生産性のフロンティアを越えていくために
楠木
日立の経営で言うと、元会長の川村隆さんがものすごくいいお仕事をなさって、いろんな事業を切っていった。要するに本社がトップダウンで事業ポートフォリオそのものを変えて、5年間でV字回復。基本的にはマイナスをゼロにした改革ですよね。それまで全社的な資源配分の観点からして明らかにおかしなことがずっと続いていたのを、川村さんが大きな意思決定をして変えていった。これは偉業だったと思うんです。
じゃあ、この先はどうするのか。ひとつの路線として、もっと本社がガンガン引っ張っていけるんだっていう話はあります。もし日立が他の日本の大企業と一緒になればさらに売上高、利益、プレゼンスとも十分にシーメンスに対抗できるようになる。世界的に見てもインフラ事業で本格的に強い企業って数が限られているし、その勢いでボンバルディアもアルストムも買収できるかもしれない。だから、万難を排して経営統合すべしと。これはこれで1つの戦略で、川村さんみたいな本社のザ・ラストマンが腹くくって意思決定するという話です。
でも、僕はそうじゃないと思うんです。そこからさらに一歩進んでゼロをプラスにしていくには、本社が空中戦でビッグディシジョンを繰り出すのではなく、個々の事業がもっと稼ぐことで、生産性のフロンティアを超えていく。つまり競争優位をつくっていくための取り組みとして――いつも我田引水なんですけど――「好き嫌い」こそがものを言うのではないかと思うんです。
労働市場で取り引きされるのは、基本的には人間の能力ですが、そこで使われている言語なり文法なりはマーケティングだとかセールスだとかの「機能」、要するにスキルです。例えば「消費財のグローバルマーケティング歴〇〇年」という言葉でその人のスキルを表現する。
ところが個人の「好き嫌い」は、そういった機能言語では読み取れません。しかも、好き嫌いがわかったところで実際のジョブマッチングに生かすのは難しい。というのは、多くの場合、個人の好き嫌いの表現があまりに具体的すぎるからです。例えば小学生に将来どんな仕事やりたい? って聞くと、女子はアナウンサー、男子はYouTuberかサッカー選手。
問題は、YouTuberもサッカー選手も世の中にそこまで需要がないということです。アナウンサーだって1年にキー局全部合わせても30人くらいしか採らない。だからと言って、「ああ、やりたい仕事はできないんだ」では、諦めるのが早すぎます。
そこで、僕が提案するのが「好き嫌いテック for HR」なんです。
髙本
好き嫌いテック (笑)。楠木先生、詳しく教えてください。
具体と抽象の往復思考
楠木
僕が提案する「好き嫌いテック for HR」の肝は、個人の好き嫌いを抽象化することです。
その人が好きなことを、その人の言葉で語ってもらう。そして好き嫌いテックで抽象化して分析し、その人のツボに合致する具体的な仕事をレコメンドするというものです。
「ああ、この仕事は自分のツボにしっかり刺さっているな」と思えれば、好きだからこそ「どう工夫したらもっとよくなるかな」と試行錯誤するのも苦にならない。そうなれば、「努力の娯楽化」ができている状態です。よく「地に足が着いている」って言うときの「地」って、好き嫌いのツボだと僕は思うんです。
僕は子どもの頃から音楽が好き、スポーツが嫌いです。そういった具体的な好き嫌いを抽象化して見えてきたツボが、『すべては「好き嫌い」から始まる』にも書いた「エルビス4条件」「スポーツ4条件」です。
子どもの頃、親に「将来エルビス・プレスリーになりたい」って言ったら「職業じゃないからなれないよ」と言われました。でも、エルビスにはなれなくても同じ条件を満たす仕事はあるはず……そう考え続けて見つけ出した僕の「好き」のツボが、
・一人でやる仕事。上司も部下もいない。
・自由度が高い。
・利害が軽い。
・外部にいる顧客に直接向き合える。
これを「エルビス4条件」と呼んでいます。逆に「嫌い」のツボ、「スポーツ4条件」は、
・それが戦いであり、勝ち負けを巡る競争である。
・ルールが事前に明確に定められている。
・競争の勝敗や結果が客観的な数字で表れる。
・一方が勝つと他方が負ける、もしくは1位から最下位まで1つの基準でタテに並べられる。
要するに、スポーツが持つ「ゲーム性」ですね。
こうした好き嫌いのツボを見つけ出すのに大切なのが、具体と抽象の間を往復して思考することです。ただ、自分だけでこの作業をやるのは大変なので、ここにHRテックを応用する。そして「好き嫌いテック for HR」として商品化すれば、絶対に売れると思います。
忘れられない、海老名サービスエリアと柔道場
髙本
先生がご著書やこの連載で語られている「好き嫌い」は、人間のモチベーションのまさに根幹の部分だと思います。努力しなきゃいけないと思った時点で向いていない、というお話がとても腹落ちしました。例えばわたしが英語が得意じゃないのは、そもそも嫌いだからなんだなと。ご著書を読んで改めてわかりました(笑)。
楠木
僕自身の過去を振り返って思うのですが、努力してできるようになったことって所詮「できるようになりました」止まりなんですよ。「できる」だけの人なんて、自分以外にも無数にいる。マイナスがないだけ。言ってみれば自分はゼロの状態です。それをプラスの状態に持っていく、つまり「自分にしかできないこと」を手に入れるために努力するのって、相当難しい。頑張ったところで「おまえはすでに死んでいる」状態です。
僕がHRテックの一潜在ユーザーとしてお願いしたいのは、僕がこの年齢までえらい時間をかけて試行錯誤してやっと見つけた好き嫌いのツボを、テクノロジーの力でもっと効率的に見つけ出してくれることです。
人それぞれ、幸せを感じた体験、逆に勘弁してくれっていう体験、さまざまな具体的な体験がありますよね。それを思いつくままに、マイクでも人間に対してでもいいですけど、自由に話してくださいと。単語ではなく、文脈込みで。そうすると、システムが抽象化してくれて、「あなたのツボはこれですね」と。さらに、「会社の中でそのツボにはまる仕事はこれですよ」と、担当案件や配属までワンセットでレコメンドしてくれる。これが、僕が考える好き嫌いテックです。
僕が幸せを感じたのは、以前この連載でもお話しした学生時代の海老名サービスエリアでの体験です。合宿から抜け出してひとりコーヒーを飲みながらドーナツを食べたときの、体全体にほとばしる多幸感。もう一生忘れられないですよ。
逆にもう勘弁してくれ! っていう体験は、中学時代に受けた柔道部の先輩からのしごきですね。中1のとき、中2の先輩に道場で正座させられて叱られてたんです。「だからおまえら子どもだって言うんだよ!」。それ聞いて僕、爆笑したんですよ。「いまこの道場にいるの、全員子どもじゃん!」って。で、先輩に殴られるという。
髙本
(笑)。ご著書でも書かれていますね。それにしても、よく柔道部に入ろうと思われましたね。先生からは一番遠い世界の気がするのですが……。
楠木
いや、それはもう個人のアイデンティティが部活で決まっていた時代だったので。僕もどこかの部に入って真っ当な青春を送らなきゃいけないという先入観がありました。じゃあどうするんだっていうときに、僕はあらゆるスポーツが嫌いだけど、そのなかでも柔道ならひとりでできるんじゃないかと考えたからなんです。結局は全然違っていて、当てが外れたんですけどね(笑)。そのうちに幽霊部員になりましたけど。
まあこういった、自分の中での幸・不幸の体験を僕は子どもの頃から抽象化してきました。じゃあどんな仕事に就こうかっていうときに思いついたのが、シンガーと、研究者と、個人タクシーの運転手でした。
それで僕は、本当ならエルビスみたいなシンガーになりたいけど、それが駄目なら大学院に進んで、自由に働けそうな大学の先生になるんだと。……実際に入ってみたらだいぶ想像と違う面もあったんですけど、もしそれも駄目なら個人タクシー、っていうふうに考えてました。ただその頃は、世の中にあるさまざまな仕事のほんの一部しか知らない。今にして思うと、完全歩合制の保険営業マンなんか向いていたかもしれない。
髙本
うまいことおっしゃいますね(笑)。
楠木
結構、エルビス4条件を満たしてるんですよ。と言っても、実際その仕事に就いてみないと、本当にうまくいったかどうかはわからない。
つまり僕が言いたいのは、自分で好き嫌いのツボを探そうにも、せいぜい職種でしか仕事を捉えられないということです。それをAIが抽象化して、そこからもっと具体的に「日立の〇〇工場の経理のセクションのこの仕事ならあなたに合ってますよ」っていうところまで好き嫌いテックでレコメンドできるようになれば、好き嫌いのツボを探す効率、効果が飛躍的に上がると思うんです。
楠木 建
一橋ビジネススクール教授
1964年東京生まれ。幼少期を南アフリカで過ごす。一橋大学大学院商学研究科博士課程修了(1992)。一橋大学商学部専任講師、一橋大学商学部助教授、一橋大学イノベーション研究センター助教授、ボッコーニ大学経営大学院(イタリア・ミラノ)客員教授、一橋大学大学院国際企業戦略研究科准教授、2010年より現職。著書に『「好き嫌い」と才能』(2016、東洋経済新報社)、『好きなようにしてください:たった一つの「仕事」の原則』(2016、ダイヤモンド社)、『「好き嫌い」と経営』(2014、東洋経済新報社)、『戦略読書日記』(2013、プレジデント社)、『経営センスの論理』(2013、新潮新書)、『ストーリーとしての競争戦略:優れた戦略の条件』(2010、東洋経済新報社)などがある。
髙本真樹(たかもとまさき)
1986年、株式会社日立製作所に入社。大森ソフトウェア工場(当時)の総務部勤労課をはじめ、本社社長室秘書課、日立工場勤労部、電力・電機グループ勤労企画部、北海道支社業務企画部を経験。都市開発システム社いきいきまちづくり推進室長、株式会社 日立博愛ヒューマンサポート社社長などを経て、現在システム&サービスビジネス統括本部 人事総務本部 担当本部長を務め、人財統括本部 ヒューマンキャピタルマネジメント事業推進センタ長を兼任。全国の起業家やNPOの代表が出場する「社会イノベーター公志園」(運営事務局:特定非営利活動法人 アイ・エス・エル)では、メンターとして出場者に寄り添い共に駆け抜ける"伴走者"も務めている。
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