デザイン思考の4つのプロセス
ーー第1回では、デザイン思考が生まれてきた歴史を紐解くとともに、その本質について語っていただきました。デザイン思考とは、従来のようなモノのデザインを対象とするのではなく、情報化社会の進展にともなうコトを対象としたデザインであるということですね。では、具体的にいかにしてデザイン思考を進めたらいいのか、その方法論についてお聞かせいただけますでしょうか。
紺野
デザイン思考は、よく4〜6つのプロセスで示されますが、その中心は概ね次の4つのプロセスで構成されています。
まず一つ目はオブザベーション(観察、洞察)です。これは、顧客の立場に立って課題や顧客の痛み、顧客自身も気づいていないような潜在的な悩みを感じ取る行為です。その際に用いられるのが参与観察(participant observation)などの文化人類学的な手法であり、広くはエスノグラフィーと呼ばれています。観察する際に対象を分析したりせずに、バイアスを捨てて、包括的、直観的に知識を得るための手法です。そうすることで、暗黙知である顧客や現場の生きたデータを感受できるのです。
次に獲得した暗黙知を、顧客との対話やブレインストーミングなどを通じて、アイデアに変換していきます。いわゆるアイディエーションというもので、ここでも分析的な枠組みに当てはめて暗黙知を解釈するのではなく、現実を複雑で矛盾に満ちたものとして許容しつつ、関係性を理解して形式知化していきます。そこではアブダクション(仮説的推論)力を働かせることが重要です。ブレインストーミングだけではなく、体を使って対話や身体的な相互作用、すなわち五感を活用するボディストーミングなどの手法も使われます。
さらに、(ラピッド)プロトタイピングと言われるステップを経ます。プロトタイピングは、アイディエーションから得られたアイデアやコンセプトから、素早くモデルを創ること、仕組みや見えるカタチにしていくことです。例えば既存の仕組みや技術などを組み合わせて、実際にそのアイデアが「ありえる」ことを確認し、第三者に実現可能性を伝えようというのが狙いです。
そしてプロトタイピングをさらに進め、エクスペリメンテーション(実験)、シミュレーションを通じて現実の世界に展開していきます。実験と言っても、いわゆる実証実験でなく、顧客や現場のユーザーの生活経験レベルで新たなアイデアが受容されるかを見出していく、インタラクティブな作業です。最近の言葉ではPoC(Proof of Concept)というのもこれに近いでしょう。実際に現場に取り入れて、暗黙知として自然に現場に溶け込ませることができるかどうかを試行錯誤していきます。この核になるのはストーリーテリング、つまり新たな物語を共に生み出し、変化を実現することです。
このサイクルを繰り返していくのがデザイン思考です。これらのプロセスはデザイナーのブラックボックスを体系化したものとみなされているわけです。
暗黙知の獲得に有用なエスノグラフィー
ーー最も特徴的なのが、最初のエスノグラフィーだと思うのですが、なぜ、文化人類学的な手法が採用されたのでしょうか?
紺野
エスノグラフィーというのは、シリコンバレーでデザイン思考が体系化された際に入ってきた手法です。当時、シリコンバレーの企業が直面していた技術と人間の間のギャップをどう埋めるかという課題に対して、何が問題なのかを洗い出すためにエスノグラファーが雇われたことに端を発します。
私の友人でもあったイギリス人デザイナー、故ビル・モグリッジ氏は、デザイン教育にエスノグラフィーを取り入れました。それは、それまで個人作業が主体で、モノのデザインに終始していた伝統的デザイナーの限界を破り、現場を観察し、コラボレーションしながらデザインする手法を構築するためでした。一方、建築界においても、建築や都市の使われ方を認識する際に社会学的観点からエスノグラフィーが採用されていったという経緯があります。
そもそも、イノーべションとは知識創造です。しかし、すでに自分の頭の中にあるものから新しい知識は生まれ出ないんですね。つねに外部との関わり、新しい結合が必要で、そのためには外に出て行かざるを得ません。外に出て観察することで、新たな暗黙知を獲得することができるというわけです。
ーーエスノグラフィーのような観察というのは、それまでデザインの世界ではあまり行われていなかったわけですね。
紺野
ええ、例えば、椅子に座ったときに背骨と大腿骨の角度は何度がいいかといった、人間を物体として扱うような人間工学的な観察に留まっていました。人間の内面、主観的世界や社会との関係性も取り入れた観察には、まさにエスノグフラフィーが最適ですし、デザイン思考における重要なアプローチの一つだと思います。
実は、いまお話しした4つのステップというのは、方法論的にいえば、知識創造のプロセスそのものなんですね。では、知識創造とデザイン思考の差分は何かというと、それは、知識創造は理論的モデルですが、デザイン思考では人間の持っている五感や直感、身体性など、本来人間に備わっている能力をフルに活用する実践的方法や態度であるという点にあると思います。
ーーそうした能力はデザイナーでなくても、誰もが持ち得るものだということですね。
紺野
誰にでも備わっています。しかも、その能力を組織の創造力として活用しようというのがデザイン思考の本質です。社会課題の解決などにおいて、今、大企業にイノベーションが求められているわけですが、組織のクリエイティビティを引き出し、コラボレーションを促し、イノベーションを実践に向かわせるうえで、デザイン思考は有用なのです。
デザイン思考にまつわるいくつかの誤解
ーー 一方で、今お聞きしたプロセスをすぐに実践するのは難しいように感じます。どのようにしてやり方を身につければいいのでしょうか?
紺野
最近、あちこちで主催されているワークショップはデザイン思考のプロセスを体得するうえで、非常に役立つ手段の一つと言えます。こういった研修では、観察によって問題定義をし、ブレインストーミングを通じてアイデアを生み出す。そして、アイデアをプロトタイプとしてかたちにして、プロトタイプを通じてさらに対話を重ね、共同作業の中で改良していく、といったベーシックなプロセスを学びます。しかしそこには自ずと限界があります。例えばブレストの際に、よく付箋紙を多用しますね。しかし残念ながら、いくら付箋紙を並べたところで、イノベーションは起こりません。さらに言えば、顧客の課題を見出して「解決」したところで、単なるソリューションでしかありませんよね。分析的な作業ではプロセス通りにやると結果が出ます。しかしプロセスを追ってもイノベーションにはならない。デザイン思考の根本にあるのは、論理分析的なものとは異なる、人間中心的で直観に基づく意識や態度です。
イノベーションに求められるのは、観察したことから深掘りして新しい「観点」を見出してかたちにすることです。そして協業・共創を行うこと。業界の構造を変えるような新しいビジネスモデルを試行錯誤を通じて創出することにあります。デザイン思考がイノベーションを実践していくためのプロセスであるという大前提を忘れてしまうと、単なるスキル教育で終わってしまう。いくらワークショップをやったところで何も起こらないのは当然でしょう。
逆に言えば、デザイン思考はイノベーションを起こすためのプロセスにおいて、使いやすいツールの一つであるということです。事業構造の分析ツールとしてはビジネスモデル・キャンバスが有用ですし、事業の素早い立ち上げにはリーンスタートアップが最適でしょう。ですから、企業は自社の状況に合わせて、それぞれの方法論をうまく使い分けていくべきです。
実際に、その点を誤解して失敗した事例は数多くあります。例えば、ある企業では製品開発の問題を解決するために、チームで顧客のエスノグラフィーを実施し、ワークショップを行い、プロトタイプをつくって提案しました。かなりの予算をかけて顧客にインタビューをしてプロトタイプまでまとめ上げたのですが、実際には、普段の会議で出てくるような凡庸なアイデアしか提案できなかったのです。なぜそうなったのかといえば、見直すべきなのは製品開発のプロセス自体で、本来、観察すべき対象は顧客でなく社内だったからです。単に面白そうだからという理由だけで、かたちだけ真似て飛びついてもうまくいきません。ほかにも、うちはBtoB企業だからデザイン思考は関係ない、と言う企業もある。あるいは、デザイン思考というのはユーザーインターフェイスのデザインだよねとか、ユーザーエクスペリエンスのデザインだよね、という意見もあります。それらもすべて誤解と言えるかもしれません。
ーーなるほど、そもそも何の目的でデザイン思考に取り組むのかという、大前提が重要になりますね。
紺野
そうしたこともあって、我々がデザイン思考を進める際には、デザイン思考を横軸とすると、縦軸に「目的工学」を位置付けるようにしています。成功しているプロジェクトには必ず社会課題を解決するような良い目的があり、手段とうまくマッチングしているという知見から導き出された概念です。目的工学とは我々の造語ですが、「目的」という主観的な要素をいかにイノベーションに活用するかが狙いです。デザイン思考を実践しても、それを現実化する最適な技術がなければ実現できません。逆に言えば、失敗するプロジェクトの場合、大きな目的がはっきりしていないうえ、手段となる技術がフィットしていないことがほとんどなのです。
今の時代、何のためにイノベーションをするのかと聞かれて、“儲けるため”というのでは、皆、しらけてしまうでしょう。もはや利潤のためというだけでは、特に社会的意識の高い若い従業員たちを牽引していくことはできません。例えば、「100年後に自分たちの孫が楽しく暮らせるような社会をつくる」といった高邁な“大目的”が必要です。かつ、その目標に近づくための、現在の技術に根差した“中目的”あるいは駆動目標がなければ、絵に描いた餅で終わってしまう。中目的が大目的へのドライビングフォースとなるのです。そうした目的の設定や共有、部門や組織を超えたコミュニケーション、シナジーの創出、組織のクリエイティビティの創出がなければ、デザイン思考は有効ではありません。創造性を重視する組織文化がその根底に極めて重要なのです。
技術に目的を与え、新たな価値を生み出す
ーーデザイン思考を取り入れたことによる成功例があれば教えてください。
紺野
例えば、d.スクール発のプロジェクトから生まれた新生児用の保育器提供ビジネスがあります。これは、人道支援団体のプロジェクトとして始まったのですが、年間に約2,000万人もの赤ちゃんが早産などにより低体重児として生まれ、うち約400万人が、生後24時間以内では約100万人が、低体温が原因で亡くなるという問題を解決するものでした。従来の保育器は値段が高く、大都市の主要な病院にしかないうえ、装置も大掛かりでした。そこで、インフラが整備されていない農村部などでも手軽に使えるように、電気を使わず、一度、加温すると長時間冷めない保温材を赤ちゃんを包む布に入れて使うという発想で、持ち運び可能な安価な保育器を開発したのです。
その後、このプロジェクトのメンバーだったd.スクールの学生たちは起業して、エンブレイス社を設立。活動の場をインドに移して、事業化に成功しました。ちなみに、この開発に際して協力したのが、GEヘルスケアです。GEヘルスケアも保育器をつくっているのですが、保育器がある拠点病院まで赤ちゃんを運ぶ手段がなく、結局、多くの赤ちゃんを救えないという問題に直面していたからです。双方が協力することで、社会課題の解決と事業の発展を同時に実現できたというわけです。さらに、そこには新たな技術の結びつきもありました。開発においては加温するだけで長時間冷めない保温材が使われたのですが、この保育器が誕生するまで眠っていた技術だったのです。
まさにこの事例は、デザイン思考の手本と言っていいでしょう。そもそも技術自体が目的を持っているわけではなく、そこに目的を与えるのは社会であり人間です。つまり、イノベーションという視点でデザイン思考に技術者や開発者が加わることで、技術に目的を与え、技術を再結合して新たな価値を生み出すことができる。まさにそれが、新たな観点の創造であり、目的の発見であり、デザイン思考により、思いがけない技術が使えるということが起こり得るというわけです。
(取材・文=田井中麻都佳/写真=秋山由樹/撮影場所=株式会社 日建設計 Nikken Activity Design Lab)
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