「第1回:幸せとは生理現象である。」はこちら>
「第2回:想像力という、人類の強み。」はこちら>
「第3回:言いたいことを言える組織とは。」はこちら>
「第4回:環境と組織活性化の関係」はこちら>
素晴らしい理念を「置物」にするな
名越
今日お話を伺って、矢野さんは「今」の延長線上に幸せがある、という視点で幸せというものを捉えようとしているのかなと思ったんですけど。
矢野
人間って、常に過去と未来の端境(はざかい)にいますよね。未来は自分たちで日々作っていくしかない。わたしは「実験と学習」と呼んでいるのですが、その試行錯誤を続けながら、人間自身が変わっていく、周囲の環境も変わっていく。そうやって予測不能な未来にアクセスしようと日々行動し続ける姿こそが「幸せ」なんじゃないかなと考えています。ところが、先ほどお話しした規格大量生産の時代には、1つの基準に沿って生きていれば幸せになれるという、間違った世界観ができちゃったのかなと思います。
名越
なるほど。矢野さんのように身体の動きから生じる加速度から幸せを説明しようとしている方がいる一方で、僕らの世界ですと、副交感神経がどれだけ柔軟に働いているかを研究している内科医もいます。そういった研究から生まれた知見を、教育とか社会通念とか企業の社是といった人間的な文脈にどう落とし込むかが、これからは重要になってきますね。
矢野
そういった方針のようなものって、言葉や文章ではすでに立派なものがあると思うのです。でも、実行されていない。
名越
ある仏教系の大学は本当に素晴らしい教育理念を掲げられていて、それをWebサイトにも掲載しているのですが、実は最近まで学内の人にはあまり読まれてこなかったそうなんです。生きた理念ではなく、立派な置物にされてしまったというか。
矢野
もったいないですよね。
我々は数年前に、幸福度を測れるスマホアプリ「ハピネスプラネット」を開発したのですが、単に加速度を測ってユーザーの幸福度を示すだけでは、その人の行動変容につながらない。そこで、ユーザーが「わたしは今日職場でこういうことに取り組みます!」と宣言できる機能を付けました。
かつ、AIが「あなたにはこんな取り組みがよさそうだよ」というレコメンドをくれるのです。操作は1日1分くらいなのですが、毎日短時間でも注意を向けるだけで、幸福度が上がるというデータが出ています。ポジティブな心理状態を定量化した「心の資本」の数値は、ハピネスプラネットをたった3週間使い続けるだけで33%も上がりました。企業の業績に換算すると、10%くらいの営業利益向上に相当するという。
名越
すごい。みんなそれを使わなあきませんやん。
いくら素晴らしい理念を掲げても、毎日少しでも行動を続けなきゃ幸せには近づけないということなんでしょうね。僕はロックバンドをやっているんですが、曲作りも自分でやっていて、それは人に頼るわけにいかない。毎日毎日一人っきりで曲を考えるのですが、そのモチベーションは、自分の発想に即レスポンスをくれて、丁寧に楽曲にまで仕上げてくれるメンバーがいることで保たれています。だから双方向的な日々の営みが大事なのはよくわかります。
「利他」は文化か、本能か
矢野
名越さんのバンドのお話にもつながるのですが、「幸せ」には利他的な動機による行動がすごく効きます。利他的な行動をとっている人の身体の動きからは、本人の幸福度も高いし、周囲の人の幸福度も上がっているというデータが出ています。
名越
ああ、やっぱり。「利他的に生きることで人間のほとんどの悩みは解決する」とまで書いてある仏典があるくらいですからね。ただ、僕が不思議に思うのは……おそらく多くの人の本音は、「そんな利他的にばっかり生きていたら損をすることにならないか」ということだと思うんです。あるいは、動物も弱肉強食の世界で生きているやないかと。あくまでも利他っていうのは文化であって、本能的なものじゃないと。極端な意見としては、利他っていうのは人を上手く利用するために権力者が作った間違った道徳なんじゃないかみたいに言われることもある。
ところがね、やっぱり利他じゃないと幸せって感じられないんですよ。でも、なぜか反自然なものに見えちゃう。「他人のためって言っても、どうせきれいごとでしょ?」みたいな風潮が。
矢野
そういうふうに捉える人が多いですよね。ここ20年くらいの科学の知見としては、利他がまったく本能的なものだとの研究結果が出ています。
名越
僕、十数年前に解剖学者の養老孟司さんのご自宅に行ったことがあるんです、テレビ番組のインタビューで。そしたら、養老先生が裏庭まで連れていきはるんです。そこには原生林があって、「これどう思う?」と。「いやあ、いろんな葉っぱがありますよね」って言ったら、「この葉っぱたちは、お互いがお互いを生かし合っているんだよ」っておっしゃったんですよ。「まっさらにして1本だけ植えたら痩せこけていくけど、何百何千っていう植物があるから、お互いがお互いを生かし合っているんだ」って。それを聞いて、びっくりしました。
矢野
実は人間にも、それと同じことが起きていると言えますね。
社会の新たなモノサシに、「幸せ」を
名越
これから人類はどうなっていってほしいと矢野さんは思いますか。
矢野
今まで捉えどころのなかった、人間のいい状態、悪い状態、そして集団としての状態がかなり定量化されるようになりました。しかもそれが、世界中の人たちが当たり前に持っているスマホで測れるようになった。これからは、「ひとを幸せにする」ことがあらゆる活動のモノサシになる、そんな世界になったらいいなと思います。
名越
それはもう、究極のモノサシですね。みんなが利他の心を持って活動する世の中になる。
矢野
例えばファイナンスに関して言うと、投資家が企業に融資をすることで、そのお金が人を幸せにする活動にどれだけ有効に使われたかが重視されるようになる。介護についても、ある基準を満たした施設にお年寄りを入所させるという単純なことではなくて、一人ひとりが幸せに年をとっていける環境なのかどうかが、施設選びのモノサシになっていく。あるいは、健康寿命という言葉がありますけど、わたしは「幸福寿命」というモノサシも必要になると思います。
名越
そういう考え方をビジネスやまちづくりに組み込めたら、多くの人が幸せに生きていけそうですね。今日はいろいろ刺激的なお話が聞けました。
矢野
こちらこそ、ありがとうございました。
名越康文(なこしやすふみ)
1960年、奈良県生まれ。精神科医。相愛大学、高野山大学客員教授。専門は思春期精神医学、精神療法。近畿大学医学部卒業後、大阪府立中宮病院(現:大阪府立精神医療センター)にて精神科救急病棟の設立、責任者を経て、1999年に同病院を退職。引き続き臨床に携わる一方で、テレビ・ラジオでコメンテーター、映画評論、漫画分析などさまざまな分野で活躍中。著書に『自分を支える心の技法』(小学館新書,2017年)、『「ひとりぼっち」こそが最強の生存戦略である』(夜間飛行,2017年)、『生きるのが“ふっと”楽になる13のことば』(朝日新聞出版,2018年)、『精神科医が教える 良質読書』(かんき出版,2018年)など多数。名越康文公式サイト「精神科医・名越康文の研究室」
矢野和男(やのかずお)
1959年、山形県生まれ。1984年、早稲田大学大学院理工学研究科物理学専攻修士課程を修了し日立製作所に入社。同社の中央研究所にて半導体研究に携わり、1993年、単一電子メモリの室温動作に世界で初めて成功する。同年、博士号(工学)を取得。2004年から、世界に先駆けてウェアラブル技術とビッグデータ収集・活用の研究に着手。2014年、自著『データの見えざる手 ウェアラブルセンサが明かす人間・組織・社会』が、BookVinegar社の2014年ビジネス書ベスト10に選ばれる。論文被引用件数は2,500件にのぼり、特許出願は350件超。東京工業大学 情報理工学院 特定教授。
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