「第1回:規律の源泉。」はこちら>
「第2回:ターゲット株主。」はこちら>
「第3回:建設的対話。」はこちら>
「第4回:みにくいアヒルから、ハクチョウへ。」はこちら>
「第5回:スタートアップの誤解。」はこちら>
※本記事は、2023年5月12日時点で書かれた内容となっています。
市場メカニズムは人間社会にとって不可欠な基盤の1つだというのが僕の考えです。資本主義と市場メカニズムはセットで語られますが、原理的には別モノです。資本主義がより修正を強めて社会主義的な方向に進んで行くのは間違いないにしても、市場競争がなければ世の中はダメになります。
理由は2つあります。1つは、仕事の定義に関係しています。これまで繰り返し言ってきたように、仕事とは趣味ではないものであり、仕事でないものが趣味――これが僕の考えです。趣味は100%自分のためにやることですが、仕事は自分以外のだれかのためになって初めて成立する。商売で言えば、相手を儲けさせたあとに自分が儲ける。この順番が大切です。自分以外のだれかに価値を提供できて初めて、対価を得ることができる。
仕事である以上、市場の評価がすべてです。お客さまに評価してもらい、お客さまに選んでもらう。選ばれなかったらそれまで。ですから、仕事における自己評価には意味がない。自分がどんなに頑張ってつくって、いいものだと思っていても、お客さまがいいと思ってくれなければ何も得られません。自己評価は趣味の世界でのみ意味があります。
もう1つの理由として、市場は仕事に規律を与えてくれます。1つ目の理由と表裏一体にあることですが、人間にとって規律は絶対不可欠です。人間はその本性からして、間違いなく自分に甘い。必ず易きに流れていく。僕は人に対して結構甘いほうですが、自分にはもっと甘い。多かれ少なかれ人間とはそういうものです。市場競争は、経営にとって、仕事にとって、規律の源泉になる。
企業は3つの市場の評価にさらされています。第1が、製品やサービスの競争市場。これも再三申し上げてきたことですが、経営者の仕事とは競争の中で独自の価値をつくり、稼げる商売をつくることであり、経営を評価する際の最上の尺度は長期利益です。客をだます、従業員を泣かす、社会に迷惑をかける――刹那的には儲けることができても、これでは持ちません。長く儲かり続けるためにはどうしたらいいかを考え、製品やサービスをつくる。製品やサービスの評価は競争市場で決まります。
第2が労働市場です。企業は労働市場でも競争し、評価にさらされます。このところ、企業の賃金を上げるべきだという議論があらためて前面に出てきています。当たり前の話です。以前にもお話ししたように、僕が考える働き甲斐は2つしかありません。いい仕事と、いい給料。その人にとっていい仕事といい給料を与えられない企業は、労働市場の競争の中で淘汰されます。この当たり前のことが日本でもいよいよ現実になりつつあります。
今後の日本で、長期的な人手不足が続くことは間違いない。つまり、労働市場で需要が供給を上回る状況が続いていく。これは、長期的に見て非常にいいことです。労働市場からの規律が、経営に対してより強く働くからです。
僕は、技能実習生制度に反対の立場です。企業によっては、安い労働力を安直に調達することを目的にこの制度を採り入れているケースが少なくない。労働市場が企業にもたらすせっかくの規律を緩めていることにほかなりません。人手不足だからこそ、AIをはじめとするデジタル活用への投資が進むのに、それが阻害されてしまう恐れがある。
一定の教育を受けた上で、日本で仕事をしてキャリアをつくっていきたい――そう考える外国人は大歓迎です。日本人にも、例えばヨーロッパに渡ってキャリアを積んでいきたいという人が今も昔もいます。それと同じように考えている外国人は、どんどん日本に来ていただきたい。
その点で、日本の労働市場にはまだまだ可能性があると思うんです。10年前と比べると、日本で暮らしたいと考える人がはるかに増えているという実感が僕にはあります。
僕がミラノのボッコーニ大学で仕事をしていたときの同僚で、のちにミラノ大学の教授になったコッラード・モルテーニさんという人がいます。彼は一時期、大学の仕事と並行して在日イタリア大使館で学術文化担当アタッシェという仕事をして、日本にしばらく滞在していたこともあります。今年のゴールデンウイーク中に、ふと「そういえばモルテーニさん、今何してるのかな」と思ってネット検索してみたら、日伊両国の学術交流と相互理解の促進に寄与した功績で2022年に日本政府から旭日小綬章を受賞していました。「おめでとうございます。今どこにいるの?」。かなりひさびさにメールしてみると、こんな返信が来ました。「今はミラノにいるんだけど、いずれ日本に行こうかなと思っている。残りの人生は日本で過ごしたい――」。
僕が一橋ビジネススクールで担当していたMBAのプログラムは、学生の90%くらいが外国人です。日本で仕事をしたい、日本で暮らしたい――そう考える外国人は、一橋ビジネススクールができた2000年の頃と比べて本当に増えました。これこそ日本の潜在的な国力だと思うんです。
今回の本題は第3の評価の場所、すなわち資本市場です。資本市場からの規律も、経営にとって非常に大切です。経営者は株主とどう向き合うべきか。資本市場に対してどう構えるべきか。反対に、株主は経営に対してどのように規律を働かせるべきか。僕の考えをお話ししていきたいと思います。(第2回へつづく)
楠木 建
一橋ビジネススクールPDS寄付講座特任教授。専攻は競争戦略。一橋大学大学院商学研究科修士課程修了。一橋大学商学部専任講師、同助教授、ボッコーニ大学経営大学院(イタリア・ミラノ)客員教授、一橋大学大学院国際企業戦略研究科助教授、同ビジネススクール教授を経て2023年から現職。有名企業の経営諮問委員や社外取締役、ポーター賞運営委員(現任)などを歴任。1964年東京都目黒区生まれ。
著書に『絶対悲観主義』(2022年,講談社+α新書)、『逆・タイムマシン経営論』(2020年,日経BP,共著)、『「仕事ができる」とはどういうことか?』(2019年,宝島社,共著)、『室内生活:スローで過剰な読書論』(2019年,晶文社)、『すべては「好き嫌い」から始まる:仕事を自由にする思考法』(2019年,文藝春秋)、『経営センスの論理』(2013年,新潮新書)、『ストーリーとしての競争戦略:優れた戦略の条件』(2010年,東洋経済新報社)ほか多数。
楠木特任教授からのお知らせ
思うところありまして、僕の考えや意見を読者の方々に直接お伝えするクローズドな場、「楠木建の頭の中」を開設いたしました。仕事や生活の中で経験したこと・見聞きしたことから考えたことごとを配信し、読者の方々ともやり取りするコミュニティです。
この10年ほどTwitterを使ってきて、以下の3点について不便を感じていました。
・140字しか書けない
・オープンな場なので、仕事や生活経験の具体的な中身については書きにくい
・考えごとや主張をツイートすると、不特定多数の人から筋違いの攻撃を受ける
「楠木建の頭の中」は僕のTwitterの拡張版というか裏バージョンです。もう少し長く書ける「拡張版」があれば1の問題は解決しますし、クローズドな場に限定すれば2と3の不都合を気にせずに話ができます。加えて、この場であればお読みいただく方々に質問やコメントをいただき、やりとりするのも容易になります。
不定期ですが、メンバーの方々と直接話をする機会も持ちたいと思います。
ビジネスや経営に限らず、人間の世の中について考えることに興味関心をお持ちの方々のご参加をお待ちしております。DMM社のプラットフォーム(月額500円)を使っています。
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ご参加をお待ちしております。
シリーズ紹介
楠木建の「EFOビジネスレビュー」
一橋ビジネススクール一橋ビジネススクールPDS寄付講座特任教授の楠木建氏の思考の一端を、切れ味鋭い論理を、毎週月曜日に配信。
山口周の「経営の足元を築くリベラルアーツ」
山口周氏をナビゲーターに迎え、経営者・リーダーが、自身の価値基準を持つための「リベラルアーツ」について考える。
協創の森から
社会課題の解決に向けたビジョンの共有を図る研究開発拠点『協創の森』。ここから発信される対話に耳を傾けてください。
新たな企業経営のかたち
パーパス、CSV、ESG、カスタマーサクセス、M&A、ブロックチェーン、アジャイルなど、経営戦略のキーワードをテーマに取り上げ、第一人者に話を聞く。
Key Leader's Voice
各界のビジネスリーダーに未来を創造する戦略を聞く。
経営戦略としての「働き方改革」
今後企業が持続的に成長していくために経営戦略として取り組むべき「働き方改革」。その本質に迫る。
ニューリーダーが開拓する新しい未来
新たな価値創造に挑む気鋭のニューリーダーに、その原動力と開拓する新しい未来を聞く。
日本発の経営戦略「J-CSV」の可能性
日本的経営の良さを活かしながら利益を生み出す「J-CSV」。その先進的な取り組みに迫る。
ベンチマーク・ニッポン
日本を元気にするイノベーターの、ビジョンと取り組みに迫る。
デジタル時代のマーケティング戦略
マーケティングにおける「デジタルシフト」を、いかに進めるべきか、第一人者の声や企業事例を紹介する。
私の仕事術
私たちの仕事や働き方の発想を変える、膨らませるヒントに満ちた偉才たちの仕事術を学ぶ。
EFO Salon
さまざまな分野で活躍する方からビジネスや生活における新しい気づきや価値を見出すための話を聞く。
禅のこころ
全生庵七世 平井正修住職に、こころを調え、自己と向き合う『禅のこころ』について話を聞く。
岩倉使節団が遺したもの—日本近代化への懸け橋
明治期に始まる産業振興と文明開化、日本社会の近代化に多大な影響を及ぼした岩倉使節団。産業史的な観点から、いま一度この偉業を見つめ直す。
八尋俊英の「創造者たち」~次世代ビジネスへの視点~
新世代のイノベーターをゲストに社会課題の解決策や新たな社会価値のつくり方を探る。