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日本における「知識創造」および「デザイン思考」の第一人者として、1990年代から両者の切り口で数多くの研究と実践を手がけてきた多摩大学大学院教授の紺野登氏。その紺野氏に、ITの進展を背景に激変する時代の中で、新しい経営の方法論として注目を集める「デザイン思考」について、その真価と経営に与えるインパクト、そしてデザイン思考を取り入れた経営のポイントについて聞く。

第1回:なぜ今、デザイン思考なのか >
第2回:デザイン思考の誤解を解く >

イノベーションのために自社の存在理由を再定義する

ーー第2回では、デザイン思考のプロセスについてお聞きし、そこには目的が不可欠であり、デザイン思考が技術に目的を与えるとお話しいただきました。さらに、デザイン思考を活用した経営に必要ないくつかのポイントについてお聞かせください。まず、デザイン思考に取り組むべきタイミングについてはいかがでしょうか?

紺野
いうまでもなく、デザイン思考はイノベーションが必要とされる転換点に活用すべきです。では現実はどうか? 現在、すでに多くの企業が事業環境の大きな変化に直面しており、今すぐにでも取り組むべきときに来ていると思います。例えば、フィルム市場そのものの消滅に直面した富士フイルムやコダックのように、いまや突然、本業あるいはコア、主力事業自体が危うくなってしまう時代ですからね。ほとんどの企業で、時代の潮流を見据えて、イノベーションを起こしていく必要があるのではないでしょうか。現状の維持、あるいは改善だけでは顧客や市場からも評価されません。

その際にまず問うべきなのは、自社が何のために存在しているのか、そしてどういう企業をめざそうとしているのかという存在理由の再定義です。例えば、インテルはもともとコンピュータの半導体のメモリーなどを製造する企業でしたが、ある時期、自らの存在価値を未来の情報産業の中核企業であると捉え直して、コンピュータのコアとなるCPUだけでなく、周辺のモジュールと組み合わせることができるマザーボードを提供、そのインターフェイスをオープンにすることでユーザー企業が自由に参画できるようにしました。すなわち、情報産業全体の発展に寄与できるエコシステムをデザインする企業へと変革を遂げたわけです。

その背景には、半導体産業を取り巻く事業環境の急激な変化がありました。そうした時代の変化をいち早くつかみ、その後もエスノグラフィーのための研究所を設立したり、情報産業を牽引するベンチャーに投資するなどして、デザイン思考を進める中で、自らの存在価値を高めることに成功したのです。

もっとも、インテルのような取り組みを、何もないところからいきなり自社だけで始めるのは難しいと思います。まずはデザイン思考を手がけるデザインコンサルタントなどの組織の力を借りて、それこそプロトタイピングしながら、自社に合ったやり方を模索するところから始めるのが良いのではないでしょうか。

画像: イノベーションのために自社の存在理由を再定義する

デザイン思考の実践に欠かせない「場」の存在

ーーデザイン思考を実践するにあたり、必要な要素はありますでしょうか?

紺野
まず、サイバーではなく、リアルに互いに顔を突き合わせて経験を共有できる「場」が不可欠だと思います。しかも、観察によって獲得した暗黙知を相互に対話しながら創発を促すのにふさわしい場を創出すべきです。また、他社はもちろんのこと、消費者、生活者、行政、大学、NPOといった多様な立場の人と出会うための場づくりも重要になります。

その一例が、近年、欧州の政府機関や企業を中心に設立が進んでいる「フューチャーセンター」です。フューチャーセンターとは、変革を起こすためのワークプレイスで、中長期的な課題解決に向けて関係者が集い、対話を通じてプロトタイピングなどに活用できる独立した場のことを言います。オランダ運輸水利管理省やデンマーク経営省のフューチャーセンターなど、内装にこだわった独創的な施設が有名です。ダイキン工業のテクノロジー・イノベーションセンターや富士フイルムのオープンイノベーションハブ、そして日立の東京社会イノベーション協創センタなど、日本の企業でも同様の取り組みが始まっていますね。

実は私は現在、フューチャーセンター・アライアンス・ジャパン(FCAJ)の代表理事も務めているのですが、日立を含め、フューチャーセンターのような場を持つ約30の企業や官庁、自治体、大学、NPOなどが集まって、イノベーションを創造する環境の活用について研究を進めているところです。自社だけではなかなか場の活用が進まない中、組織の枠を越えた連携により、互いの場をうまく活用しながら、イノベーションの方法論を研究し、実践的な取り組みをしていこうという狙いです。

このFCAJの役割は三つあって、一つ目は多様な当事者が集まることでオープンイノーべションを促進することにあります。二つ目が実際にプロトタイピングをして、ソリューションを促していく場としての機能を持つこと。そして三つ目が、ユーザーや顧客を中心とした社会実験をしていくリビングラボとしての機能を備えることをめざしています。

ちなみに、リビングラボというと、よく「実証実験ですね」と言われるのですが、それは大きな間違いです。実証実験とは企業や国がつくった計画や技術が使えるかどうか実証することで、あくまでも主体は提供側です。一方、リビングラボの主役は使う側であるユーザーで、ユーザーを観察対象とするだけでなく、開発の段階から巻き込んで継続的に試行錯誤していくプロセスを指します。この手法は今、ヨーロッパを中心に広がっていて、我々もENoLL(European Network of Living Labs)などとも関係を持ちながら、その最適なモデルを模索しているところです。

画像: デザイン思考の実践に欠かせない「場」の存在

ーー具体的に、そうした場によって生み出された成功事例はありますか?

紺野
ドイツのソフトウェア会社SAPは、まさに場の活用とデザイン思考により、顧客のニーズに十分に応えられていない、という危機を回避できた会社の一つです。第1回で紹介したように、SAPの創業者の一人であるハッソ・プラットナー氏はd.スクールの創設者ですが、d.スクールの開設とともに、社内でデザイン思考の教育用のプログラムを組んで、そのノウハウに通じたエバンジェリストを30名ほど選んで、社内にデザイン思考を浸透させていきました。その際、デザイン思考の拠点をドイツ本社に置くのではなく、遠く離れたシリコンバレーのイノベーションセンターに設置して、そこからエバンジェリストを派遣して全社に展開させていったのです。デザイン思考のための新しいゾーンをつくって、本流の経営とは別のレイヤーで取り組んだところに成功の秘訣があると思います。

なぜなら、デザイン思考を進めるうえで、独自のアイデンティティを確立できる独立した場が不可欠だからです。しかも、デザイン思考が次の時代のビジネスモデルの構築と深く関わるためには、トップの関与が欠かせません。新しいことを始める際には必ず抵抗がありますから、本社の本流の部門とは別のゾーンに温存しつつ、トップダウンで進めないとなかなかうまく進まないのです。

ちなみにSAPの現在の成功を支えている「SAP HANA®」というインメモリのデータベースは、同社のデザイン思考の拠点となったシリコンバレーで開発されたものだと言われます。こういった新たなアーキテクチャの採用には、組織が柔軟でなければならない。もしそれまでに社員がデザイン思考の教育を受けていなかったら、こういった新たな取り組みを受け入れることが困難だったかもしれない、と思うのです。

また、SAPのプログラマーたちは、単に依頼されたプログラムを書くのではなく、デザイン思考のプロセスの中で顧客との協業により多くの時間をかけ、プログラミングそのものはアジャイル開発で素早く進めているといいます。

デザイン思考に取り組む日本企業へ

ーーデザイン思考を進めるうえでのタイムスケジュールについてはいかがでしょうか?

紺野
まず、何の目的でデザイン思考を始めるのかという議論の時間がどうしても必要になります。そこは企業ごとに違うとは思いますが、それほど長くかける必要はありません。その後、実際にデザイン思考に取り組むことになるわけですが、一つのプログラムをだいたい3カ月から半年といった期間で進めることになります。ただし、内容に応じて、ワークショップの回数などは異なってきます。当然、ファシリテーターの人件費や場の創出にも費用がかかりますから、コストとスケジュールを睨みながら、どのようなプログラムで進めていくのか設計していく必要があります。

ーー独立した場が必要であるように、専任の組織や人材も必要ですね?

紺野
そうですね。しかもトップダウンで人選して、進めていくことが肝要です。また、その人材の資質としては、トップの意向や戦略に通じ、業界なり社会の問題を根本から解決したいと思っているような志の高いイノベーターであるべきだと思います。イノベーションを加速させる、いわゆるアクセラレータですね。そういう人は特に声が大きいわけではなく、そうかといって目立ちたがり屋でもなく、前向きに課題に取り組めるプロフェショナルが望ましいと思います。

ちなみに、このアクセラレータは必ずしも、手慣れたファシリテーターでないほうがいいと思っています。プロのファシリテーターは型ができていて、どうしても予定調和的に話を終わらせがちですからね。

ーーここまでお話を伺ってきて、日立を含めて、すでにデザイン思考を取り入れている企業が多いとはいえ、一筋縄ではいかないな、という印象を受けました。今後、デザイン思考に取り組もうとしている日本企業に向けたアドバイスをお願いします。

紺野
デザイン思考というとアメリカ発の方法だと思っている人が多いと思いますが、実はかなり日本のクリエイティビティから影響を受けているんですよ。協業しながら創造する、というのも日本企業のお家芸でしたが、システム化され逆輸入されている要素もある。かつてイギリス人デザイナー、故ビル・モグリッジ氏が日本に来たときには、日本のデザインにいたく感心していました。その一つが神社の御手水で、説明書きなど何もなくても、手を清め、心を洗う儀式の場であるということが一目でわかる、と言って感嘆していました。日本人はそういうセンスを持ち合わせているのですが、企業は効率性重視で走ってきてしまった。ですから、日本のクリエイティビティを見直すことがデザイン思考を進める上での一つのポイントになるのではないでしょうか。

デザイン思考は、単に何かモノや仕組みをデザインする方法、というだけでなく、対象の観察あるいは顧客と暗黙知を共有し、概念化し、協業をベースにして、試行錯誤しながら複雑な問題に取り組む、日々の態度や知的習慣ともいってよいものです。いずれにしても、もはや20世紀のやり方を踏襲して、新しい製品を開発し、顧客に提供しようという考え方でやっていくことはできません。そうした中で、CSR(企業の社会的責任)やCSV(共有価値の創造)という概念が生まれ、さらにそれらを超えて、社会の変化そのものがイノベーションの源泉であるとして、従来の経済や企業活動のリデザインが進められています。シェアリングエコノミーやコラボラティブエコノミーと呼ばれる新しいエコシステムが出てきているのも、そうした背景からです。

そういった意味で、1957年からデザイン研究所を設置し、いち早くデザイン思考を研究開発や経営に取り入れるなどして実績を上げ、現在、社会課題の解決に向けて社会イノベーションを進めている日立には、大いに期待しています。その際に、あくまでも人間中心の発想で、人間も社会も両方視野に入れながら、社会のリデザインにつなげていただきたいですね。

(取材・文=田井中麻都佳/写真=秋山由樹/撮影場所=株式会社 日建設計 Nikken Activity Design Lab)

画像: デザイン思考に取り組む日本企業へ
画像: 紺野 登 氏 多摩大学大学院 経営情報学研究科 教授。一般社団法人 Japan Innovation Network 代表理事。 一般社団法人フューチャーセンター・アライアンス・ジャパン(FCAJ)代表理事。KIRO株式会社(Knowledge Innovation Research Office)代表。 早稲田大学理工学部建築学科卒業、博士(経営情報学)。組織や社会の知識生態学(ナレッジエコロジー)をテーマに、リーダーシップ教育、組織変革、研究所などのワークプレイス・デザイン、都市開発プロジェクトなどの実務にかかわる。またFCAJやトポス会議(World Wise Web)などを通じてイノベーションの場や世界の識者のネットワーキング活動を行っている。2004年〜2012年グッドデザイン賞審査員(デザインマネジメント領域)。著書に『ビジネスのためのデザイン思考』、『知識デザイン企業』、『知識創造経営のプリンシプル』(野中郁次郎氏との共著)などがある。

紺野 登 氏
多摩大学大学院 経営情報学研究科 教授。一般社団法人 Japan Innovation Network 代表理事。
一般社団法人フューチャーセンター・アライアンス・ジャパン(FCAJ)代表理事。KIRO株式会社(Knowledge Innovation Research Office)代表。
早稲田大学理工学部建築学科卒業、博士(経営情報学)。組織や社会の知識生態学(ナレッジエコロジー)をテーマに、リーダーシップ教育、組織変革、研究所などのワークプレイス・デザイン、都市開発プロジェクトなどの実務にかかわる。またFCAJやトポス会議(World Wise Web)などを通じてイノベーションの場や世界の識者のネットワーキング活動を行っている。2004年〜2012年グッドデザイン賞審査員(デザインマネジメント領域)。著書に『ビジネスのためのデザイン思考』、『知識デザイン企業』、『知識創造経営のプリンシプル』(野中郁次郎氏との共著)などがある。

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