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「第2回:『ストーリーとしての競争戦略』。」はこちら>
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※本記事は、2020年6月5日時点で書かれた内容となっています。

僕は「好き嫌い」をコンセプトにした本を4冊書いています。「好き嫌い」という視点については以前もここで話したのですが、今回はこれらの本のコンセプトについてお話しをしたいと思います。

なぜ僕が「好き嫌い」というコンセプトを基軸にして物事を考えるのか、いくつかの理由があります。ひとつには、自分の仕事である競争戦略です。論理的な帰結として、競争戦略の思考は「良し悪し」よりも「好き嫌い」と親和性が高い。ある戦略的な意思決定に迫られたとする。右に行こうか左に行こうか、どっちかを決めなければなりません。

もしそれが、良いことか悪いことかの選択であれば、もちろん良い方を選べばいいに決まっています。しかし、そういう選択は本当の戦略的意思決定ではありません。良いことと良いことのどちらを選ぶか。どちらも一理ある。そのどちらかを選ぶのが本当の決断です。社会的、客観的に共有されている「良し悪し」の物差しでは、結局は何も決まりません。戦略的な意思決定というのは、そもそも「良し悪し」では割り切れないのです。意思決定者が何を基準に選択をするのか。それはつまるところ、その人固有の「好き嫌い」なのではないか。意思決定とはあっさりいって「好き嫌い」の問題ではないか。これが僕が「好き嫌い」にこだわる理由のひとつです。

もうひとつは、その3でお話しした「センス」の話とも重なるのですが、余人を持って代えがたいセンスを身に付けるためには、相当長い時間をかけて、教科書もないところで自分のセンスを錬成していくしかない。「さあ、TOEICの点数を上げるためにこういう勉強をしましょう」というインセンティブは効きません。これがスキルと違うところです。

しかも、そうしたセンスの錬成過程には、相当につらい局面があります。それに耐えられるというのは、「好きこそものの上手なれ」で、当人が好きだからこそ持続的にセンスの錬成に取り組める。どこまで行けるかではなくて、その道中の景色で報われる。そうでないと、スキルを超えたセンスの領域には踏み込めません。要するに、センスの根本にあるのは「好き嫌い」だということです。「競争戦略」と「センス」。この2つが交差するのが「好き嫌い」なのです。

例えば、柳井正さんを見ていて感じることです。もう長いこと僕はファーストリテイリングのお手伝いをしてきましたが、柳井さんのものの考え方の根本のところは、「良し悪し」では理解できない。「だから、こういう意思決定をしたのか」とか、「だから、こういうストーリーを組み立てたのか」といった深い理解は、柳井さんの「好き嫌い」に触れないと分からない。柳井さんという経営者の戦略的な意思決定とそれをもたらすセンスの根本にあるのは、「好き嫌い」です。

それなら、センス溢れる経営者に、その人の「好き嫌い」だけを徹底して聞いてみよう。その方が経営と戦略の本質が分かるのではないか。こうした着想でつくった本が、『「好き嫌い」と経営』です。タイトルがそのままコンセプトになっています。「好き嫌い」についての対話ですので、面識があって気軽にお話しできる人を選んで対話の相手になっていただきました。柳井正さんや、昔からお世話になっている大前研一さん、ユナイテッドアローズ創業者の重松理さんなど、14人の経営者の方たちとの「好き嫌い」を軸にした対話集です。

その中のお一人に日本マクドナルドの社長だった原田泳幸さんがいます。原田さんとは、同じジムに通っていたので、前から存じ上げていました。日本マクドナルドが倒産寸前のところまで行った時に、その立て直しをされた経営者ですが、原田さんの「好き嫌い」の話は本当に印象的でした。

原田さんは、とにかく逆境が大好きで、「もう駄目だ、さあ大変、これは参った。これ、最高だよね」と言うんです。生ぬるいのは駄目で、とにかくピリピリしたところじゃないと力は出ないし、心の底からそれが好きなんです。これこそ原田さんに固有の「好き嫌い」です。他にも、「1mgの軽いたばこを吸うやつは駄目だ」とか、「ソムリエでもないのにワインに詳しい男は仕事ができない」とか、「スパゲッティを食べるのに、フォークとスプーンを使うやつは信用できない」とか、もうほとんど意味不明の話が出てきます。ようするに、「良し悪し」として一般化できない原田さんの「好き嫌い」なのですが、お話を伺っていて、原田さんがなぜあの時に、何を考えてそういう選択をしたのかが本当によく分かった気がしたんです。

この「好き嫌い」についての対話があまりにも僕にとって面白かったので、その後に続編の『「好き嫌い」と才能』を作りました。経営者だけではなくて、陸上の選手だった為末大さん、ラグビー指導者の中竹竜二さん、小説家の磯崎憲一郎さん、同業者の米倉誠一郎さんなどさまざまなジャンルの方と、その人の「好き嫌い」だけについて話をする。そうした方たちの「好き嫌い」を知り、彼らの独自の才能との関連を探ろうという本です。

「好き嫌い」問題が大スキな僕は、できれば「好き嫌い3部作」でやりたいと思い、続けて『好きなようにしてください たった一つの仕事の原則』という仕事論の本を書きました。これにしても、タイトル通りのコンセプトと内容の本です。誰しもできることとできないことがある。全部が全部できるようになる必要もない。「自分はできないんです」とか「能力がありません」と言うのではなくて、「いや、自分の趣味じゃないんです」と割り切る。これが仕事で重要だと思うんです。

僕がアカデミックなフォーマットに沿った研究を何でやめたのかといえば、要するに「趣味じゃない」ということなんです。いいも悪いもない。とにかく好きじゃないんですね。今の僕のような実務家直販型の仕事と、アカデミックな研究、両者の間に優劣があるわけではありません。ただ、スタイルとして「違う」だけです。それなら、自分が好きなようにやった方が、成果も出るのではないか。何かできないことを克服するよりも、「いや、趣味じゃない」と割り切って好きな道を選ぶ。そんな自分の経験から来る仕事論です。

これで「好き嫌い」も3部作になりましたので、もう打ち止めかと思っていたのですが、何分「好き嫌い」がスキなものですから、もう一冊『すべては「好き嫌い」から始まる 仕事を自由にする思考法』という本を作りました。

『すべては「好き嫌い」から始まる』という本を作ったのは、前の『好きなようにしてください』が個人の仕事論だったので、もう少し社会論よりの主張をしてみたいと思ったのがきっかけです。今の社会は「良し悪し」過剰社会だと思います。政治家でもないのにやたらとコレクトネスを要求される。叱られないようにとか、批判が起きないようにということを基準にしている人が多過ぎる。ずいぶん窮屈な社会になっているというのが僕の問題意識です。

『「好き嫌い」と経営』から『すべては「好き嫌い」から始まる』まで、さすがに4冊も書くと、自分でもお腹いっぱいで納得しましたし、「もういい加減にしろ」とお叱りを受けました。手仕舞いにする機が熟した感がありますので、「好き嫌い」シリーズはもうおしまいです。

画像: コンセプト 僕の場合-その4
『「好き嫌い」と経営』。

楠木 建

一橋ビジネススクール教授
1964年東京生まれ。幼少期を南アフリカで過ごす。一橋大学大学院商学研究科博士課程修了(1992)。一橋大学商学部専任講師、一橋大学商学部助教授、一橋大学イノベーション研究センター助教授、ボッコーニ大学経営大学院(イタリア・ミラノ)客員教授、一橋大学大学院国際企業戦略研究科准教授、2010年より現職。
著書に『室内生活 スローで過剰な読書論』(2019、晶文社)、『すべては「好き嫌い」から始まる』(2019、文藝春秋)、『「好き嫌い」と才能』(2016、東洋経済新報社)、『好きなようにしてください:たった一つの「仕事」の原則』(2016、ダイヤモンド社)、『「好き嫌い」と経営』(2014、東洋経済新報社)、『戦略読書日記』(2013、プレジデント社)、『経営センスの論理』(2013、新潮新書)、『ストーリーとしての競争戦略:優れた戦略の条件』(2010、東洋経済新報社)などがある。

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楠木教授からのお知らせ

思うところありまして、僕の考えや意見を読者の方々に直接お伝えするクローズドな場、「楠木建の頭の中」を開設いたしました。仕事や生活の中で経験したこと・見聞きしたことから考えたことごとを配信し、読者の方々ともやり取りするコミュニティです。
この10年ほどTwitterを使ってきて、以下の3点について不便を感じていました。

・140字しか書けない
・オープンな場なので、仕事や生活経験の具体的な中身については書きにくい
・考えごとや主張をツイートすると、不特定多数の人から筋違いの攻撃を受ける

「楠木建の頭の中」は僕のTwitterの拡張版というか裏バージョンです。もう少し長く書ける「拡張版」があれば1の問題は解決しますし、クローズドな場に限定すれば2と3の不都合を気にせずに話ができます。加えて、この場であればお読みいただく方々に質問やコメントをいただき、やりとりするのも容易になります。
不定期ですが、メンバーの方々と直接話をする機会も持ちたいと思います。
ビジネスや経営に限らず、人間の世の中について考えることに興味関心をお持ちの方々のご参加をお待ちしております。DMM社のプラットフォーム(月額500円)を使っています。

お申し込みはこちらまで
https://lounge.dmm.com/detail/2069/

ご参加をお待ちしております。

楠木健の頭の中

シリーズ紹介

楠木建の「EFOビジネスレビュー」

一橋ビジネススクール一橋ビジネススクールPDS寄付講座特任教授の楠木建氏の思考の一端を、切れ味鋭い論理を、毎週月曜日に配信。

山口周の「経営の足元を築くリベラルアーツ」

山口周氏をナビゲーターに迎え、経営者・リーダーが、自身の価値基準を持つための「リベラルアーツ」について考える。

協創の森から

社会課題の解決に向けたビジョンの共有を図る研究開発拠点『協創の森』。ここから発信される対話に耳を傾けてください。

新たな企業経営のかたち

パーパス、CSV、ESG、カスタマーサクセス、M&A、ブロックチェーン、アジャイルなど、経営戦略のキーワードをテーマに取り上げ、第一人者に話を聞く。

Key Leader's Voice

各界のビジネスリーダーに未来を創造する戦略を聞く。

経営戦略としての「働き方改革」

今後企業が持続的に成長していくために経営戦略として取り組むべき「働き方改革」。その本質に迫る。

ニューリーダーが開拓する新しい未来

新たな価値創造に挑む気鋭のニューリーダーに、その原動力と開拓する新しい未来を聞く。

日本発の経営戦略「J-CSV」の可能性

日本的経営の良さを活かしながら利益を生み出す「J-CSV」。その先進的な取り組みに迫る。

ベンチマーク・ニッポン

日本を元気にするイノベーターの、ビジョンと取り組みに迫る。

デジタル時代のマーケティング戦略

マーケティングにおける「デジタルシフト」を、いかに進めるべきか、第一人者の声や企業事例を紹介する。

私の仕事術

私たちの仕事や働き方の発想を変える、膨らませるヒントに満ちた偉才たちの仕事術を学ぶ。

EFO Salon

さまざまな分野で活躍する方からビジネスや生活における新しい気づきや価値を見出すための話を聞く。

禅のこころ

全生庵七世 平井正修住職に、こころを調え、自己と向き合う『禅のこころ』について話を聞く。

岩倉使節団が遺したもの—日本近代化への懸け橋

明治期に始まる産業振興と文明開化、日本社会の近代化に多大な影響を及ぼした岩倉使節団。産業史的な観点から、いま一度この偉業を見つめ直す。

八尋俊英の「創造者たち」~次世代ビジネスへの視点~

新世代のイノベーターをゲストに社会課題の解決策や新たな社会価値のつくり方を探る。

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