仏教と心理学の共通項
名越
僕が勉強してきた心理学という学問は、まだ100年余りしかないその歴史の中で、「人間とはいかなるものか」を追求するというよりは、能力・能率を高めるためにはどうすればいいか、あるいは病的なものと正常なものをどう区別するかといった方向に発展していったと思うんですね。先ほど僕がフロイトとかアドラーを勉強したと言ったのは、もっと普遍的な、それこそ「人間とはいかなるものか」を説明できる理論に出会いたかったからです。そこで僕は、さらに過去にさかのぼって、仏教を勉強するようになったんです。
20世紀初頭に急激に立ち上がった深層心理学(※1)と、仏教。この間にある共通項を発見できたら、現代にも有用なのではないかと考えたんです。仏教って2,000年以上の歴史があるから、その間の風雪を耐えて勝ち残ってきたという事実は否定し難い。ただ、そのままだと現代の文脈に当てはめるのは難しい。でもそこに、人間のあるべき姿があるんじゃないかと。
(※1)深層心理学:人間の無意識の部分を解明することで、人間行動を理解しようとする心理学の一分野。
矢野
いつ頃から、仏教を勉強するようになったんですか。
名越
20歳の頃から瞑想には興味があってよく勉強はしていたんですが、本気で勉強し出したのは48歳からで、以来12年間毎日仏典を読んだり瞑想したりしています。
それで僕がたどり着いた仮説は、人が幸せを感じるときに必ず自分以外の人が必要やと。冒頭で矢野さんがおっしゃった「人は1人じゃ生きられない、だから人と人との関係を加速度で測る」にも通じると思うんですけど。
例えば、自分の子どもがやっていることに対して、親はやっぱり幸せになってほしいと思うから、いろいろ指示しますよね。「もっとこうしたらええ、ああしたらええ」と。ところが、子どもといっても自分とは人生観が違うし、身体も違う。むしろ、良かれと思ってしたアドバイスが相手を怒らせることもある。そのときに僕、ふと思ったんですね。カウンセリングに来られた患者さんに僕がする助言と、自分の子どもに対してする助言、どこが違うんだろう? と。よくよく振り返ってみると、結局のところ自分の子どもにできる助言って、本人がやろうと決めたことに対して「それ、素敵やね」って言うぐらいなんですよ。
それで気づいたんですね。こうしてほしいああしてほしいという利益損得から離れて、その人がここに存在していること自体が自分にとって利益になっている、それがまあ、言ってみれば愛かと。だれかの存在意義を損得なしに感じるときに、人間は愛っていう感覚を持つんじゃないかと。
矢野
なるほど。
名越
一方で仏典ではどう書かれているかというと、密教のお経の中に「三句の法門」という教えがあって。要は、「世俗の人間から離れるな」と。人の痛み、苦しみから離れないで、ずっとその人たちの話を聞いたり、何かしてあげたりしなさいと。それがそのまま修行になる。山にこもることも修行として大事なことだが、まずは他者だと。つまり世俗の人とコミュニケーションをとれ、ということです。その中で1番大切なことは、「人の痛みを知れ」と書いてあるんですよ。
世俗の人間の痛みこそ一番貴重な情報だってことですね。その情報に自分がどうレスポンスするかで成長する、つまり仏に近づくと。あらゆる苦しみから逃れて幸せになると。相手の痛みに対していかに敏感かを、テクノロジーの力で測ることができたらすごくいいなと、お話を聞きながら思いました。
ライオンとサイに人間が勝てる、唯一の能力
矢野
今のお話とすごく関係していることなんですが、以前、日立もスポンサーの一部になって、MITなどのアメリカの大学が「よりインテリジェントな集団はどんな状態にあるのか」という実験を行いました。
名越
それ、日本に今一番必要なことや。
矢野
何百とあるチームに、メンバー間で協力しないと解けない問題を与えて、成績がよかったチームにどんな特徴があるかを明らかにしたんです。その1つは、「チーム内の発言権が平等」であること。実は事前に、「人の眼だけが表示されている写真を見て、その人の感情を推察する」というテストをやっているのですが、成績のよいチームほどそのスコアが高かったのです。
すなわちコレクティブインテリジェンス(集団的知性)が高い人たちというのは、まさに先ほどお話に出た「相手の痛み」を限られた情報から推察し、自分の行動に反映できる人たちだった。人間がライオンやサイのような大型哺乳類よりも強いのは、集団で協力できることぐらいじゃないですか。その強みがなぜ生まれるかというと、相手の心を読めるからなんですよね。
名越
まったくその通りだと思います。
矢野
さらに続けてやった実験が面白くて。相手の顔が見えずチャットでしかやりとりできない状況で、チーム内で協力しないと解けない問題を与える。すると、「相手の眼から推察する能力」が高い人たちのチームは、そんな状況でも高いスコアを叩き出せたんです。
名越
限定的な状況の方が、能力を発揮できる場合があると。
矢野
ええ。そういう能力って、いわゆるIQで測れるものとは全然違う。人間を相手にして、どんな反応をすれば協力的なアウトカムを生み出せるか、あるいはお互いに認め合えるか。そういった能力なんですね。
脳からアクセスする力
名越
僕もカウンセリングしているときに、限定的な状況ほど力を発揮できるなと感じることがあって。患者さんの事前情報を読み込んでからカウンセリングに臨むよりも、対面した瞬間に相手の雰囲気をつかんで、感じたことをバーッと話したほうがうまく行くことがあるんです。あなた過去にこういう経験してきたでしょ? みたいな。これが不思議とズバズバ当たって、「何これ、霊能力?」って変に思われたこともあるけど、違うんですよね。情報が限定されたときに、最もパフォーマンスを発揮できたということだと思うんです。情報って、あればあるほどいいもんじゃなく、過不足なくあるのがいいんだと。
心の中に、まあつまり脳の中に「集合無意識(※2)につながる部分がある」という趣旨のことをユングは書いていますけど、脳がどこにアクセスするかは別にして、何かにアクセスするための条件というのはあるような気がします。
(※2)人間の無意識の深層に存在する、先天的な無意識のこと。同じ種族や民族あるいは人類などに共通して遺伝的に受け継がれる。ユングが提唱した分析心理学における中心概念。
矢野
あると思います。脳研究で、こんな実験があります。あるテレビ番組を被験者Aに見せて、そのときのfMRI(※3)のパターンを計測しました。次にその番組の内容を、番組を見ていない別の被験者Bに語らせて、そのときの2人のfMRIを計測しました。すると、番組について語っている被験者Aの脳には、テレビを見ているときと同じ活動パターンが現れていた。そして驚くべきことに、番組を見ていない被験者Bの脳にも、Aと同じ活動パターンが再現されていたんです。
(※3)functional magnetic resonance imaging:MRIによって、脳の機能活動がどの部位で起きたかを画像化する手法。
名越
面白い。同調性や。
矢野
だから我々の中にも、人の話を聞いただけで間接的に想像できる能力がもともと埋め込まれているのです。それだけの潜在能力を持っているのに、インターネットで過剰に情報に触れていると、想像する能力が退化してしまうかもしれない。もしかしたら、自然を愛でるとか、季節を感じる力なんかも退化しているのかもしれませんね。
名越康文(なこしやすふみ)
1960年、奈良県生まれ。精神科医。相愛大学、高野山大学客員教授。専門は思春期精神医学、精神療法。近畿大学医学部卒業後、大阪府立中宮病院(現:大阪府立精神医療センター)にて精神科救急病棟の設立、責任者を経て、1999年に同病院を退職。引き続き臨床に携わる一方で、テレビ・ラジオでコメンテーター、映画評論、漫画分析などさまざまな分野で活躍中。著書に『自分を支える心の技法』(小学館新書,2017年)、『「ひとりぼっち」こそが最強の生存戦略である』(夜間飛行,2017年)、『生きるのが“ふっと”楽になる13のことば』(朝日新聞出版,2018年)、『精神科医が教える 良質読書』(かんき出版,2018年)など多数。名越康文公式サイト「精神科医・名越康文の研究室」
矢野和男(やのかずお)
1959年、山形県生まれ。1984年、早稲田大学大学院理工学研究科物理学専攻修士課程を修了し日立製作所に入社。同社の中央研究所にて半導体研究に携わり、1993年、単一電子メモリの室温動作に世界で初めて成功する。同年、博士号(工学)を取得。2004年から、世界に先駆けてウェアラブル技術とビッグデータ収集・活用の研究に着手。2014年、自著『データの見えざる手 ウェアラブルセンサが明かす人間・組織・社会』が、BookVinegar社の2014年ビジネス書ベスト10に選ばれる。論文被引用件数は2,500件にのぼり、特許出願は350件超。東京工業大学 情報理工学院 特定教授。
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