリー メンフィスマフィアの証言』は、人間として悲しいまでに脆弱だった天才の姿を暴露しています。裏を取ることによって一人の人間のいろいろな面が見えてくる。大好きなエルヴィスへの理解を深めることができ、ますます彼の音楽も味わい深くなりました。

僕がこの裏取りずるずる読書で最も感動したのは、松下幸之助さんです。近代日本を代表する大経営者の松下幸之助さんに関しては、ご自身で書かれた本も数多くありますし、評伝はそれこそ無数に出版されています。ご自身の著作で中でも一番読まれているのは、1968年の初版から540万部を突破した絶対的なロングセラー『道をひらく』でしょう。松下幸之助さんの哲学や理念をご自身の言葉で平易に記述した名著です。

当然といえば当然のことですが、素晴らしい内容です。「素直に生きる」とか、「本領を生かす」とか、そういう「言われてみれば当たり前」の話が、異様な力で心にしみわたります。『道をひらく』が何で半世紀以上も読み継がれているのか。それは圧倒的な言葉の力だと思います。経営者としての豊かな経験を、腹の底から絞った一滴のような言葉にして、本質だけをえぐり出す。本質というのはある意味「当たり前」なのですが、経験の中で自分の血となり肉となった真実だけをストレートに言葉にしているので、読者に突き刺さる。

『道をひらく』と併読するのにお薦めなのは、岩瀬達哉『血族の王』という評伝です。松下幸之助が近代日本最強の経営者であることは間違いないわけですが、彼も一人の人間です。自著や「正史」には書かれなかった姿がある。『血族の王』は、それを直視している本です。

判断基準は「儲かるか」の1点。むき出しの利益への執念。お妾さんとの完全な二重生活。袂を分かって三洋電機を創業した義弟の井植歳男との確執。血族経営への執着。ものすごい脂っこい、『道をひらく』とはあまりに対照的な松下幸之助のもう一方の面が書いてあるんです。どこが「素直に生きる」だよ!?というエピソードか続きます。

『血族の王』は「スキャンダル暴露本」では決してありません。矛盾を抱えた人間としての松下幸之助を直視した、大変に優れた評伝です。歴史に名を残す大経営者であっても、当然矛盾や葛藤がある。経営者として人々をリードする自分と、人間としてどうしても湧き上がってしまう感情とのギャップがあります。どちらも本当の松下幸之助です。矛盾や葛藤を抱えながらも、やっぱり「素直な心」が大切だという結論に至る。だからこそ『道をひらく』にあるような深みのある言葉が自然に出てくるのだと思います。何の葛藤もない人から、あんなに迫力ある言葉が出てくるわけはない。『道をひらく』を読み、『血族の王』で裏を取ることで、松下幸之助に対する僕の尊敬の念はさらに大きくなりました。

画像: 楠木建流「ずるずる読書」-その4
光も読めば闇も読む。

楠木 建
一橋ビジネススクール教授
1964年東京生まれ。幼少期を南アフリカで過ごす。一橋大学大学院商学研究科博士課程修了(1992)。一橋大学商学部専任講師、一橋大学商学部助教授、一橋大学イノベーション研究センター助教授、ボッコーニ大学経営大学院(イタリア・ミラノ)客員教授、一橋大学大学院国際企業戦略研究科准教授、2010年より現職。

著書に『逆・タイムマシン経営論』(2020,日経BP社)、『室内生活 スローで過剰な読書論』(2019、晶文社)、『すべては「好き嫌い」から始まる』(2019、文藝春秋)、『「好き嫌い」と才能』(2016、東洋経済新報社)、『好きなようにしてください:たった一つの「仕事」の原則』(2016、ダイヤモンド社)、『「好き嫌い」と経営』(2014、東洋経済新報社)、『戦略読書日記』(2013、プレジデント社)、『経営センスの論理』(2013、新潮新書)、『ストーリーとしての競争戦略:優れた戦略の条件』(2010、東洋経済新報社)などがある。

「第5回:時間差攻撃。」はこちら>

楠木教授からのお知らせ

思うところありまして、僕の考えや意見を読者の方々に直接お伝えするクローズドな場、「楠木建の頭の中」を開設いたしました。仕事や生活の中で経験したこと・見聞きしたことから考えたことごとを配信し、読者の方々ともやり取りするコミュニティです。
この10年ほどTwitterを使ってきて、以下の3点について不便を感じていました。

・140字しか書けない
・オープンな場なので、仕事や生活経験の具体的な中身については書きにくい
・考えごとや主張をツイートすると、不特定多数の人から筋違いの攻撃を受ける

「楠木建の頭の中」は僕のTwitterの拡張版というか裏バージョンです。もう少し長く書ける「拡張版」があれば1の問題は解決しますし、クローズドな場に限定すれば2と3の不都合を気にせずに話ができます。加えて、この場であればお読みいただく方々に質問やコメントをいただき、やりとりするのも容易になります。
不定期ですが、メンバーの方々と直接話をする機会も持ちたいと思います。
ビジネスや経営に限らず、人間の世の中について考えることに興味関心をお持ちの方々のご参加をお待ちしております。DMM社のプラットフォーム(月額500円)を使っています。

お申し込みはこちらまで
https://lounge.dmm.com/detail/2069/

ご参加をお待ちしております。

楠木健の頭の中

シリーズ紹介

[特集]ポストコロナの社会とビジネス

破壊の先にある創造へ――。「グレート・リセット」後に求められる社会とビジネスのあり方を、各界の有識者の言葉から探ります。
※グレート・リセット:2021年夏に開催される予定の次回世界経済フォーラム年次総会、通称ダボス会議におけるテーマ

楠木建の「EFOビジネスレビュー」

一橋ビジネススクールの楠木教授の思考の一端を、切れ味鋭い論理を、毎週月曜日に配信。

山口周の「経営の足元を築くリベラルアーツ」

山口周氏をナビゲーターに迎え、経営者・リーダーが、自身の価値基準を持つための「リベラルアーツ」について考える。

八尋俊英の「創造者たち」~次世代ビジネスへの視点~

八尋俊英日立コンサルティング社長を導き手とし、新世代のイノベーターをゲストに社会課題の解決策や新たな社会価値のつくり方を探る。

協創の森から

社会課題の解決に向けたビジョンの共有を図る研究開発拠点『協創の森』。ここから発信される対話に耳を傾けてください。

新たな企業経営のかたち

パーパス、CSV、ESG、カスタマーサクセス、M&A、ブロックチェーン、アジャイルなど、経営戦略のキーワードをテーマに取り上げ、第一人者に話を聞く。

Key Leader's Voice

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経営戦略としての「働き方改革」

今後企業が持続的に成長していくために経営戦略として取り組むべき「働き方改革」。その本質に迫る。

ニューリーダーが開拓する新しい未来

新たな価値創造に挑む気鋭のニューリーダーに、その原動力と開拓する新しい未来を聞く。

日本発の経営戦略「J-CSV」の可能性

日本的経営の良さを活かしながら利益を生み出す「J-CSV」。その先進的な取り組みに迫る。

ベンチマーク・ニッポン

日本を元気にするイノベーターの、ビジョンと取り組みに迫る。

デジタル時代のマーケティング戦略

マーケティングにおける「デジタルシフト」を、いかに進めるべきか、第一人者の声や企業事例を紹介する。

私の仕事術

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EFO Salon

さまざまな分野で活躍する方からビジネスや生活における新しい気づきや価値を見出すための話を聞く。

禅のこころ

全生庵七世 平井正修住職に、こころを調え、自己と向き合う『禅のこころ』について話を聞く。

岩倉使節団が遺したもの—日本近代化への懸け橋

明治期に始まる産業振興と文明開化、日本社会の近代化に多大な影響を及ぼした岩倉使節団。産業史的な観点から、いま一度この偉業を見つめ直す。

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