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日本における「知識創造」および「デザイン思考」の第一人者として、1990年代から両者の切り口で数多くの研究と実践を手がけてきた多摩大学大学院教授の紺野登氏。その紺野氏に、ITの進展を背景に激変する時代の中で、新しい経営の方法論として注目を集める「デザイン思考」について、その真価と経営に与えるインパクト、そしてデザイン思考を取り入れた経営のポイントについて聞く。

イギリスに端を発し、シリコンバレーで開花したデザイン思考

ーー近年、ビジネスの現場でデザイン思考が着目されていますが、紺野先生は20年以上も前にデザイン思考を日本へ紹介され、これまで数多くの企業とともに実践的な取り組みをされてきました。まずは、デザイン思考が登場した歴史的背景を踏まえつつ、紺野先生とデザイン思考の出合いについてお聞かせください。

紺野
「デザイン思考」(design thinking)という言葉が広く認知されるようになったのは、2005年に、イノベーションを実現するデザインコンサルティングを手がける米シリコンバレーの企業、IDEOの創業者の一人であるスタンフォード大学教授のデイビッド・ケリー氏らが、同大学内に“Hasso Plattner Institute of Design at Stanford”、通称「d-school(d.スクール)」を創設したのがきっかけだと思います。IDEOは以前からデザイン思考をイノベーションの核に据えており、それに目をつけたドイツのソフトウェア会社SAPの共同創設者、ハッソ・プラットナー氏がデザイン思考を広めるべく、寄付によって実現した領域横断型のプロジェクトがd.スクールです。ここでは、さまざまな分野の学生が集まって、企業とのコラボレーションを通じて新しいビジネスアイデアやテクノロジーの活用ためのプロトタイプを生み出す試みをしています。そのプロセスにデザイン思考が用いられているのです。このあたりから、日本でもデザイン思考が注目を集めるようになり、ここ10年ほどで浸透してきました。

実はIDEOの共同創業者で、ラップトップパソコン(Grid Compass)をデザインしたことで知られるイギリス人デザイナーであるビル・モグリッジ氏(2012年没)が私の友人で、以前から彼に日本企業を紹介したり、IDEOにおいてさまざまなプロジェクトを一緒に行ったりするなど親交があり、早くから彼らが実践してきたデザイン思考に触れる機会もありました。

一方、もともと私は建築学科の出身で、建築計画の方法論を思考のバックグラウンドに、経営学者である野中郁次郎先生の知識創造論に強い影響を受けて、野中先生とともに知識創造の方法論を探ってきました。そうした経緯から、知識創造の考え方とデザイン思考(デザイナーの思考過程)を融合させた「デザインマネジメント」という概念を紹介したのが、1992年のことです(『デザインマネジメント』日本工業新聞社)。これに先駆けて、1990年にはフィナンシャルタイムズの記者のクリストファー・ローレンツ氏が執筆した『デザインマインドカンパニー』の翻訳を手がけるなど、日本へデザイン思考を広める活動を行なっていました。

画像: イギリスに端を発し、シリコンバレーで開花したデザイン思考

さて、ではなぜ、デザイン思考が生まれてきたのか。その経緯を紐解くには、さらに時間を20年ほど遡らなくてはなりません。発端は、1970年代のイギリスにおける製造業の沈滞にあります。そうした危機的状況下において、1980年代のサッチャー政権下で製造業復権のために見直されたのがデザインでした。19世紀末のアーツ&クラフツ運動に見るようなイギリスの伝統であるクラフトマンシップをいま一度産業に取り入れて、デザインへの投資を行うことで、新たな製造業へのアプローチを試みたのです。こうした機運の高まりが、ビル・モグリッジ氏のような逸材を育てることにつながりました。その後もアップル社のジョナサン・アイブ氏や、ジェームズ・ダイソン氏のようなデザイナーを輩出していますね。

そうした中、最初に書籍のかたちでデザイン思考を提示したのが、ハーバード大学建築学科の学科長で、『デザインの思考過程』(1987年)を記した建築家のピーター・G・ロウ氏でした。なお、このロウ氏の考え方のベースの一つが、1978年にノーベル経済学賞を受賞したハーバート・A・サイモン氏の著書、『システムの科学』(1969年)です。この本は、デザインが人工物のデザインだけでなく社会システムにまで応用できるとして、デザインの方法論を大きく拡張したことで知的革命を巻き起こしました。以後、デザインに対する研究が加速していくことになるのです。

デザイン思考は、やがてシリコンバレーで開花することになります。その名の通り、シリコンバレーはかつて半導体メーカーの集積地でしたが、次第にソフトウェアやインターネット関連などのハイテク企業が創業するようになり、IT産業の一大集積拠点となっていました。そのシリコンバレーの企業の多くが、80年代以降、革新的デバイスやソフトウェア、インターネットサービスのデザインといった、従来の製品デザインの枠では捉えられない製品やサービスのデザインの必要性に迫られることになった。つまり、新しい技術と人間のインタラクションをどう生み出すのか、という問題に直面したわけです。そうした中でビル・モグリッジ氏らの活躍の場が生まれ、これがシリコンバレーおよびスタンフォードのエンジニアリングの伝統と結びつくかたちで体系化されていくのです。

ちなみに、1980年代のデザインブームは日本にも影響を及ぼし、1989年には当時の通商産業省(現・経済産業省)の主導のもと、同年が「デザインイヤー」に位置づけられ、名古屋で世界デザイン博覧会が開催されるなど、デザインが産業の駆動力の一つとして重視されるようになっていきました。

20世紀のデザインと21世紀のデザインの違い

ーーただ、デザインと聞くと、やはり色やかたちのデザインという、従来の概念を思い浮かべてしまう人が多いのではないかと思います。デザイン思考におけるデザインとは従来のそれとは異なるのですよね?

紺野
ええ、違います。通常、我々がデザインと聞いて思い浮かべるのは20世紀のデザインですが、21世紀のデザインとの最大の違いは、対象が変わったことにあります。工業社会であった20世紀のデザインは、いわゆるプロダクトやグラフィック、建築などタンジブルな(実体がある)アーティファクト(人工物)を対象としてきました。一方、21世紀のデザインは経験やプロセス、システムなど、目に見えにくいものを対象としています。つまり今の時代に求められているのは、知識社会における知識のデザインであるということです。

そもそもデザインが大きく脚光を浴びるようになったのは、20世紀初頭のことです。既成概念や形式を否定することで社会文化運動にもなったロシア・アバンギャルドや、機能美をめざしたドイツのバウハウスなどの活動は、消費社会にアート、ひいてはデザインを登場させる契機となり、産業社会に大きな影響を与えました。また、アメリカのコマーシャリズムにおいて、デザインは消費者の欲望の喚起に大いに貢献します。例えば、ゼネラルモーターズ(GM)は、デザインを巧みに用いて買い替えの促進を行う「モデルチェンジ」というビジネスモデルの構築に成功しました。以後、デザインは消費社会を支える基盤であり続けてきたと言えます。

画像: 20世紀のデザインと21世紀のデザインの違い

ところが、1980年代に情報化社会が訪れると、これまでになかったものにかたちを与えるデザインが要求されるようになります。典型的なものがパソコンで使用される「マウス」です。最初に商業用にマウスのデザインを手がけたのは先述のIDEOですが、依頼を受けたデザイナーは、依頼を承諾してから、「ところでマウスって何だ?」と言ったという有名なエピソードがあります。これまで世の中に存在しなかったのですから、当然ですよね。その後はさらに、Webデザインや顧客とのインタラクティブなシステムのデザインなど、インタンジブルな(実体のない対象の)デザインがますます求められるようになっていきます。このように、デザイン思考で言うところの今日のデザインとは、モノをつくるためのデザインではない、ということです。もちろんモノが絡むことがありますが、本質は目に見えないプロセスや経験を生み出すためのデザインをすることにあります。

デザイン思考は時代とともに変化する

紺野
ここまでお話ししてきたように、デザイン思考とは、アーティストやデザイナーが持っているクリエイティビティを産業界に採り入れようとしてきた歴史の中から編み出された手法です。しかしそれは、時代の要請とともに変化していくものであり、現状のデザイン思考はまだ途上にあると言っていいでしょう。今後、IoT(Internet of Things)や人工知能(AI)の進展によりさらに時代が大きく変化していく中で、人間の創造性がますます必要になってくるでしょう。そこで求められるのが新たな仕組みや仕掛けであり、その一つの有用な手段がデザイン思考だと私は考えているのです。

ーーその前提として、デザイナーが培ってきた考え方やスキル、アプローチの中に、時代の変化を生き抜き、イノベーションを生み出す力がある、と見ているのですね?

紺野
ええ。ここで言うデザイナーとは、伝統的なデザイン学校で工業デザイン教育を受けた人という狭い概念ではなくて、アーティストやクリエイター、建築家なども含めた広い意味での人材や能力です。デザインする力、ビルディングする力、アイデアを生み出し、それを発信する能力を携えた人を指します。もちろん、色やかたちについて学ぶことも重要ですが、デザイン思考で重要なのは、色やかたちを扱うための背後にある方法論や考え方、思考プロセス、対象へのアプローチにあります。時代がモノからコトへ移ってきた中で、コトのデザインに関してもデザイナーの手法が大いに役立つというわけです。

一方で、デザイナーの思考はこれまでブラックボックスだと思われてきました。直感的にパッと思いついて表現したように思えるし、そこに至る思考はロジカルでないことが多い。この飛躍しているように見える思考プロセスをいかに捉えればいいのか、というところに課題がありました。しかし、デザイン思考の研究が進み、体系化される中で、決して彼らの思考がブラックボックスではないということがわかってきたのです。しかも、それは誰もが持っている人間の本質的な能力だと考えられるようになってきた。だからこそ、d.スクールが誕生し、現在のデザイン思考の浸透へとつながっているのでしょう。

画像: デザイン思考は時代とともに変化する

現在、ITサービス企業の中で、デザイン思考を取り入れていない会社はほとんどないでしょう。ITの進展により、モノからコトへ仕組みやシステムが変わっていく中で、新しい方法論が模索され、その一つにデザイン思考が用いられています。その背景には、リーマンショックの後、ますます先行きが不透明になった時代において、ビジネスのあり方が大きく変貌し、最近よく指摘されているように、従来のビジネススクールで教えられてきたような経営学の手法が陳腐化して使えなくなってきているということも関係しています。そして、仮説を立てて、その仮説の中で新しいビジネスモデルを構築し、トライアルしながら俊敏に軌道修正(ピヴォッティング)していく手法が求められている。そこに、デザイン思考が大いに役立つのです。

(取材・文=田井中麻都佳/写真=秋山由樹/撮影場所=株式会社 日建設計 Nikken Activity Design Lab)

画像: 紺野 登 氏 多摩大学大学院 経営情報学研究科 教授。一般社団法人 Japan Innovation Network 代表理事。 一般社団法人フューチャーセンター・アライアンス・ジャパン(FCAJ)代表理事。KIRO株式会社(Knowledge Innovation Research Office)代表。 早稲田大学理工学部建築学科卒業、博士(経営情報学)。組織や社会の知識生態学(ナレッジエコロジー)をテーマに、リーダーシップ教育、組織変革、研究所などのワークプレイス・デザイン、都市開発プロジェクトなどの実務にかかわる。またFCAJやトポス会議(World Wise Web)などを通じてイノベーションの場や世界の識者のネットワーキング活動を行っている。2004年〜2012年グッドデザイン賞審査員(デザインマネジメント領域)。著書に『ビジネスのためのデザイン思考』、『知識デザイン企業』、『知識創造経営のプリンシプル』(野中郁次郎氏との共著)などがある。

紺野 登 氏
多摩大学大学院 経営情報学研究科 教授。一般社団法人 Japan Innovation Network 代表理事。
一般社団法人フューチャーセンター・アライアンス・ジャパン(FCAJ)代表理事。KIRO株式会社(Knowledge Innovation Research Office)代表。
早稲田大学理工学部建築学科卒業、博士(経営情報学)。組織や社会の知識生態学(ナレッジエコロジー)をテーマに、リーダーシップ教育、組織変革、研究所などのワークプレイス・デザイン、都市開発プロジェクトなどの実務にかかわる。またFCAJやトポス会議(World Wise Web)などを通じてイノベーションの場や世界の識者のネットワーキング活動を行っている。2004年〜2012年グッドデザイン賞審査員(デザインマネジメント領域)。著書に『ビジネスのためのデザイン思考』、『知識デザイン企業』、『知識創造経営のプリンシプル』(野中郁次郎氏との共著)などがある。

(第2回につづく)

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