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一橋ビジネススクール教授 楠木建氏
人的資本の考え方が求められるのは経営者ばかりではない。働く個人が持つべき構えも大切だと、楠木氏は説く。

「第1回:『資本』とは。」はこちら>
「第2回:豊かさの起源。」はこちら>
「第3回:オプションを持って働く。
「第4回:長期視点の回復。」はこちら>

※本記事は、2023年1月11日時点で書かれた内容となっています。

企業経営の目的は長期利益の創造であるというのが僕の考えです。長期で利益が出ていれば、雇用をつくれるし、労働分配もできるし、法人所得税も払える。SDGsのいの一番に掲げられている「貧困の撲滅」にしても、長期利益を創造できて初めて実現できる。長期利益の創造は、企業が成し得る最大の社会貢献です。僕がいつも経営者の方にお願いしているのは、とにかくシンプルに考えてくださいということです。どうやったら長期的に儲かるのか。余計なことを考えず、これを基準に判断し、行動してくださいと。

儲かる商売を経営者がつくらないことには話になりません。競争の中で長期利益を生み出すためには、「世の中はこうなっていくだろう」という将来予測ではなく、「我々はこうやって儲けていく」という戦略のストーリーを構想し、表明し、そのストーリーの上に従業員を乗せていく。これが経営者の仕事です。

従業員を人的資本と捉えると、経営者にとっては投資の対象ということになります。投資の基準は、経営者自らが構想する戦略ストーリーの実現に貢献するかどうか。生産設備や店舗への投資とまったく同じです。当然、どんな戦略のストーリーを描くかによって、求める人材のありようも変わってくる。客観的、普遍的に優秀な人材というものは本来あり得ない。

ここで重要なのが時間的な順番です。「1日8時間働いてくれたらいくら払います」という経営者は、従業員を単なる労働力としてしか見なしていません。従業員を人的資本と捉えているのなら、仕事よりも先に報酬を気前よく払うべきです。賃金だけではなく仕事そのものに関しても、「いい仕事をして成果を出してくださいね」と期待を込めて任せる。これが投資。あくまでも投資する側が将来の価値を見越して先に払う。株式投資と同じです。

シビアな話、従業員に投資して期待を裏切られたら損切りもありえる。将来創造される価値に期待してあなたに投資をしたけれども、期待したほどの価値を生み出してくれなかった。だから契約は更改しません――そんな判断も当然、あってしかるべきです。人を資本として見なすということは、株式に市場があるように労働にも市場があり、そこに一定の流動性が確保されていることが必要条件です。

前回お話ししたジョブ型雇用は、人的資本という考え方と表裏一体を成しています。企業から投資を受ける側にいる従業員個人は、「わたしは将来こういうことをやりたくて、こういう能力を磨いています。ですからわたしに投資してください」というアピールをしていく必要がある。雇う側と雇われる側が相互に選び合って折り合いをつける。このプロセスそのものが、まさにジョブ型雇用です。

「あなたができることは何ですか?」と聞かれて、「プログラミングができます」「英語ができます」と答える人は、自分を人的資本と見なしていません。現時点におけるその人のスキルを説明しているだけなので、企業からすると投資というよりも調達に近い。スキルにプラスして、相手に何か将来価値を期待させるものがないと人的資本とは言えません。個人の側も、自分のキャリアを長期的な視点で考え、時間やお金を自分に投資し、相手が認識する価値を高めていく。

自分を資本と見なす観点が欠けていると、労働力として搾取されてしまいます。「自分という資本を会社に提供しているんだ」という構えを一人ひとりが持つべきです。

資本という概念にはそもそも時間軸が入っています。人の場合、生産設備よりもずっと長期的なスパンでの投資対象になりうる。個人が自分を資本だと自覚して仕事をしていくためには、本当に転職するかどうかは別として、「もし自分が他社に勤めたら、こんな仕事ができて、こんな価値を生み出せる」というオプションをつねに持っていることが大切です。つまり、資本としての自分の価値をつねに意識しながら仕事をする。

今勤めている会社、今の職業以外にオプションを持つのは非常に健全なことです。「自分にはこの会社しかない」「この会社にとどまるしかない」と考える人は、資本という観点を持って自己投資するのが難しくなる。かつては1つの会社に定年まで勤め上げるのが当たり前でしたが、今やっている仕事以外のオプションがない状態というのは、その企業に従う以外の選択肢がないということです。極論すると、自分を一労働力におとしめてしまっている。長く働くのが当たり前になるこれからの時代、働く人の一人ひとりが自分を資本として考えることが大切になります。(第4回へつづく)

「第4回:長期視点の回復。」はこちら>

画像: 人的資本―その3
オプションを持って働く。

楠木 建
一橋ビジネススクール教授
1964年東京生まれ。幼少期を南アフリカで過ごす。一橋大学大学院商学研究科博士課程修了(1992)。一橋大学商学部専任講師、一橋大学商学部助教授、一橋大学イノベーション研究センター助教授、ボッコーニ大学経営大学院(イタリア・ミラノ)客員教授、一橋大学大学院国際企業戦略研究科准教授、2010年より現職。

著書に『逆・タイムマシン経営論』(2020、日経BP社)、『室内生活 スローで過剰な読書論』(2019、晶文社)、『すべては「好き嫌い」から始まる』(2019、文藝春秋)、『「好き嫌い」と才能』(2016、東洋経済新報社)、『好きなようにしてください:たった一つの「仕事」の原則』(2016、ダイヤモンド社)、『「好き嫌い」と経営』(2014、東洋経済新報社)、『戦略読書日記』(2013、プレジデント社)、『経営センスの論理』(2013、新潮新書)、『ストーリーとしての競争戦略:優れた戦略の条件』(2010、東洋経済新報社)などがある。

楠木教授からのお知らせ

思うところありまして、僕の考えや意見を読者の方々に直接お伝えするクローズドな場、「楠木建の頭の中」を開設いたしました。仕事や生活の中で経験したこと・見聞きしたことから考えたことごとを配信し、読者の方々ともやり取りするコミュニティです。
この10年ほどTwitterを使ってきて、以下の3点について不便を感じていました。

・140字しか書けない
・オープンな場なので、仕事や生活経験の具体的な中身については書きにくい
・考えごとや主張をツイートすると、不特定多数の人から筋違いの攻撃を受ける

「楠木建の頭の中」は僕のTwitterの拡張版というか裏バージョンです。もう少し長く書ける「拡張版」があれば1の問題は解決しますし、クローズドな場に限定すれば2と3の不都合を気にせずに話ができます。加えて、この場であればお読みいただく方々に質問やコメントをいただき、やりとりするのも容易になります。
不定期ですが、メンバーの方々と直接話をする機会も持ちたいと思います。
ビジネスや経営に限らず、人間の世の中について考えることに興味関心をお持ちの方々のご参加をお待ちしております。DMM社のプラットフォーム(月額500円)を使っています。

お申し込みはこちらまで
https://lounge.dmm.com/detail/2069/

ご参加をお待ちしております。

楠木健の頭の中

シリーズ紹介

楠木建の「EFOビジネスレビュー」

一橋ビジネススクール一橋ビジネススクールPDS寄付講座特任教授の楠木建氏の思考の一端を、切れ味鋭い論理を、毎週月曜日に配信。

山口周の「経営の足元を築くリベラルアーツ」

山口周氏をナビゲーターに迎え、経営者・リーダーが、自身の価値基準を持つための「リベラルアーツ」について考える。

協創の森から

社会課題の解決に向けたビジョンの共有を図る研究開発拠点『協創の森』。ここから発信される対話に耳を傾けてください。

新たな企業経営のかたち

パーパス、CSV、ESG、カスタマーサクセス、M&A、ブロックチェーン、アジャイルなど、経営戦略のキーワードをテーマに取り上げ、第一人者に話を聞く。

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各界のビジネスリーダーに未来を創造する戦略を聞く。

経営戦略としての「働き方改革」

今後企業が持続的に成長していくために経営戦略として取り組むべき「働き方改革」。その本質に迫る。

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日本的経営の良さを活かしながら利益を生み出す「J-CSV」。その先進的な取り組みに迫る。

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日本を元気にするイノベーターの、ビジョンと取り組みに迫る。

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私たちの仕事や働き方の発想を変える、膨らませるヒントに満ちた偉才たちの仕事術を学ぶ。

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新世代のイノベーターをゲストに社会課題の解決策や新たな社会価値のつくり方を探る。

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