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一橋大学名誉教授 野中郁次郎氏/一橋ビジネススクールPDS寄付講座特任教授 楠木建氏
アメリカ留学から帰国後、研究者として歩み出した若き日の野中郁次郎 一橋大学名誉教授。その後の防衛大学校や北陸先端科学技術大学院大学への着任のエピソードを通じて、野中氏の研究のモチベーションのありかを楠木建特任教授が探っていく。

「第1回:好き嫌い、野中郁次郎氏の場合。」はこちら>
「第2回:曖昧さを許容する。」はこちら>
「第3回:特攻隊の生き残り。」
「第4回:理論は明るく。」はこちら>

※ 本記事は、2024年2月26日時点で書かれた内容となっています。

名著『失敗の本質』の舞台裏

楠木
野中先生はどんな本を好んで読まれますか。研究室では本を読んでいらっしゃる姿をよく拝見するのですが。

画像: 楠木建氏

楠木建氏

野中
やっぱり戦記物が好きですね。

楠木
名著中の名著、『失敗の本質』を1984年に出版されていますが、戦記物を読むようになったきっかけもその辺りにあるのでしょうか。

野中
もともとは企業の失敗事例について研究したかったんです。でも、さすがに企業が協力したがらない。それで、富士電機でお世話になった先輩の奥住さんに話したら、「戦争のデータなら、防衛大学校にあるだろう」と。実は奥住さんは、当時防衛大学校長だった政治学者の猪木正道先生(1914~2012)の教え子でした。

で、戦争のデータを研究に使わせていただけないかお願いするために、奥住さんに連れられて猪木先生のご自宅に伺うことになったんです。そうしたら奥さまが手料理を振舞ってくださるほどの歓待ぶりで、猪木先生も「君に協力しよう」と快諾してくださいました。で、最後帰りがけにこう言われたんです。「ついては、うちの大学の一員になりなさい」。

画像: 野中郁次郎氏

野中郁次郎氏

思ってもみなかったことなのですが、ごちそうになっているので、その場では「わかりました」と答えました。そのあといろいろな知人に相談したら「やめたほうがいい」という声が多くて、どうしたもんかと。最終的には、例の奥住さんの「武士に二言はない」の一言で防衛大に行くことになったんです。

楠木
なるほど、そういう経緯だったんですね。

「四人組」と「一宿一飯の恩義」

楠木
野中先生は防衛大学校のあと一橋大学にしばらく在籍されますが、1995年から5年間、北陸先端科学技術大学院大学で教鞭を執られていたことがあります。何か長期的な計画があっての転出だったのですか。

野中
それもたまたまなのですが、布石はありました。

1986年に、当時僕が所属していた産業経営研究所(現・一橋大学イノベーション研究センター)のトップだった今井賢一先生が一橋大学の学長選挙に立候補したんです。教授陣からの信望が厚く立派な方なので、「間違いなく当選する」と僕たちは信じていました。ところが投票当日、学生に拒否されてしまった。当時の一橋大学の学長選挙では、学生に拒否権があったんです。

僕たち研究所のメンバーは憤慨しました。で、同僚だった竹内弘高さん(現・ハーバード大学経営大学院シニアフェロー)、米倉誠一郎さん(元・法政大学経営大学院イノベーション・マネジメント研究科教授)、そして榊原清則さんと協力して、「学生諸君に告ぐ」というビラを書いて配ったんです。そうしたら学生たちが反論しに来て、我々を「四人組」呼ばわりして「一橋を去れ」と迫った。

そのとき「四人組」を唯一「尊敬に値する」と評した教員が、ちょうど学長を務めていた歴史学者の阿部謹也先生でした。それからしばらく経ったある日、阿部先生から「話がある」と呼ばれたんです。「今度北陸に新設される国立大学に、一橋からだれか出そうという話になっている。一度、一緒に見学に行きませんか」――。で、一緒に大学を見に行った日に、阿部先生にごちそうになりました。予感はしていたんですが、案の定、そのあと「野中さん、北陸に行ってくれますか」と。で、行かざるを得なくなった。一宿一飯の恩義を感じていましたから。防衛大学校に行ったときと同じパターンです。

画像: 「四人組」と「一宿一飯の恩義」

人間の善・悪の極致

楠木
先生は今でも組織論を研究する上で、軍事組織を1つのアーキタイプとして用いることが多いですよね。なぜ、戦争に興味を持たれたのですか。

野中
人間の善と悪が極限状態にある――それが戦争だと思うんです。国のために命を懸けるという意味では善行と言えるかもしれない。けれど、殺人という行為は明らかに悪行です。その矛盾した極限状態に、人間はどう思考し、どう行動するのか。戦争を研究する意義は非常に大きいと思います。

楠木
野中先生は今も一橋ビジネススクールに足を運んでは読んで、考えて、勉強していらっしゃいます。そのモチベーションはどこから来るのですか。

画像1: 人間の善・悪の極致

野中
僕が世話になった人たちの多くは、特攻隊の生き残りなんです。富士電機時代の先輩の奥住さんは陸軍特攻隊として、台湾で待機していたときに終戦になった。それからSECI(セキ)モデル(※)を最初に採用してくださったエーザイ株式会社 代表執行役CEOの内藤晴夫さん、この方のお父さんは海軍特攻隊として霞ヶ浦で待機しているときに終戦になった。共同研究を行った奥村さんのお父さんは戦時中、特攻機としても使用された偵察機「新司偵」に乗っていた。

※ 共同化(Socialization)、表出化(Externalization)、連結化(Combination)、内面化(Internalization)というプロセスを経ることで組織に新たな知識を生み出す、組織的イノベーションのフレームワーク。

戦争で命を落とした人たち、死の一歩手前まで行った人たちの苦労に報いたい。国のために尽くしたい。――かっこよく言えば、ですけど。そんな気持ちがどうしてもあります。中でも特攻隊の方々には、やっぱり頭が上がらないんです。

僕は本所深川の生まれで、戦中は静岡県の富士市に疎開していました。東京に大空襲があった1945年の3月10日には、疎開先から見た東の空が真っ赤に見えた記憶があります。

1945年の6月頃にはこんなこともありました。太平洋上からやってきた米軍の空母が富士山めがけて右旋回して東京に向かうんですが、そのついでに駿河湾沿いの街に爆撃と機銃掃射をやっていったんです。僕はちょうど小学校からの下校途中で、木の下に隠れていた。そこにグラマンという艦上戦闘機が機銃掃射を仕掛けてきて、僕はびっくりして木の下から飛び出したんです。そうしたら、その木が倒れてしまった。幸いなんとか逃れたんですが、それを思い返すたびに、アメリカに対して「今に見ていろ」という感情が湧きおこってくる。それはどうしてもありますね。(第4回へつづく

画像2: 人間の善・悪の極致

「第4回:理論は明るく。」はこちら>

画像1: 野中郁次郎×楠木建 特別対談「理論は創るもの」―その3
特攻隊の生き残り。

野中郁次郎(のなか いくじろう)
1935年東京都生まれ。1958年早稲田大学政治経済学部卒業。カリフォルニア大学バークレー校経営大学院にてPh.D,取得。現在、一橋大学名誉教授、日本学士院会員、中小企業大学校総長。2017年カリフォルニア大学バークレー校経営大学院より「生涯功労賞」を受賞。ピーター・F・ドラッカー伊藤雅俊経営大学院で特別スカラーも務めた。知識創造理論を世界に広めたナレッジマネジメントの権威として世界中のビジネスリーダーに多大な影響を与え、知識創造理論は多くの組織経営に応用されている。主な著書に『失敗の本質』(共著、ダイヤモンド社)、『知識創造企業』『ワイズカンパニー』(いずれも共著、東洋経済新報社)、『野性の経営』(共著、KADOKAWA)など多数。

画像2: 野中郁次郎×楠木建 特別対談「理論は創るもの」―その3
特攻隊の生き残り。

楠木建(くすのき けん)
一橋ビジネススクールPDS寄付講座特任教授。専攻は競争戦略。一橋大学大学院商学研究科修士課程修了。一橋大学商学部専任講師、同助教授、ボッコーニ大学経営大学院(イタリア・ミラノ)客員教授、一橋大学大学院国際企業戦略研究科助教授、同ビジネススクール教授を経て2023年から現職。有名企業の経営諮問委員や社外取締役、ポーター賞運営委員(現任)などを歴任。1964年東京都目黒区生まれ。

著書に『絶対悲観主義』(2022年,講談社+α新書)、『逆・タイムマシン経営論』(2020年,日経BP,共著)、『「仕事ができる」とはどういうことか?』(2019年,宝島社,共著)、『室内生活:スローで過剰な読書論』(2019年,晶文社)、『すべては「好き嫌い」から始まる:仕事を自由にする思考法』(2019年,文藝春秋)、『経営センスの論理』(2013年,新潮新書)、『ストーリーとしての競争戦略:優れた戦略の条件』(2010年,東洋経済新報社)ほか多数。

楠木特任教授からのお知らせ

思うところありまして、僕の考えや意見を読者の方々に直接お伝えするクローズドな場、「楠木建の頭の中」を開設いたしました。仕事や生活の中で経験したこと・見聞きしたことから考えたことごとを配信し、読者の方々ともやり取りするコミュニティです。
この10年ほどX(旧・Twitter)を使ってきて、以下の3点について不便を感じていました。

・140字しか書けない
・オープンな場なので、仕事や生活経験の具体的な中身については書きにくい
・考えごとや主張をツイートすると、不特定多数の人から筋違いの攻撃を受ける

「楠木建の頭の中」は僕のXの拡張版というか裏バージョンです。もう少し長く書ける「拡張版」があれば1の問題は解決しますし、クローズドな場に限定すれば2と3の不都合を気にせずに話ができます。加えて、この場であればお読みいただく方々に質問やコメントをいただき、やりとりするのも容易になります。
不定期ですが、メンバーの方々と直接話をする機会も持ちたいと思います。
ビジネスや経営に限らず、人間の世の中について考えることに興味関心をお持ちの方々のご参加をお待ちしております。DMM社のプラットフォーム(月額500円)を使っています。

お申し込みはこちらまで
https://lounge.dmm.com/detail/2069/

ご参加をお待ちしております。

楠木健の頭の中

シリーズ紹介

楠木建の「EFOビジネスレビュー」

一橋ビジネススクール一橋ビジネススクールPDS寄付講座特任教授の楠木建氏の思考の一端を、切れ味鋭い論理を、毎週月曜日に配信。

山口周の「経営の足元を築くリベラルアーツ」

山口周氏をナビゲーターに迎え、経営者・リーダーが、自身の価値基準を持つための「リベラルアーツ」について考える。

協創の森から

社会課題の解決に向けたビジョンの共有を図る研究開発拠点『協創の森』。ここから発信される対話に耳を傾けてください。

新たな企業経営のかたち

パーパス、CSV、ESG、カスタマーサクセス、M&A、ブロックチェーン、アジャイルなど、経営戦略のキーワードをテーマに取り上げ、第一人者に話を聞く。

Key Leader's Voice

各界のビジネスリーダーに未来を創造する戦略を聞く。

経営戦略としての「働き方改革」

今後企業が持続的に成長していくために経営戦略として取り組むべき「働き方改革」。その本質に迫る。

ニューリーダーが開拓する新しい未来

新たな価値創造に挑む気鋭のニューリーダーに、その原動力と開拓する新しい未来を聞く。

日本発の経営戦略「J-CSV」の可能性

日本的経営の良さを活かしながら利益を生み出す「J-CSV」。その先進的な取り組みに迫る。

ベンチマーク・ニッポン

日本を元気にするイノベーターの、ビジョンと取り組みに迫る。

デジタル時代のマーケティング戦略

マーケティングにおける「デジタルシフト」を、いかに進めるべきか、第一人者の声や企業事例を紹介する。

私の仕事術

私たちの仕事や働き方の発想を変える、膨らませるヒントに満ちた偉才たちの仕事術を学ぶ。

EFO Salon

さまざまな分野で活躍する方からビジネスや生活における新しい気づきや価値を見出すための話を聞く。

禅のこころ

全生庵七世 平井正修住職に、こころを調え、自己と向き合う『禅のこころ』について話を聞く。

岩倉使節団が遺したもの—日本近代化への懸け橋

明治期に始まる産業振興と文明開化、日本社会の近代化に多大な影響を及ぼした岩倉使節団。産業史的な観点から、いま一度この偉業を見つめ直す。

八尋俊英の「創造者たち」~次世代ビジネスへの視点~

新世代のイノベーターをゲストに社会課題の解決策や新たな社会価値のつくり方を探る。

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