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※本記事は、2020年9月3日時点で書かれた内容となっています。

「同時代性の罠(わな)」に関して、さらに深掘りしていきます。「400万台クラブ」という言葉を覚えていますか。これは1990年代末の自動車業界で盛り上がったバズワードです。直近の例でいうと、「リモートワーク」くらいの勢いでメディアが取り上げていました。自動車産業というのは、産業の規模が大きくて生活者の日常にも関係する製品なので、いつも同時代の言説の軸になる面があります。

1998年、ドイツのダイムラーベンツによるアメリカのクライスラーの買収で、ダイムラー・クライスラーという欧米自動車連合の企業が誕生しました。その背景にあったのは、これからの自動車業界は、フルラインナップの車を供給しながら増大する研究開発費を抑えるために、とにかく規模が必要だという論理です。その時、象徴的に言われていたのが、「400万台クラブ」です。年間400万台生産する規模を持たない自動車メーカーは、いずれ淘汰される。全世界で「400万台クラブ」に入れないメーカーは、負け組になる。(※1)

(※1)「世紀末自動車ウォーズ 巨大再編へ風雲急」(『日経ビジネス』1999年4月19日号特集記事)。

「400万台クラブ」というバズワードは実際に自動車業界の戦略的な意思決定に強い影響を与えていました。多くの会社が、一気にM&Aに突っ込んで行くんです。フォードは、1999年にジャック・ナッサーという非常にアグレッシブな経営者が就任すると、まず最初にボルボを買収します。もともとフォードはリンカーンという高級車部門を持っていましたが、ボルボの買収以前から保有していたイギリスのアストンマーティンとジャガー、以上の4つのブランドを合わせて、PAG(プレミア・オートモーティブ・グループ)という高級車部門を設立して規模の拡張を急ぎます。さらに2000年には、BMWからランドローバーも買収してPAGに加えています。

世界最大自動車メーカーだったGMは、将来の完全統合を射程に入れて、日本のメーカーであるスズキといすゞの出資比率を引き上げました。いすゞはディーゼルエンジンが強いので、トラック分野でさらにGMの事業を拡張していこう。スズキは小型車の技術があるので、中国やタイといった当時の新興国の新しい需要を、小型車で切り開いていこうという目論見でした。

ヨーロッパの企業はどうだったのか。当時はBMWとフォルクスワーゲンがロールスロイスの買収を巡ってバトルを繰り広げていました。両社はこの高級車ブランドを手に入れるためにし烈な値段のつり上げ競争を繰り広げまして、結果的にBMWがロールスロイスを買収し、フォルクスワーゲンはベントレーを買収するという「引き分け」に終わります。このように世界中の自動車メーカーが台数を拡大するためのM&Aに躍起になっていたのです。

日本のメーカーでは、日産が当時2兆円の有利子負債を抱えて窮地に陥っていました。「400万台クラブ」に入るためには、どこかと組む必要があります。当時はダイムラー・クライスラーでほぼ決まりと言われていましたが、実際に資本提携したのはフランスのルノーでした。この時にルノーの副社長だったカルロス・ゴーンが、日産のCEOに就任します。先の日経ビジネスの記事(※1)では、ゴーン自ら「ダイムラー・クライスラーの誕生は電気ショックだった」とコメントしていて、それがルノーと日産の資本提携の強い動機になったと言っています。

当時のメディアの言説は、生き残れるのは世界4大メーカーだけだということでした。しかし実際にはどうなったか。「400万台クラブ」の象徴だったダイムラー・クライスラーの合併は2007年に解消され、クライスラーはアメリカの投資会社に売却されました。その後、リーマンショックの影響で2009年に倒産します。同じ年にGMも倒産しました。

フォードは、2008年にジャガーもランドローバーもインドのタタに売却しています。ボルボは中国のメーカーに売却し、フォードのPAGは解体となりました。これだけ多くの企業や人、資本を巻き込み、世の中を騒がせた「400万台クラブ」も、20年経てばすっかり死語です。

なぜでしょうか。そもそも400万台という数字に、何の論理的な根拠もなかったからです。ダイムラーとクライスラーの合併の時の生産台数がたまたま400万台だったというだけの話です。

逆・タイムマシンに乗ってみると改めて見えることがあります。「400万台クラブ」には2つ重要な誤謬(ごびゅう)がありました。1つは、確かに自動車メーカーにとって規模の経済は大切なのですが、それは重要なロジックの中のひとつに過ぎないということです。台数を増やしたからといって、収益が約束されるわけではない。

第2のもっと重要な問題は、「400万台クラブ」という話は、因果関係の理解において錯乱していたということです。台数というのは、原因ではなく多分に結果です。特にM&Aのような局面では、台数は結果に過ぎません。普通は競争力のある製品を開発し、効率的に製造し、それがお客さんに支持されてはじめて台数が伸びる。その結果として規模の経済を享受できるというのが、事の順番です。

M&Aによって一足飛びに台数の合算値は大きくなりますが、これは競争力とは何の関係もありません。例えば競争劣位にある2社が一緒になっても、それぞれの弱みはそのまま残るわけです。しかもカルチャーが違う、マーケットが違う、PMI(※2)がさらに厄介な問題として出てくるわけで、弱いもの同士が一緒になることでもっと弱くなるという可能性もあります。ちょっと考えてみれば分かるロジックがすっ飛んでしまって、みんなが一斉に変な方向に走り出してしまう。これが「同時代性の罠」の恐ろしさでありまして、「400万台クラブ」は、その典型です。

(※2) PMI:Post Merger Integration M&A(合併・買収)後の統合プロセスを指す。経営統合、業務統合、意識統合の3段階からなり、ビジネスを統合・再編成し、統合効果を最大化するためのプロセス

先の日経ビジネスの記事(※1)を読むと、当時から覚めた目で400万台クラブの喧騒を眺めていた経営者もいます。トヨタの奥田碩(ひろし)社長(当時)は、「M&Aを否定するわけではないけれども、トヨタはもう十分に大きい」と言ってスルーしています。また、ホンダの吉野浩行社長(当時)は、「ホンダは既にグローバルであり、環境対策も自前でやっている。規模がすべてではない」と、非常にそっけないコメントをしていてしびれます。逆・タイムマシンに乗ってみると、経営者の判断力の実相が改めてはっきりと見えてきます。

画像: 逆・タイムマシン経営論-その4
「400万台クラブ」に見る同時代性の罠。

楠木 建

一橋ビジネススクール教授
1964年東京生まれ。幼少期を南アフリカで過ごす。一橋大学大学院商学研究科博士課程修了(1992)。一橋大学商学部専任講師、一橋大学商学部助教授、一橋大学イノベーション研究センター助教授、ボッコーニ大学経営大学院(イタリア・ミラノ)客員教授、一橋大学大学院国際企業戦略研究科准教授、2010年より現職。
著書に『室内生活 スローで過剰な読書論』(2019、晶文社)、『すべては「好き嫌い」から始まる』(2019、文藝春秋)、『「好き嫌い」と才能』(2016、東洋経済新報社)、『好きなようにしてください:たった一つの「仕事」の原則』(2016、ダイヤモンド社)、『「好き嫌い」と経営』(2014、東洋経済新報社)、『戦略読書日記』(2013、プレジデント社)、『経営センスの論理』(2013、新潮新書)、『ストーリーとしての競争戦略:優れた戦略の条件』(2010、東洋経済新報社)などがある。

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