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日系企業にとって長期エンゲージメント株主になりうる投資家はだれか。楠木氏が着目するのは、かつて企業の経営に規律を与えていた、メガバンクの潜在能力だ。

「第1回:規律の源泉。」はこちら>
「第2回:ターゲット株主。」はこちら>
「第3回:建設的対話。」はこちら>
「第4回:みにくいアヒルから、ハクチョウへ。」
「第5回:スタートアップの誤解。」はこちら>

※本記事は、2023年5月12日時点で書かれた内容となっています。

日本の伝統的なメガバンクも、長期エンゲージメント株主としての役割を果たすべきだというのが僕の考えです。

かつて、日本の企業には強力なデットガバナンス(※)が効いていました。1980年代まで、銀行借入に対する企業の依存度は高く、金利も高かった。最大の債権者である銀行が、企業経営に規律を与えていたわけです。

※ 金融機関が借り手企業の経営を監視すること。

バブル崩壊後、銀行借入の依存度はどんどん低下します。今や、銀行には企業経営に対する発言力が昔ほどありません。1990年代以降、企業経営の新たなガバナンスの担い手となったのが株主でした。

長期エンゲージメント株主が経営の質の向上に寄与するためには、たくさんいる株主がワンボイスでまとまって経営者と対話する必要があります。さまざまな株主の利益を代用し、彼らを先導する役割を担う投資家をリード株主と言います。前回お話ししたValueAct Capitalは、セブン&アイ・ホールディングスに経営改善の提言を行うにあたり、ほかの株主にも呼び掛けてリード株主の役割を果たそうとしています。

銀行には政策保有株というものがあります。僕はこれを、アンデルセンの童話に出てくる「みにくいアヒルの子」と捉えています。――きょうだいと違った姿に生まれたアヒルのひなが周りからいじめられる。やがて大人になり傷心の放浪生活に出たアヒルがあるとき水に映る自分の姿を見たら、きれいなハクチョウだったという――あの寓話です。

銀行が政策保有株を持つ目的は、企業との取引関係の維持にあります。これがガバナンスの規律をゆがめる。企業の経営を甘やかしてしまう。政策保有株を解消すべきだという議論は、現在に至るまで幾度となくありました。

ここに、株主によるエンゲージメントという補助線を引くと、ちょっと違った景色が見えてきます。もし、金融機関が政策保有株を再定義して自らエンゲージメント投資家に脱皮すれば、ガバナンスに健全な規律を与え、上場企業の成長力や収益力の回復に貢献するんじゃないか。世の中から「みにくいアヒルの子」扱いされている政策保有株が、ハクチョウになる可能性があるんじゃないか――。

銀行はすでに大量の株を保有しています。しかも、株を持っている個別企業の経営の中身について、ほかのどの株主よりも圧倒的に豊かな知識を持っている。さらに、企業と長期にわたる取引関係で形成された信頼関係がある。経営者からすれば、いきなりファンドがやって来るよりもはるかにエンゲージメントを受け入れやすい。

政策保有株を本当のハクチョウにするためには、次の3つの条件を満たす必要があります。

第1の条件は仕分け。長期エンゲージメントに値する企業とそれ以外の企業とを仕分ける。エンゲージメントの価値がない企業の株は、ただの「みにくいアヒル」です。そういう株はどんどん売却していかないと、かえって資本市場の規律をゆがめてしまいます。

第2の条件は仕切り。仕分けをするにあたり、銀行内部で相当の抵抗が生じるはずです。内部のコンフリクトを乗り越えるには、従来の業務における法人取引業務の部隊と、特定の企業にエンゲージメントをかけていく部隊とをはっきり仕切る必要があります。

第3の条件が人材です。取引先の事情をよく知っているだけではなく、経営について深く知り、従来の金融業務とは違った能力を持つ人が、エンゲージメントの場に出ていく。

3つの条件が満たされれば、日本では金融機関が長期エンゲージメント株主になる可能性がある。これ、結構有効だと思うんです。これからの銀行は、以前ほど儲からなくなったデット(貸金)ではなく、エクイティ(株主資本)で儲けていく――充分あり得る話だと思います。

以前紹介した『会社という迷宮』という名著を書いた元・経営コンサルタントの石井光太郎さんが、金融機関との合弁でMFAという新しい会社を今年4月に立ち上げています。MFAがやろうとしているのはフィデューシャリー・エージェント事業。金融機関などの株主からの委託に基づき、投資先企業へのエンゲージメントを代理するというビジネスです。

銀行が企業の株を持っている。ある取引先については長期エンゲージメント株主になりうる。実りのある対話が生まれ、Win-Winの関係になるかもしれない――。ただ、エンゲージメントは独自の能力を必要とする領域なので、すぐにはできない。それを代理で行うのがMFAです。コンサルティングでもないし、エンゲージメント投資でもない。機関投資家と投資先企業をつなぐ、新しいカテゴリーの事業です。

MFAが意図しているのは、長期にわたる経営と株主による対話のオープンプラットフォームの構築です。特定の株主の利益のためにエージェントとしてがんがんエンゲージメントをかけるのではなく、マルチステークホルダーがMFAというプラットフォームに乗っかることができる。エンゲージメント対象となる企業に対しては、その会社が持つ本源的な価値に注目してアドバイスをしていく。金融機関に求められるエンゲージメント力を高めることで、株主としての金融機関の責任を後押しする。

石井さんのような元コンサルタントの人がこうした従来にはなかった業態を開拓することには大きな意義があります。日本では株主と経営者の関係が新しい段階に入りつつあると言ってよいでしょう。(第5回へつづく)

「第5回:スタートアップの誤解。」はこちら>

画像: 長期エンゲージメント株主の意義と役割―その4
みにくいアヒルから、ハクチョウへ。

楠木 建
一橋ビジネススクールPDS寄付講座特任教授。専攻は競争戦略。一橋大学大学院商学研究科修士課程修了。一橋大学商学部専任講師、同助教授、ボッコーニ大学経営大学院(イタリア・ミラノ)客員教授、一橋大学大学院国際企業戦略研究科助教授、同ビジネススクール教授を経て2023年から現職。有名企業の経営諮問委員や社外取締役、ポーター賞運営委員(現任)などを歴任。1964年東京都目黒区生まれ。

著書に『絶対悲観主義』(2022年,講談社+α新書)、『逆・タイムマシン経営論』(2020年,日経BP,共著)、『「仕事ができる」とはどういうことか?』(2019年,宝島社,共著)、『室内生活:スローで過剰な読書論』(2019年,晶文社)、『すべては「好き嫌い」から始まる:仕事を自由にする思考法』(2019年,文藝春秋)、『経営センスの論理』(2013年,新潮新書)、『ストーリーとしての競争戦略:優れた戦略の条件』(2010年,東洋経済新報社)ほか多数。

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