「第1回:好き嫌い、野中郁次郎氏の場合。」はこちら>
「第2回:曖昧さを許容する。」
「第3回:特攻隊の生き残り。」はこちら>
「第4回:理論は明るく。」はこちら>
※ 本記事は、2024年2月26日時点で書かれた内容となっています。
叩き込まれた「theory construction」
楠木
野中先生は大学卒業後に入社された富士電機時代に、カリフォルニア大学バークレー校の大学院に留学されます。初めはMBAの取得が目的だったのですか。
野中
そうです。マスターコースを修了したら帰国する可能性もあったのですが、せっかくだからドクターコースに進んで勉強を続けたい。それで富士電機の先輩の奥住さんという方に相談したら、「いいよ。好きなことをやりなさい」と。
楠木
研究者の道に進もうと思われたきっかけは何だったのですか。
野中
僕の主専攻はマーケティングだったのですが、ドクターコースでは副専攻として経済学、社会学、心理学、オペレーションズリサーチ(計量分析)の中から1つ選ぶ必要がありました。僕は数学が苦手なので、経済学と計量分析には向いていない。心理学も分析の要素が大きいのでおそらく難しい。で、迷わず社会学を選びました。
その頃のバークレー校は、社会学では全米No.1と言われていて、新しい理論を提唱している有名な先生が何人もいました。中でも、僕の指導教員になった社会学の方法論の権威、アーサー・スティンチコーム先生からはtheory constructionを徹底的に叩き込まれました。theory construction――「理論は創るもの」という考え方です。当時の日本の経営学では「理論は解釈するもの」と考えられていましたから、僕にとっては衝撃でした。
楠木
それが、野中先生にバシッとハマったと。
野中
ハマった。経済学や心理学がサイエンス化していったのに対し、社会学は曖昧な学問です。だから一番自分に向いているはずだと思ったんです。同時に、曖昧さから本質を洞察する。
楠木
先生は基本的に曖昧さを許容するタイプですね。
野中
それは確かにあります。
楠木
で、成り行きや偶然で出合った学問を、必ずものにしてから次に進まれている。これが野中先生らしさだと思うんです。
駆け寄ってきた2人
楠木
1974年、アメリカ帰りの野中先生は独自の理論『組織と市場』を出版されます。「理論は解釈するもの」とされていた当時の日本の経営学界に、相当な波紋を呼んだんじゃないですか。
野中
南山大学経営学部の助教授だった1975年に組織学会に登壇したら、発表を終えた僕のところに2人の若い研究者が駆け寄って来て「一緒に研究しましょう!」と誘われました。それが、当時神戸大学にいた加護野忠男さん(現・同名誉教授)と慶應義塾大学にいた奥村昭博さん(現・同名誉教授)でした。その後に楠木さんの恩師である榊原清則さん(慶應義塾大学名誉教授、故人)も加わり、のちに4人で『日米企業の経営比較』(日本経済新聞社)を出版しました。
楠木
それ、面白いエピソードですね。加護野さんも奥村さんも、どちらかと言うと定性的なアプローチをなさる方です。しかも皆さん、所属の大学も違う。曖昧さを許容する野中先生の人柄の本質がにじみ出ています。
体育会系の研究スタイル
楠木
『知識創造企業』以降の野中先生のご著書には、哲学的な要素も多分に含まれています。一番影響を受けた哲学者はだれですか。
野中
アメリカに留学したときに多少、哲学をかじっていました。そのときにフッサールの現象学(※)という学問を知って、これが自分に一番フィットするなと。直接経験することで得られる知識――言わば「身体知」を重視する学問だからです。
※ Phenomenology:オーストリアの哲学者、エトムント・フッサール(1859~1938)が基礎を作り、デカルト以来の観念論に対して、人間の主観、共感、直観が科学の基礎であることを探究した。
僕が『知識創造企業』で提唱した「暗黙知」と「形式知」は、あくまでもそれぞれ知識の一側面であって、対立項ではありません。この2つは、グラデーションで地続きなんです。知識創造プロセスも、何かに共感する――つまり身体で感じる「暗黙知」が先で、頭で考える「形式知」は後。そういう意味では、僕はもっぱら体育会系なんです。何を研究するにしても、まずは現場に行って、実際に体験してみる。理論の構築はその後です。
一見相反する二項を、動く現実の流れのただ中で、綜合することで新しい価値が生まれる。それがイノベーションです。このことを最近では「二項動態」と呼んでいます。
これにちょっと似ている理論が、「知の深化」と「知の探索」でイノベーションを生む「両利きの経営」です。提唱者のチャールズ・オライリーとは、実はドクターコースの同期でした。互いにハーバードやシカゴへの対抗意識を燃やしながら研究を続け、今日に至っています。ただ、オライリーは知の源泉である暗黙知には注目していません。
日本語で考え、英語でも発信する
楠木
野中先生は一貫して「グローバルに発信すること」を研究の基準にされてきたと思います。それも、論文のように学術的なものならいざ知らず、『知識創造企業』にしても『ワイズカンパニー』にしても英語版を出版されている。理論を考えるときは日本語ですか?
野中
そうです。
楠木
野中先生の理論って、英語ですぱすぱっと説明できるような内容じゃないと思うんです。でも敢えて、必ず英語でも発信する。結果、グローバルで認められている。ある意味、一番難しい道を選択されていますよね。
野中
結果としてはそうなっていますね。あとはやっぱり、アメリカの大学院で学んだということも大きかったんじゃないですかね。
楠木
今でこそ、大企業の組織体制のように完全に分業化されたアメリカの経営学界ですが、『知的創造企業』が世に出た1990年代はまだ、いろいろなフォーマットでの研究が許容されていたと思うんです。本質的な議論をしている研究者をみんなが注目する――そんなゆとりが当時のアメリカにはあったかもしれない。
野中
ありましたね。当時は日本的経営が世界で注目されていたことも、僕にとって幸運でした。研究者として具体的な長期計画があったわけではなく、そのときどきでやりたいことに集中していたら、偶然、世の中の動きにハマった。あなたとも似ているところがあるんじゃない?
楠木
全然レベルが違います。僕は現世ではtheory constructionは無理だったので、来世では挑戦してみようと思います。(第3回へつづく)
野中郁次郎(のなか いくじろう)
1935年東京都生まれ。1958年早稲田大学政治経済学部卒業。カリフォルニア大学バークレー校経営大学院にてPh.D,取得。現在、一橋大学名誉教授、日本学士院会員、中小企業大学校総長。2017年カリフォルニア大学バークレー校経営大学院より「生涯功労賞」を受賞。ピーター・F・ドラッカー伊藤雅俊経営大学院で特別スカラーも務めた。知識創造理論を世界に広めたナレッジマネジメントの権威として世界中のビジネスリーダーに多大な影響を与え、知識創造理論は多くの組織経営に応用されている。主な著書に『失敗の本質』(共著、ダイヤモンド社)、『知識創造企業』『ワイズカンパニー』(いずれも共著、東洋経済新報社)、『野性の経営』(共著、KADOKAWA)など多数。
楠木建(くすのき けん)
一橋ビジネススクールPDS寄付講座特任教授。専攻は競争戦略。一橋大学大学院商学研究科修士課程修了。一橋大学商学部専任講師、同助教授、ボッコーニ大学経営大学院(イタリア・ミラノ)客員教授、一橋大学大学院国際企業戦略研究科助教授、同ビジネススクール教授を経て2023年から現職。有名企業の経営諮問委員や社外取締役、ポーター賞運営委員(現任)などを歴任。1964年東京都目黒区生まれ。
著書に『絶対悲観主義』(2022年,講談社+α新書)、『逆・タイムマシン経営論』(2020年,日経BP,共著)、『「仕事ができる」とはどういうことか?』(2019年,宝島社,共著)、『室内生活:スローで過剰な読書論』(2019年,晶文社)、『すべては「好き嫌い」から始まる:仕事を自由にする思考法』(2019年,文藝春秋)、『経営センスの論理』(2013年,新潮新書)、『ストーリーとしての競争戦略:優れた戦略の条件』(2010年,東洋経済新報社)ほか多数。
楠木特任教授からのお知らせ
思うところありまして、僕の考えや意見を読者の方々に直接お伝えするクローズドな場、「楠木建の頭の中」を開設いたしました。仕事や生活の中で経験したこと・見聞きしたことから考えたことごとを配信し、読者の方々ともやり取りするコミュニティです。
この10年ほどX(旧・Twitter)を使ってきて、以下の3点について不便を感じていました。
・140字しか書けない
・オープンな場なので、仕事や生活経験の具体的な中身については書きにくい
・考えごとや主張をツイートすると、不特定多数の人から筋違いの攻撃を受ける
「楠木建の頭の中」は僕のXの拡張版というか裏バージョンです。もう少し長く書ける「拡張版」があれば1の問題は解決しますし、クローズドな場に限定すれば2と3の不都合を気にせずに話ができます。加えて、この場であればお読みいただく方々に質問やコメントをいただき、やりとりするのも容易になります。
不定期ですが、メンバーの方々と直接話をする機会も持ちたいと思います。
ビジネスや経営に限らず、人間の世の中について考えることに興味関心をお持ちの方々のご参加をお待ちしております。DMM社のプラットフォーム(月額500円)を使っています。
お申し込みはこちらまで
https://lounge.dmm.com/detail/2069/
ご参加をお待ちしております。
シリーズ紹介
楠木建の「EFOビジネスレビュー」
一橋ビジネススクール一橋ビジネススクールPDS寄付講座特任教授の楠木建氏の思考の一端を、切れ味鋭い論理を、毎週月曜日に配信。
山口周の「経営の足元を築くリベラルアーツ」
山口周氏をナビゲーターに迎え、経営者・リーダーが、自身の価値基準を持つための「リベラルアーツ」について考える。
協創の森から
社会課題の解決に向けたビジョンの共有を図る研究開発拠点『協創の森』。ここから発信される対話に耳を傾けてください。
新たな企業経営のかたち
パーパス、CSV、ESG、カスタマーサクセス、M&A、ブロックチェーン、アジャイルなど、経営戦略のキーワードをテーマに取り上げ、第一人者に話を聞く。
Key Leader's Voice
各界のビジネスリーダーに未来を創造する戦略を聞く。
経営戦略としての「働き方改革」
今後企業が持続的に成長していくために経営戦略として取り組むべき「働き方改革」。その本質に迫る。
ニューリーダーが開拓する新しい未来
新たな価値創造に挑む気鋭のニューリーダーに、その原動力と開拓する新しい未来を聞く。
日本発の経営戦略「J-CSV」の可能性
日本的経営の良さを活かしながら利益を生み出す「J-CSV」。その先進的な取り組みに迫る。
ベンチマーク・ニッポン
日本を元気にするイノベーターの、ビジョンと取り組みに迫る。
デジタル時代のマーケティング戦略
マーケティングにおける「デジタルシフト」を、いかに進めるべきか、第一人者の声や企業事例を紹介する。
私の仕事術
私たちの仕事や働き方の発想を変える、膨らませるヒントに満ちた偉才たちの仕事術を学ぶ。
EFO Salon
さまざまな分野で活躍する方からビジネスや生活における新しい気づきや価値を見出すための話を聞く。
禅のこころ
全生庵七世 平井正修住職に、こころを調え、自己と向き合う『禅のこころ』について話を聞く。
岩倉使節団が遺したもの—日本近代化への懸け橋
明治期に始まる産業振興と文明開化、日本社会の近代化に多大な影響を及ぼした岩倉使節団。産業史的な観点から、いま一度この偉業を見つめ直す。
八尋俊英の「創造者たち」~次世代ビジネスへの視点~
新世代のイノベーターをゲストに社会課題の解決策や新たな社会価値のつくり方を探る。