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東京経済大学 コミュニケーション学部 教授 東京大学 名誉教授 西垣通氏
囲碁の世界チャンピオンをグーグルの「アルファ碁」が破るなど、今、世界的に盛り上がりを見せる人工知能(AI)。ビッグデータ解析や機械学習の進展を背景に、各国で競ってAI研究が行われている。一方、2045年にはAIがシンギュラリティ(技術的特異点)を迎えて人間の能力を超え、人々の仕事を奪うとする脅威論もある。そうした現在のAIブームの狂騒を冷静に見つめ、AIの真の可能性を示唆するのが西垣通氏だ。1980年代にAI研究に関心をもち、その後も研究の動向を注視してきた西垣氏に、歴史的変遷と価値、これからのめざすべき方向性について聞く。

第1回:第三次人工知能ブーム」はなぜ起こったか >
第2回:ビッグデータとAIの密接な関係 >

シンギュラリティの背景にある西欧の伝統文化

ーー第2回では、第三次ブームをもたらしたディープラーニングについて解説いただくとともに、それによってもたらされた誤解と期待についてお聞きしました。また、AIには汎用の「強いAI」と、専用の「弱いAI」があるということですが、シンギュラリティの主役はあくまでも強いAIであり、それは実現できないというのが西垣先生のお考えですね。

西垣
はい。ご存知のように、シンギュラリティをめぐってさまざまな議論が白熱しています。カーツワイルのように、汎用AIの登場で人間の知的活動が増強され、飢餓や病気などあらゆる社会課題が消滅するという楽天的な意見がある一方で、AIを悪魔になぞらえたり、人類の終焉をもたらすといった、悲観的な意見を唱える人もいます。悲観論者の中には、マイクロソフト社創業者のビル・ゲイツやスペースX社のCEOであるイーロン・マスク、理論物理学者のスティーヴン・ホーキングなどの名前もあり、正直、なぜこれほどの知性を持つ人々までが本気でシンギュラリティの仮説を信じてしまうのだろうと、不思議になるほどです。

そこには、人工知能が意識を持ち、「自己」という概念を認識し、学習を続けていけば、やがて生物のような進化を遂げる、という思想が厳然とある。これは、人間と人工知能を同質な存在として同一次元で比較しようとする態度にほかなりません。その背景には、超越的な創造主を奉じるユダヤ=キリスト教文化、すなわち一神教による伝統文化の中で築かれた、絶対主義に基づく設計思想があるのだと思います。機械という存在を、人間の限られた能力との関連で相対的に捉えるという観点が抜け落ちているんですね。だからこそ、脳を分析しさえすれば、共通の結果が得られるはずだ、と考える。しかし、いくら脳を観察したところで、我々の心の内に生じる個人的なクオリア(感覚質)を説明することなどできません。当然、心を再現することなど不可能です。

日本では古来から、万物に精霊、霊魂、神様が宿るとするアニミズムの思想を伝えてきました。だからこそ、日本人はロボットに親近感を抱くし、友達になれると思っている。これは欧米では基本的にあり得ないことです。欧米では、人間が人型ロボットをつくることは創造主の模倣であり、神への冒とくであるとして、恐ろしい行為だという考えが一般的です。だから、カレル・チャペックは戯曲『R・U・R』の中でロボットの反乱を描いたし、『フランケンシュタイン』のような物語が誕生したのです。そうした伝統文化の違いから、AIに恐怖を覚える人がいるのは当然のことなんですね。

画像: シンギュラリティの背景にある西欧の伝統文化

生物は自律系、機械は他律系

西垣
ここで考えなければならないのが、「観察者の視点」という問題です。よく考えてみれば、世界を観察しているのは神のような超越した存在ではなく、人間にほかなりません。人間である自分が観察しているのだから、その前提に立って、自分の見ている世界を今一度、問い直す必要があるのではないでしょうか。つまり、二次観察(観察の観察)をすることでコンセンサスを得なければならないのです。それが本来の「知」であり「情報」だと思います。そうした、相対主義的観点の大切さに気づけば、生物と機械を同質とみなすシンギュラリティ仮説の欠陥がはっきりと見えてくるはずです。

こうした考え方は、20世紀半ばに数学者ノーバート・ウィーナーが提唱した理論をもとに、物理学者ハインツ・フォン・フェルスターらによって1970年代以降に体系化された「ネオ・サイバネティクス」という学問分野で追究されています。その議論の中から、生物は「自ら(オート)にもとづいて自らをつくる(ポイエーシスする)存在」であるという、生物と機械を峻別する「オートポイエーシス(自己創出)理論」が生み出されたのです。ちなみに、私はウィーナーの流れをつぐネオ・サイバネティクスの研究者の一人なのです。

そもそも、コンピュータは人間が設計したプログラム、つまりルールに従って動く「他律系」ですから、入力データとプログラムがわかれば、原理的にコンピュータの出力は完全に予測できます。開放系なのです。一方、生物は自分で自分のルールをつくり、その動作の仕方は「自律的」で、しかも閉鎖系です。どういうルールで反応しているのかは、外から観察しても厳密にはわかりません。つまり、機械は開いた他律システムで、生物は閉じた自律システムであるということ。だからこそAIは主体たり得ないのです。主体に不可欠なのは、「生きよう」とする意思にもとづく自律性なのです。

コンピュータは単にデータ処理をしているにすぎません。しかし非常に正確かつ高速に処理でき、大変有用です。一方、人間は、どんなルールで思考して動いているのか誰にも明確にわからないけれど、何か突発的な出来事にも柔軟に対応できる。フレーム問題に悩まされることなく、リアルタイムに状況判断ができる。その人間の能力とAIの機能を組み合わせることこそが重要なのではないでしょうか。

画像: 生物は自律系、機械は他律系

AI(人工知能)からIA(知能の増幅器)へ

ーーこれまでのお話を踏まえて、今後、人類はどのようなAIをめざすべきだと思われますか。

西垣
私がめざすべきだと思うのは、AIではなく、IA(Intelligence Amplifier)なのです。端的に言えば、人を超えた能力を持ち何でもできるAIではなく、特定目的に向けた現行のいわゆる「専用人工知能」を上手く活用した、人間の知能の増強です。

例えば、サービス業にはやはり人間が必要ですよね。サービスには臨機応変な気配りが欠かせませんし、予期しない反応にも柔軟に応える必要があります。銀行における投資相談でも、個々の顧客のきめ細かいニーズに応じた金融コンサルティングをAIに丸投げするなど無理でしょう。こうした非定型な役割をAIにやらせたら、顧客の不安を拭えないどころか、逆に怒らせてしまうはずです。自動改札機の導入によって駅員が失業しなかったのも、顧客の多様な質問に改札口で駅員が丁寧に対応しているからです。

一方で、人事評価をAI(IA)で補佐することはできると思います。いくら有能な人でも、上司とソリが合わないこともあります。私自身、サラリーマン時代には上司に気に入られて可愛がられることもありましたが、その逆もありました。当然、ソリの合わない上司の下では良い評価も得られません。そうした際に、AI(IA)が公平に統計に基づいて判断してくれるなら、誰もが納得できる人事評価ができるのではないでしょうか。

しかし当然のことながら、人事評価のすべてをAIで任せることはできません。この人は今はダメだけど面白いアイデアを持っているとか、包容力があって部下の失敗をかばっているとか、そうしたデータ化されない人間の能力を見抜くのは、やはり人間にしかできないことだからです。

機械という存在は過去のデータをベースにして答えを出しますから、どうしても過去に囚われます。扱えるのは「データ(記号)」だけで、形式的な計算しかできません。一方、人間は過去の経験を蓄積し、過去のデータに学んで、現在の行動モデルをつくりますが、激変する未来に対しても何とか臨機応変に対処できる。実際の経営や人材育成の現場では、やはりこうした「暗黙知」が不可欠であり、AI(IA)に加えて人間の能力が欠かせません。

それから、忘れがちなのがAIにしろIAにしろ、プログラムには補修・維持がつきものだという点です。一度つくっておしまいではなく、活用する中でインターフェイスを進化させていくといった努力も必ず必要になってくるでしょう。そこに人材もコストも必要になる、という点に留意しておかなければなりなせん。

日本がめざすべきAIの方向性

ーー今、日本でもAI研究に巨額の予算がつき、国を挙げて研究が進められていますね。そのことについてはどのようにお考えでしょうか。

西垣
欧米に追随するという動き自体が悪いとは言いませんが、問題の本質をよく考えることもせずに、ただ欧米に遅れてはならない、他者に負けてはならないと、懸命に奇妙な研究の後追いをすることだけは避けなければなりません。表面的に技術的課題だけを追いかけても、またあの第五世代コンピュータ開発と同じ無残な失敗に終わってしまうでしょう。

これまで申し上げてきたように、シンギュラリティとは西欧の宗教的伝統文化の上に形成された仮説にすぎず、惑わされる必要などありません。日本がこれまで進めてきた専用AIやロボットの性能を上げる方向で、地道に突き進んでいくのがいいと思います。それがひいては、産業界にとっても必ず大きな力になると思います。

例えば、フランス料理にしても、日本人は独自の感性でアレンジして、繊細で美味しい料理を出していますね。今やフランスの料理人が日本人の技を真似るほどです。それは、スマート工場でも同様でしょう。海外のやり方をただ取り入れるだけでなく、独自の工夫を凝らしてより洗練させていく。そこに日本人ならではの知恵があります。

東日本大震災のとき、新幹線は一台も脱線したり転覆しないですみました。微弱な初期振動を検知して瞬時にスピードを落とす技術が威力を発揮したと聞いています。こうした高度な技術こそ誇るべきであって、そうした分野にAIの活躍の場がある。応用分野は、自動運転やインフラの老朽化への対応、医療の迅速化など、実にさまざまです。そういった意味でも、サプライサイドに立ってインフラ事業に取り組む日立への期待は非常に大きなものがあります。

もう一つ重要なキーワードが、「集合知」です。集合知とは、簡単に言えば、主観知から客観知を導き出す方法のこと。たくさんの人々から多様なデータを集めると、個々のデータのゆがみが相殺されて、集団としての特性が浮かび上がります。これはまさに、ビッグデータ解析やディープラーニングにも通じる知見ではないでしょうか。

現在、日立でAI研究を牽引されている矢野和男さんも、集合知に着目され、組織の活性化にAIを導入して、集合知の増幅をめざしていらっしゃいますね。こうした日本発の取り組みに、これからも大いに期待しています。

(取材・文=田井中麻都佳/写真=秋山由樹)

画像: 日本がめざすべきAIの方向性
画像: 西垣 通 氏 東京経済大学 コミュニケーション学部 教授。東京大学名誉教授。工学博士。 1948年東京都生まれ。東京大学工学部計数工学科卒業。日立製作所に入社、コンピュータ・ソフトの研究開発に携わる。その間、スタンフォード大学で客員研究員、その後、東京大学大学院情報学環教授などを経て2013年より現職。専攻は情報学・メディア論。著書に『集合知とは何か』(2013年)、『ビッグデータと人工知能』(2016年)など多数。

西垣 通 氏
東京経済大学 コミュニケーション学部 教授。東京大学名誉教授。工学博士。
1948年東京都生まれ。東京大学工学部計数工学科卒業。日立製作所に入社、コンピュータ・ソフトの研究開発に携わる。その間、スタンフォード大学で客員研究員、その後、東京大学大学院情報学環教授などを経て2013年より現職。専攻は情報学・メディア論。著書に『集合知とは何か』(2013年)、『ビッグデータと人工知能』(2016年)など多数。

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