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※本記事は、2021年6月2日時点で書かれた内容となっています。

次にご紹介したい僕の「ずるずる読書」経験は「二・二六事件」についての一連の読書です。これはその後の日本が戦争へと突き進むひとつの大きな要因となる大事件でした。85年前の話ではありますが、近年の不安定な世の中において再考に値するテーマだと思います。

ずるずる読書の基本として、まず軸となる1冊を最初に決める。定評のある良書を選んでその出来事を概観しておくと、その後のずるずるがうまく展開していきます。本件については高橋正衛の『二・二六事件』という本で間違いなし。中公新書から1965年に出版された古い本ですが、今でも増刷されているロングセラーの名著です。

二・二六事件の概略はご存知の方も多いと思います。軍隊の一部が暴力で政権の転覆を謀る。外形的には軍事クーデターです。しかし、主導した陸軍の青年将校たちにはクーデターという意識はまったくありませんでした。当時の政治政党は財閥と結託して堕落している。既成の軍部は利権を握って横暴を極めている。だから天皇の周りにいる君側の奸を斬り、国体を明徴ならしめ、天皇の大御心に回帰するべきだ――彼らのめざしたものは、体制を転覆させるクーデターではなく、昭和維新でした。

事件が起きた後、陸軍の首脳部は迷走しまくります。一方、重臣が惨殺されているわけですから、当然のこととして天皇は激怒します。もし軍がすぐに鎮圧しないのなら、自分が近衛師団を率いて自ら鎮圧に当たるという意思を即座に明らかにします。反乱軍からすると、天皇陛下の大御心に回帰しようと思ってとった行動が、天皇陛下自身によって鎮圧されることになります。青年将校たちは悲劇的な結末を迎えます。首謀者は非公開の軍法会議にかけられて、処刑されました。

二・二六事件の背景には、陸軍の中の「皇道派」と「統制派」という2派の対立がありました。反乱軍の陸軍青年将校は「皇道派」に属していました。事件後に「皇道派」の抑え込みに成功した「統制派」が総力戦体制を築き、日本は太平洋戦争になだれ込むことになります。

『二・二六事件』を読んで気づかされるのは、政府と軍部という二重権力という構造の持つ怖さです。軍部には統帥権の独立という原理原則があるので、平時はそれが一定の効果を持ちますが、直面する問題が大きくなるといよいよその二重権力がその二重性を強めます。著者は「二・二六事件というのは日本の政治的矛盾の爆発点だ」と結論していますが、まったくその通りです。二重権力という政治的矛盾の抱えるリスクをまざまざと教えてくれます。

同じ対象について違った視点から書かれた本を読む――ずるずる読書の王道です。次に読んだのは二・二六事件の当事者、反乱軍の青年将校のリーダーの一人である磯部浅一という人が書いた『獄中手記』。反乱が挫折に終わった彼が獄中で書いたものです。当事者は何を考えてどう動いたのかという内側からの視点で、二・二六事件のもうひとつの現実を知ることができます。

『獄中手記』を読んで驚かされたのは、この大きな事件の当事者である青年将校たちの計画が、異常に拙速で稚拙だったということです。2月26日に決行された事件ですが、1月末の時点で誰を暗殺するかというターゲットも決まっていない。直前の2月21日になっても肝心のターゲットがどこにいるのかもわかっていない。計画の杜撰ぶりに驚きましたが、考えてみれば狂ったような情熱で突き進む維新運動です。いちいち事細かに計画なんかしていたら実行には踏み切れません。熱情に取りつかれた杜撰な計画だったからこそ、二・二六事件が起きたわけです。

官邸に銃声が鳴り響いたとき、著者は「こんなに面白いことがあるのか!」と興奮を極めます。もう勇躍歓喜、その高揚が頂点に達して、「われわれは不逞の輩に突撃する正義である。それを世の中が否定するはずない」――何を見ても聞いても100%自分たちに都合よく考える。行動が失敗し、逮捕されて獄中にあっても、磯部の極度の楽観主義は続きます。裁判で徹底的に戦えば絶対に世の中は自分たちの正義を理解してくれると確信していました。もちろん軍事裁判ではあっさりと全否定されます。この本を読むと、「ああ、情熱にまかせて蹶起(けっき)をする人って、こういう人なんだな」ということがありありと分かります。客観的に見る二・二六事件と、当事者の見るそれとのギャップが非常に面白い。

さらに違う視点から二・二六事件を見てみたいということで、次は青年将校の家族たちが事件後にどう思い、どう生きたのかを取材した澤地久枝『妻たちの二・二六事件』を読みました。

処刑された青年将校たちはみんな若かったので、若い奥さまや幼い子どもを残しているわけです。夫人たちの記憶に残る夫は、悲壮な覚悟をしながらも妙に明るい。2月25日の朝「厚木で演習があるから」と家を出た丹生中尉は27歳。10か月の結婚生活の中で「俺が死んでも、お前は恩給がもらえるからいいね」と夫人に言っていました。たとえ死んでも、官位をすべて剝奪されて逆賊になるとは考えていなかったのです。

磯部の同郷の田中中尉は、結婚生活わずか40日で蹶起しています。事件後に妻久子の懐妊を知ります。遺書では「仏の国より汝等二人を護らん」と勇ましいが、面会では「お前のことを考えたら、おれ、死にきれねえ」と、若い夫の姿をのぞかせました。「久子は弱くて強いのです」という夫の遺書にある通り、久子夫人は事件後に保母になり、戦後日本で定年まで勤めあげました。叛徒の妻として戦前戦後を強く生きた妻たちは、情熱に突き動かされた男たちよりもよほど現実を直視していました。

このように二・二六事件という重大事件を視点を変えて見ることでつくづく思うのは、二重権力が絶対悪だということです。それが失敗するからではありません。体制がどうであっても政治的な失敗というのはかならず起きるものです。問題は、失敗した後です。二重権力だと失敗が制御できなくなってしまいます。失敗を燃料に、ますます暴走してしまう。だから徹底的な破滅に至るまで、誰も止めることができない。ここに真の恐ろしさがあります。二・二六事件は政治と軍事の話ですが、企業経営でもまったく同じです。二重権力は、宿命的に破滅への道を突き進む。このことをはっきりと知ったことが二・二六事件のずるずる読書の収穫でした。

画像: 楠木建流「ずるずる読書」-その3
「二・二六事件」の異なる視点。

楠木 建
一橋ビジネススクール教授
1964年東京生まれ。幼少期を南アフリカで過ごす。一橋大学大学院商学研究科博士課程修了(1992)。一橋大学商学部専任講師、一橋大学商学部助教授、一橋大学イノベーション研究センター助教授、ボッコーニ大学経営大学院(イタリア・ミラノ)客員教授、一橋大学大学院国際企業戦略研究科准教授、2010年より現職。

著書に『逆・タイムマシン経営論』(2020,日経BP社)、『室内生活 スローで過剰な読書論』(2019、晶文社)、『すべては「好き嫌い」から始まる』(2019、文藝春秋)、『「好き嫌い」と才能』(2016、東洋経済新報社)、『好きなようにしてください:たった一つの「仕事」の原則』(2016、ダイヤモンド社)、『「好き嫌い」と経営』(2014、東洋経済新報社)、『戦略読書日記』(2013、プレジデント社)、『経営センスの論理』(2013、新潮新書)、『ストーリーとしての競争戦略:優れた戦略の条件』(2010、東洋経済新報社)などがある。

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