菊澤 研宗氏 慶應義塾大学商学部・大学院商学研究科 教授 / 山口 周氏 独立研究者・著作家・パブリックスピーカー
自律的行動のためには、みずからの理性的な規則を見出すことが必要となる。そのためにはリベラルアーツを通じて見えないものを見る力を養うことが必要だが、菊澤氏は、日本人はもともと見えないものを大切にしてきており、それを強みとして活かしていくことも大切ではないかと提案する。

「第1回:人間や組織は合理的に失敗する」はこちら>
「第2回:リーダーに求められる条件とは」はこちら>
「第3回:損得計算の結果と価値基準のずれこそが見せ場である」はこちら>

見えないものを見る力を養う

画像: 見えないものを見る力を養う

山口
損得計算で解けない問題があることを知るというのは、おっしゃったように、カント的な自律的行動の概念を明確にする、つまりみずからの理性的な規則を見出すことにつながるわけですね。ただ、理性や道徳には、その裏付けとなる知性が必要であると思います。いわゆるエリート、あるいは優れたリーダーに求められる資質は、損得計算が速いことや、学力テストが速く正確に解けることではありません。そう考えると、オックスブリッジ(※1)で行われているようなリベラルアーツ教育、社会のリーダーとなることを見越した全人格的な教育の復権が必要ではないでしょうか。でも日本では逆に実学志向が強まっています。

菊澤
リベラルアーツ教育も実学も、「それを学ぶことがなぜ必要なのか」という位置づけをはっきりさせることが大切です。単純に哲学の本を読むだけではあまり意味がないと言いますか、それを必要とするような問題意識が前提にあるべきです。

僕が思うに、日本は「見える化」が重視されすぎているのではないでしょうか。数字、業績といった目に見えるものだけしか見ないから、悪いことをしても業績を上げればいいんだという考えが出てきてしまうのです。人間には見えない側面がたくさんあります。リーダーには、そうした見えないものを見る力も問われると思います。

ここで言う見えないものとは、倫理、道徳や誠実さといった「人間性」の部分です。それを見抜いてくるリーダーは、どんな手段を使っても業績さえ上げればいいと考えている部下にとっては怖い存在です。一方、誠実に仕事をしている部下には歓迎されるでしょう。それによって組織が健全なものになっていきます。

では、見えないものを見る力をどう養うか。そこでリベラルアーツが必要なのだと思います。例えば、最近面白いと思ったのは、美術鑑賞を企業研修に取り入れているという話です。美術作品について意見を述べ合って考えを深める「対話型鑑賞」と呼ばれるもので、目的さえはっきりしていれば、見えないものを見る訓練としては素晴らしい取り組みだと思います。

(※1)オックスブリッジ:イギリスのオックスフォード大学とケンブリッジ大学の併称。800年以上の歴史を持ち、多くの為政者や文化人を輩出していることから、エリートや名門校の代名詞となっている。

「信頼」という見えない価値を追求

画像: 「信頼」という見えない価値を追求

菊澤
日本人にはもともと、見えないものを大切にするという特性が備わっているはずです。例えば、「ゲーム理論」(※2)というのがありますよね。

山口
利害関係のある相手がいる状況で、最適な行動を選択するための思考法ですね。

菊澤
有名な問題が「囚人のジレンマ」です。自分が自白するかしないか、相手が自白するかしないかの組み合わせで量刑が変わるという状況下で、囚人同士がそれぞれ最適な行動をとると、両者にとって最悪な結果に陥るというジレンマです。あれはよく考えると簡単なことで、お互いが信頼すればジレンマは解決してしまう話なのです。囚人のジレンマが生じるのは、基本的に相手を信頼しない契約社会だからであって、お互いが信頼し合っている社会ならすぐに解決する問題なのです。日本社会は欧米と違い、そうした「信頼」という目に見えないものを見ることができる社会だと思います。

そうした文脈で最近少し気になっているのが、もともとはあまり好きではなかったのですが、アドルノをはじめとするフランクフルト学派(※3)です。アドルノの「否定弁証法」は同一性の否定、要するに「ちょっとずれてみてみよう(非同一性)」ということです。ゲーム理論のパラダイムの中にいると見えてこないことが、軸をずらして考えてみると見えてくるわけです。

現実的には完璧な契約というものが難しい以上、契約社会も最後にはどこかで信頼がないと成立しませんよね。そうであるならば、日本企業が追求していく価値として、「絶対的に信頼できること」があってもよいのではないでしょうか。従来のように、見える化して安くいいものを作るようなことは、すでに多くのアジア諸国ができるようになっています。もはや戦略として競争優位を持たないのです。その中で日本が勝負していく戦略の一つとして、多少高くても「日本の企業は裏切らない」という見えない価値を世界に示していくこともあるのではないかと考えています。

(※2)ゲーム理論:「利害関係を持つ相手がいる状況で、自分と相手の利益を考え、最適な行動を決める」方策を求める数学理論。代表的なものに「囚人のジレンマ」 がある。1940年代、数学者のフォンノイマンと経済学者のモルゲンシュテルンによって創始され、経済学から社会学、経営学、そして進化論へと、幅広い分野に影響を及ぼした。
(※3)フランクフルト学派:1930年代以降、フランクフルトの社会研究所に拠って活躍した一群の思想家たち。マルクス主義・フロイトの精神分析理論・アメリカ社会学などの影響のもとに批判理論を展開、現代社会の総体的解明をめざした。ホルクハイマーを中心に、アドルノ、フロム、マルクーゼ、ベンヤミン、ノイマンらがおり、第二次大戦後はハーバーマス、シュミットらが活躍した。

画像1: 組織の不条理を超えるために、求められる「主観的な価値判断」
その4 目に見えないものこそが重要である

菊澤 研宗(きくざわ けんしゅう)

1957年生まれ。慶應義塾大学商学部卒業、同大学大学院商学研究科修士課程修了、同大学大学院商学研究科博士課程修了。ニューヨーク大学スターン経営大学院客員研究員、カリフォルニア大学バークレー校ハース経営大学院客員研究員、防衛大学校教授、中央大学教授を経て、現在、慶應義塾大学商学部・大学院商学研究科教授。経営哲学学会会長、経営学史学会理事などを歴任。現在、経営行動研究学会理事、経営哲学学会理事、戦略研究学会理事、日本経営学会理事。著書に、『比較コーポレート・ガバナンス論』(有斐閣、第1回経営学史学会賞)、『組織の不条理-日本軍の失敗に学ぶ』(中公文庫)、『改革の不条理-日本の組織ではなぜ改悪がはびこるのか』(朝日文庫)など多数。

画像2: 組織の不条理を超えるために、求められる「主観的な価値判断」
その4 目に見えないものこそが重要である

山口 周(やまぐち しゅう)

独立研究者・著作家・パブリックスピーカー。1970年東京都生まれ。電通、BCGなどで戦略策定、文化政策立案、組織開発等に従事した後、独立。著書に『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』、『武器になる哲学』など。最新著は『ニュータイプの時代 新時代を生き抜く24の思考・行動様式』(ダイヤモンド社)。慶應義塾大学文学部哲学科、同大学院美学美術史学専攻修了。神奈川県葉山町に在住。

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楠木建の「EFOビジネスレビュー」

一橋ビジネススクールの楠木教授の思考の一端を、切れ味鋭い論理を、毎週月曜日に配信。

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山口周氏をナビゲーターに迎え、経営者・リーダーが、自身の価値基準を持つための「リベラルアーツ」について考える。

八尋俊英の「創造者たち」~次世代ビジネスへの視点~

八尋俊英日立コンサルティング社長を導き手とし、新世代のイノベーターをゲストに社会課題の解決策や新たな社会価値のつくり方を探る。

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SDGs、人工知能(AI)、デザイン思考、ブロックチェーンなど、経営戦略に関わるホットイシューについて、斯界の第一人者に聞く。

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