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「第1回:状態と行動。」はこちら>
「第2回:ブランドは忘れた頃にやってくる。」はこちら>
「第3回:ディス・イズ・ザ・『ブランデッド』。」はこちら>

Plan・Do・Seeが近年手掛けたリニューアル案件、伊豆市湯ヶ島の『おちあいろう』に泊まったことがあります。2本の川が落ち合うところなので『おちあいろう』、1874年創業の旅館です。

Plan・Do・Seeは、積分された価値を重視するという戦略ですから、建物はほぼそのままで、本当に登録有形文化財に泊まることができるという空間になっています。建具とか窓ガラス、昔の窓ガラスは真っすぐではなく歪んで見えるのですが、それもそのまま戦前のものを使っています。お風呂とか寝具とか、そういう所は現代的で洗練されている。歴史的な箱と、現代的に洗練されたサービスというギャップ、ここに『おちあいろう』の独自価値があります。チェックインからチェックアウトまで程よく放置しておいてくれるサービスは、抑制的でとても上品なもので、お客さんがひたすらリラックスできるように隅々まで配慮されていました。

『おちあいろう』に泊まった経験は、つい人に話したくなるんです。「いや、『おちあいろう』良かったよ。どこがよかったかっていうと……」というように自然と話をしてしまう。要するに、口コミなのですが、「SNSでブランディング」というのとは、似て非なるものです。リニューアルしてからまだ時間が経っていないので、それほど知られてはいませんが、たぶん宿泊経験者の多くが僕と同じような感想を周囲に話していると推測します。そういうものが積み重なって、慌てず騒がずじっくりとブランドが形成されていく。『おちあいろう』は"being branded“という現在進行形の受動態にあると思います。10年も経てば、名旅館になっているかもしれません。

ブランドというのは、あっさりと言ってしまえば「信用」です。江戸時代の井原西鶴も強調していますが、「信用」は商売にとって一番大切なものです。

以前、僕が尊敬している高峰秀子大先生の教えで「人気」と「信用」(ディープインパクトその4)の話をしました。映画俳優は人気商売で「人気」を大切にします。しかし、それは「信用」とは違う。一番大切なものは「信用」ですと高峰秀子は言っています。「人気」は微分、「信用」は積分。ブランディングはしばしば「人気」を狙おうとする。微分値を極大化しようとする。そこではKPIも設定できるし、バジェットも組め、効果測定もできます。一見コントロールできそうに思いがちですが、本当のお客さんの心というのはコントロールできない。コントロールできないものを無理やりコントロールしようとする。ここに多くの経営の間違いの原因があります。

「信用」はすぐには手に入りません。それでも、「お客さんを絶対に満足させる」という日々の行動はコントロールできます。それが次第に積み重なって、積分した値が大きくなっていく。

「マスプロモーションを一切しない商売」が究極の姿なのかもしれません。もちろん業種によってそんなことはあり得ない、特にBtoCの世界ではまず知ってもらわないとはじまらないということはあるにしても、「マスプロモーションは必要最小限」というのが理想の姿ではないでしょうか。

例えば『スターバックス』は、マスプロモーションにほとんど予算を使っていません。最近は変わったかもしれませんが、創業から25年、広告予算はほとんどゼロでやってきた。ベンチャーの時代には、結果を急ぎたくなるのが普通だと思いますが、経営者は本当の意味での「評判」や「信用」が大切だということを理解していたのだと思います。

僕の尊敬している企業の渉外弁護士の方がいます。彼の弁護士事務所には、ホームページがない。この人は「弁護士が、営業やマーケティングをはじめたら、その時点で終わりでしょう」と言うんです。弁護士というのは、「評判」と「信用」こそがすべてで、仕事を依頼したいのであれば、住所や電話番号なんて自分で調べてくるはずだと。言われてみればその通りです。

今どきの大きなローファームは立派な事務所を構えて、ブランディングに余念がありません。個人向けの弁護士には、電車の額面やサイネージに広告を出したり、テレビでCMを流したり、熱心にプロモーションをするところがありますが、本来は絶対の「信用」と「評判」だけをめざすべきで、それがあればお客さんはどんな手を使ってでも調べて来る。そして、引き受けた仕事では、決して期待を裏切らない。それが振り返ってみれば強力なブランドという「ご褒美」になって返ってくる。これが理想的な「ブランデッド」の成り行きです。

「ゴルゴ13」は究極の「ブランデッド」を体現している人です。もしゴルゴ13がプロモーションや営業をしてたら、すべてがぶち壊しです。SNSマーケティングに余念がないゴルゴ13には仕事を頼む気にはなりません。

ここでは紹介しきれなかった話をお届けする、楠木建の「EFOビジネスレビュー」アウトテイクはこちら>

画像: ブランディングよりブランデッド-その4
「信用」にまさるプロモーションなし。

楠木 建

一橋ビジネススクール教授
1964年東京生まれ。幼少期を南アフリカで過ごす。一橋大学大学院商学研究科博士課程修了(1992)。一橋大学商学部専任講師、一橋大学商学部助教授、一橋大学イノベーション研究センター助教授、ボッコーニ大学経営大学院(イタリア・ミラノ)客員教授、一橋大学大学院国際企業戦略研究科准教授、2010年より現職。
著書に『室内生活 スローで過剰な読書論』(2019、晶文社)、『すべては「好き嫌い」から始まる』(2019、文藝春秋)、『「好き嫌い」と才能』(2016、東洋経済新報社)、『好きなようにしてください:たった一つの「仕事」の原則』(2016、ダイヤモンド社)、『「好き嫌い」と経営』(2014、東洋経済新報社)、『戦略読書日記』(2013、プレジデント社)、『経営センスの論理』(2013、新潮新書)、『ストーリーとしての競争戦略:優れた戦略の条件』(2010、東洋経済新報社)などがある。

楠木教授からのお知らせ

思うところありまして、僕の考えや意見を読者の方々に直接お伝えするクローズドな場、「楠木建の頭の中」を開設いたしました。仕事や生活の中で経験したこと・見聞きしたことから考えたことごとを配信し、読者の方々ともやり取りするコミュニティです。
この10年ほどTwitterを使ってきて、以下の3点について不便を感じていました。

・140字しか書けない
・オープンな場なので、仕事や生活経験の具体的な中身については書きにくい
・考えごとや主張をツイートすると、不特定多数の人から筋違いの攻撃を受ける

「楠木建の頭の中」は僕のTwitterの拡張版というか裏バージョンです。もう少し長く書ける「拡張版」があれば1の問題は解決しますし、クローズドな場に限定すれば2と3の不都合を気にせずに話ができます。加えて、この場であればお読みいただく方々に質問やコメントをいただき、やりとりするのも容易になります。
不定期ですが、メンバーの方々と直接話をする機会も持ちたいと思います。
ビジネスや経営に限らず、人間の世の中について考えることに興味関心をお持ちの方々のご参加をお待ちしております。DMM社のプラットフォーム(月額500円)を使っています。

お申し込みはこちらまで
https://lounge.dmm.com/detail/2069/

ご参加をお待ちしております。

楠木健の頭の中

シリーズ紹介

楠木建の「EFOビジネスレビュー」

一橋ビジネススクール一橋ビジネススクールPDS寄付講座特任教授の楠木建氏の思考の一端を、切れ味鋭い論理を、毎週月曜日に配信。

山口周の「経営の足元を築くリベラルアーツ」

山口周氏をナビゲーターに迎え、経営者・リーダーが、自身の価値基準を持つための「リベラルアーツ」について考える。

協創の森から

社会課題の解決に向けたビジョンの共有を図る研究開発拠点『協創の森』。ここから発信される対話に耳を傾けてください。

新たな企業経営のかたち

パーパス、CSV、ESG、カスタマーサクセス、M&A、ブロックチェーン、アジャイルなど、経営戦略のキーワードをテーマに取り上げ、第一人者に話を聞く。

Key Leader's Voice

各界のビジネスリーダーに未来を創造する戦略を聞く。

経営戦略としての「働き方改革」

今後企業が持続的に成長していくために経営戦略として取り組むべき「働き方改革」。その本質に迫る。

ニューリーダーが開拓する新しい未来

新たな価値創造に挑む気鋭のニューリーダーに、その原動力と開拓する新しい未来を聞く。

日本発の経営戦略「J-CSV」の可能性

日本的経営の良さを活かしながら利益を生み出す「J-CSV」。その先進的な取り組みに迫る。

ベンチマーク・ニッポン

日本を元気にするイノベーターの、ビジョンと取り組みに迫る。

デジタル時代のマーケティング戦略

マーケティングにおける「デジタルシフト」を、いかに進めるべきか、第一人者の声や企業事例を紹介する。

私の仕事術

私たちの仕事や働き方の発想を変える、膨らませるヒントに満ちた偉才たちの仕事術を学ぶ。

EFO Salon

さまざまな分野で活躍する方からビジネスや生活における新しい気づきや価値を見出すための話を聞く。

禅のこころ

全生庵七世 平井正修住職に、こころを調え、自己と向き合う『禅のこころ』について話を聞く。

岩倉使節団が遺したもの—日本近代化への懸け橋

明治期に始まる産業振興と文明開化、日本社会の近代化に多大な影響を及ぼした岩倉使節団。産業史的な観点から、いま一度この偉業を見つめ直す。

八尋俊英の「創造者たち」~次世代ビジネスへの視点~

新世代のイノベーターをゲストに社会課題の解決策や新たな社会価値のつくり方を探る。

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