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「第1回:『発表』が大スキ。」はこちら>
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「第3回:オーディエンスがいる幸福。」
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※本記事は、2021年12月3日時点で書かれた内容となっています。

発表体質の僕は、オーディエンスでいることに我慢ができない。

例えば子どもの頃に映画『007』を見たときのこと。ジェームズ・ボンドになりたくて仕方がない。親に「どうすればスパイになれるの」と聞きました。「そんなこと知らないね」「そもそも君はもっともスパイに向いていない性格だよ」と言われて、スパイになるのはあきらめました。

それでもまだあきらめきれないところがあって、僕の脳内では車といえばボンドカーのアストンマーティンなんです。今乗っているのもアストンマーティンです。これだけ聞くと富裕層の生活みたいな感じに聞こえるかもしれませんが、ボンドカーのアストンマーティンはもちろん高すぎて買えません。しかしシグネットというアストンマーティンのクルマがありまして、これはトヨタのiQ(※)という超小型車の外装と内装だけをアストンマーティンが手掛けたものです。そんな珍車が一時的に売られていたことがあるのです。2011年に発売してわずか3年で生産終了となってしまったため、シグネットは累積の販売台数が150台ほどしかないそうです。

※ トヨタ・iQ(アイキュー):2008年11月~2016年3月、トヨタ自動車が生産・販売していたマイクロクーペタイプのコンパクトカー。

シグネットが出たとき、「これだ!」と思って僕は迷わず購入しました。中身はトヨタのiQ、でも僕の脳内では完全にボンドカーなので、家から出かけるときにはカーステレオで、あの「ダンダカダンダーン、ダンダンダン、ダンダカダンダーン」という007のテーマを流すんです。あの音楽とともに駐車場から出ると、すごく気分がイイ。それでどこへいくのかというと、近所の成城石井にハンバーグを買いに行くだけなんですね。ちょっとどうかしてると自分でも思うのですが、それでも僕は、部分的にでもジェームズ・ボンドを取り入れたい、というオーディエンスにとどまれない性質なんです。

音楽でも同じです。スキなアーティストのライブを時々聴きに行くのですが、自分も演奏する側にまぜてくれないかな、という気になってくる。これはあちこちで話している僕の自慢話なのですが、映画『ブルース・ブラザーズ』に出演していたアーティストが中心となってつくられたブルース・ブラザーズ・バンド、これが日本に30年くらい前に来日して、青山の旧ブルーノートでライブを行ったときのことです。シカゴ・ブルースが大スキな僕は大喜びでブルーノートに観に行きました。

ギターが2本で、一人はスティーヴ・クロッパー、これはオーティス・レディングの『The Dock of the Bay』を作曲して弾いていた人で、伝説的なギタリストです。もう一人がシカゴ・ブルースの重鎮、マット・マーフィー。このツインギターを客席で聴いていた僕はがもう我慢ができなくて、1番前で踊りまくっていました。するとスティーヴ・クロッパーが「おまえ、1曲歌えよ」と声をかけてきて、僕を舞台に上げてくれました。で、ブルース・ブラザーズ・バンドの演奏で『Knock On Wood』(※)を歌わせてもらったんです。右を見ればスティーヴ・クロッパー、左を見るとマット・マーフィー、そしてボーカルは楠木建というあり得ないことが起きた。その他大勢のオーディエンスだった僕が一瞬だけパフォーマーになれたわけで、天にも昇るような気持ちでした。

※『Knock On Wood』:エディ・フロイドが1966年に発表した楽曲。作詞作曲はエディ・フロイドとスティーヴ・クロッパー。ビルボードのR&Bチャートで1位を記録した。多くのアーティストがカバーしている。

前にも言いましたが、発表体質の僕にとって現在の仕事はありがたいとしか言いようがありません。僕はこの仕事をはじめてから10年ぐらいは、アカデミックなオーディエンスに向けた研究論文を書いて学会で発表するということをしていました。学会や研究会で何か発表しなさいとなると、「え、発表しなきゃいけないの」と尻込みする人もいたのですが、僕にはまったく理解できませんでした。これまでセルフ発表をしていたところに、オーディエンスがいる。渡りに船としか言いようがありません。発表できる機会があれば、即座に応募していました。

学会で発表をしたとき、共感や賛同をいただけるともちろんうれしい。ただ、僕は批判されることもわりとスキなんです。自分は自分なりにグッときているから論文にして発表しているのですが、そこにグッとこない人、むしろ否定的な意見を持つ人もいる。そんなオーディエンスと僕の間にあるギャップを考えるのが面白い。

そのうち実務家に向けて書籍や記事などで自分の考えを発信するようになりました。こうなるとパブリック・オーディエンスが相手になりますから、間断なく批判をいただいています。批判する理由や論点はさまざまで、単に生理的に僕の考えが頭にくるという方もいます。その気持ちは僕なりによくわかるんです。

だからと言って考えを修正するかといえば、7割方はそのままで、自分の考えは変わりません。批判を受けると、自分はやっぱりこういうところが面白い、人と違うんだなとか、こういうのを受け入れない人はいるけれども、僕は面白いと思っているんだなと再確認できます。発表を通じて、むしろ自分の面白がりが強化されます。

セルフ発表のキャリアの長い僕にしてみれば、同意していただくにせよ批判していただくにせよ、自分の考えを聞いてくれるオーディエンスがいるだけで、夢のような話です。

この10年ほどは副業として書評の仕事をやらせてもらっています。僕にとっては自然な流れです。書評の注文がある前から誰も読まない読書感想文を大量に書いてセルフ発表していた僕にとっては、オーディエンスがちゃんと存在する書評を書く場がある、それだけでありがたい。

僕が個人でやっている「楠木建の頭の中」というコミュニティサロンでその時々の考えごとや読書感想を発表しています。平日は毎日更新してもう3年目に入ります。これまでに何十万字と書いています。「おまえ、よく毎日続けているな」としばしば言われるのですが、まったく苦になりません。これをやっていなくても、結局はセルフ発表をしているわけですから、僕にとっては同じことです。(第4回へつづく)

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画像: 発表-その3
オーディエンスがいる幸福。

楠木 建
一橋ビジネススクール教授
1964年東京生まれ。幼少期を南アフリカで過ごす。一橋大学大学院商学研究科博士課程修了(1992)。一橋大学商学部専任講師、一橋大学商学部助教授、一橋大学イノベーション研究センター助教授、ボッコーニ大学経営大学院(イタリア・ミラノ)客員教授、一橋大学大学院国際企業戦略研究科准教授、2010年より現職。

著書に『逆・タイムマシン経営論』(2020,日経BP社)、『室内生活 スローで過剰な読書論』(2019、晶文社)、『すべては「好き嫌い」から始まる』(2019、文藝春秋)、『「好き嫌い」と才能』(2016、東洋経済新報社)、『好きなようにしてください:たった一つの「仕事」の原則』(2016、ダイヤモンド社)、『「好き嫌い」と経営』(2014、東洋経済新報社)、『戦略読書日記』(2013、プレジデント社)、『経営センスの論理』(2013、新潮新書)、『ストーリーとしての競争戦略:優れた戦略の条件』(2010、東洋経済新報社)などがある。

楠木教授からのお知らせ

思うところありまして、僕の考えや意見を読者の方々に直接お伝えするクローズドな場、「楠木建の頭の中」を開設いたしました。仕事や生活の中で経験したこと・見聞きしたことから考えたことごとを配信し、読者の方々ともやり取りするコミュニティです。
この10年ほどTwitterを使ってきて、以下の3点について不便を感じていました。

・140字しか書けない
・オープンな場なので、仕事や生活経験の具体的な中身については書きにくい
・考えごとや主張をツイートすると、不特定多数の人から筋違いの攻撃を受ける

「楠木建の頭の中」は僕のTwitterの拡張版というか裏バージョンです。もう少し長く書ける「拡張版」があれば1の問題は解決しますし、クローズドな場に限定すれば2と3の不都合を気にせずに話ができます。加えて、この場であればお読みいただく方々に質問やコメントをいただき、やりとりするのも容易になります。
不定期ですが、メンバーの方々と直接話をする機会も持ちたいと思います。
ビジネスや経営に限らず、人間の世の中について考えることに興味関心をお持ちの方々のご参加をお待ちしております。DMM社のプラットフォーム(月額500円)を使っています。

お申し込みはこちらまで
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ご参加をお待ちしております。

楠木健の頭の中

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楠木建の「EFOビジネスレビュー」

一橋ビジネススクール一橋ビジネススクールPDS寄付講座特任教授の楠木建氏の思考の一端を、切れ味鋭い論理を、毎週月曜日に配信。

山口周の「経営の足元を築くリベラルアーツ」

山口周氏をナビゲーターに迎え、経営者・リーダーが、自身の価値基準を持つための「リベラルアーツ」について考える。

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今後企業が持続的に成長していくために経営戦略として取り組むべき「働き方改革」。その本質に迫る。

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新世代のイノベーターをゲストに社会課題の解決策や新たな社会価値のつくり方を探る。

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