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※本記事は、2021年6月2日時点で書かれた内容となっています。

気がつくと、自分でもまったく予想しなかった本にたどり着く。これも「ずるずる読書」の面白さでありまして、そんな例をご紹介します。小田部雄次さんのお書きになった『皇族』という本があるんです。これは名著です。何かを熱く主張するということは全然なくて、プロの研究者がファクトをじっくり精査した末の論説が淡々と書かれています。しかも新書なので、コンパクトで読みやすい。

この本を読もうと思ったきっかけですが、以前平成天皇が退位の意志をお示しになって、皇室を巡る議論がにぎやかになったときがありました。「新しい皇室のあり方は」とか、「皇位継承はどうあるべきか」といった議論が新聞で繰り返し論じられていたのですが、何かずいぶん浅い話だなという気がして、ここは専門家の話を聞いてみようと思い、『皇族』に目が留まりました。

ご存知のように、明治維新までは天皇の存在感というのは日本の一般の人にとっては極めて希薄なものでした。それを明治維新後の国家近代化のための統合装置にするというのは、明治維新をリードした人たちが思いついた離れ業、ウルトラCのアイデアです。天皇という制度は近代の論理を超越したところにあるものです。それを近代化のための制度設計の中核に置く。元から矛盾をはらんでいます。この矛盾を乗り越えていくためには、改革につぐ改革が必要でした。

江戸時代の天皇と明治天皇ではまったく意味が異なります。昭和天皇でも戦前と戦後でははっきりとした非連続性があります。昭和天皇と平成天皇にも明らかな役割の違いがあります。当事者である天皇はもちろん、政治や行政に関わる人たちが知恵を振り絞って努力を重ねた結果として、令和時代の天皇につながる。この歴史の重みを、『皇族』は教えてくれます。

これに味をしめまして、同じ著者である小田部雄次さんが書かれた『華族』という本を次に読みました。皇族は今でも存在していますが、華族制度は敗戦とともに消失しています。僕はリアルに華族という人たちを見たことがありません。当然明治以前にも華族は存在していません。華族制度もまた明治維新が必要としたラディカルな制度改革でした。

江戸の幕藩体制から明治の近代国家へというどうしようもない非連続性がはらむ矛盾をどうやって吸収するか――ここに明治維新政府の挑戦課題がありました。華族というのは非常に人工的かつ急ごしらえでできた制度です。あっさりいえば、華族は武士階級の不満を吸収するアイデアでした。実利的には江戸時代から続く武士の名家への特典付与ですが、一方でその理念としての役割は「皇室の繁栄と安寧を守る」と定義されています。実利を与えて天皇を中心とする明治政府への忠誠を引き出す。強烈な矛盾に直面した明治政府の国家設計というのは、本当にアイデア豊かだったと思います。

華族制度とその歴史を概観しているこの本を読みまして、次はもう少し特定の人物について詳しく知りたいという気持ちになりました。次にずるずると読んだのが、山本一生さんがお書きになった『恋と伯爵と大正デモクラシー』。有馬頼寧(よりやす)日記という有名な日記をベースにした本です。当時の大資産家の名華族、有馬伯爵家の嫡男である有馬頼寧という人は大変リベラルな快男児で、貴族院の議員として貴族院改革や規制制度の打破、農村問題解決に取り組んだり、貴族院の特権を強烈に批判したり、治安維持法に大反対したりということで「華族の反逆児」と言われた人でした。

その後いろいろとありまして、頼寧はA級戦犯容疑で収監されます。釈放された後は、お花の栽培をしたり、回想録を書いたりすることが生活の中心になり、公職追放が解除されて政界復帰を誘われても断ります。日本を今のようにした原因は、公職を追放されていてもされていなくても、過去の政治家全員に責任があるということでスパッと身を引く。この辺、名家に生まれたエリートの潔さを感じます。年末に行われる競馬の「有馬記念」というのは、晩年に中央競馬会の理事をやっていた有馬頼寧のアイデアです。

『恋と伯爵と大正デモクラシー』が焦点を当てているのは、1919年に頼寧が起こした恋愛事件で、このエピソードを軸にして華族界の内幕が書かれています。当時の華族階級では、お妾さんを持つのはいたって普通のことでした。実際に有馬頼寧の兄弟も母親が全員違います。彼は18歳の時に、まだ15歳の皇族の王女様である貞子と結婚します。学習院高等科の学生の時から奥さんがいて、東京帝大の学生になったときには4人も子どもがいる。

その頼寧が1919年に美登里さんというインテリの女性に恋をします。頼寧自身は大変女性好きな人ですが、リベラルな体質の人なので「お妾さん」は嫌なんですね。独立した人格をもった人間同士の恋愛でないと満足できない。一方、正妻の貞子夫人はお妾さんとの肉体的関係は許容できても、精神的恋愛関係は許し難いということで激怒します。ま、当然のことです。で、有馬頼寧がこのときにひねり出した新概念が「愛人」。新しいコンセプトは常に時代の先端を行くリベラルな人から生まれるんですね。

これを読み終わった後、もう一度小田部雄次先生の著作に戻り、『梨本宮伊都子妃の日記』へとずるずる読書は続いていきます。鍋島侯爵の華族に生まれて、皇族の梨本宮に嫁いで皇族となった伊都子さんという方が、1976年に95歳で亡くなるまで77年間絶えることなく付けていた日記です。今はもう存在しない華族や皇族の、想像が付かないような時代や生活の具体的な細部を知ることができる。大変に本当に面白い本です。

当時の華族鍋島家といえばセレブの中のセレブです。お父様がイタリアの特命全権大使でローマに赴任しているときに生まれたので、伊都子と名付けられ、蝶よ花よの少女時代を送ります。同時代の人々の憧れのお姫様で、当代いちばんの美人とも謳われました。伊都子は梨本宮家に嫁いで皇族になります。ここまでは完璧な経歴でしたが、日本は戦争に突入し、敗戦。大日本帝国は解体され、当然のことながら華族制度も廃止されます。夫の梨本宮は戦犯に指名されて皇族の身分も失い、一夜にして「ただの人」になってしまいます。

しかし伊都子さんは華族という武家の娘です。とにかく腰が座っている。敗戦後の困難が次から次に押し寄せても決して逃げずに正面から受け止める。最期まで厳格な生活態度を変えることがありませんでした。立場が立場なので相応のバイアスはかかっているのですが、世の中の変化を見る目はかなり冷静で、武家華族の気骨を感じます。こういう今では想像が難しい不思議な世界を垣間見ると、視野が広がります。ずるずる読書の効用です。

画像: 楠木建流「ずるずる読書」-その2
「華族」という未知との遭遇。

楠木 建
一橋ビジネススクール教授
1964年東京生まれ。幼少期を南アフリカで過ごす。一橋大学大学院商学研究科博士課程修了(1992)。一橋大学商学部専任講師、一橋大学商学部助教授、一橋大学イノベーション研究センター助教授、ボッコーニ大学経営大学院(イタリア・ミラノ)客員教授、一橋大学大学院国際企業戦略研究科准教授、2010年より現職。

著書に『逆・タイムマシン経営論』(2020,日経BP社)、『室内生活 スローで過剰な読書論』(2019、晶文社)、『すべては「好き嫌い」から始まる』(2019、文藝春秋)、『「好き嫌い」と才能』(2016、東洋経済新報社)、『好きなようにしてください:たった一つの「仕事」の原則』(2016、ダイヤモンド社)、『「好き嫌い」と経営』(2014、東洋経済新報社)、『戦略読書日記』(2013、プレジデント社)、『経営センスの論理』(2013、新潮新書)、『ストーリーとしての競争戦略:優れた戦略の条件』(2010、東洋経済新報社)などがある。

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楠木教授からのお知らせ

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八尋俊英の「創造者たち」~次世代ビジネスへの視点~

八尋俊英日立コンサルティング社長を導き手とし、新世代のイノベーターをゲストに社会課題の解決策や新たな社会価値のつくり方を探る。

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岩倉使節団が遺したもの—日本近代化への懸け橋

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