第三次ブームのカギを握るディープラーニング
ーー第1回ではAIの歴史的変遷を追いつつ、なぜ、これまでのAIがうまくいかなかったのか、またなぜ第三次ブームが起こったのかについて伺いました。現在のAIのブレークスルーとなった「ディープラーニング(深層学習)」について、もう少し詳しくお聞かせいただけますか。
西垣
前回述べたように、ディープラーニングとは、パターン認識のための機械学習の一種です。実はこの技術は、「ニューラルネット(神経細胞網)」と呼ばれる、人間の脳の神経細胞の情報伝達の特徴をコンピュータで真似た技術を進化させたものなのです。ニューラルネット自体は1950年代から研究されていたのですが、当時は膨大な計算量に対応できず、実用化には至りませんでした。
かいつまんで説明すると、脳のニューロン(神経細胞)は、互いにシナプス経由で結合されていますが、このシナプスがニューロン同士の結合強度をつかさどっています。そして各ニューロンは、結合された複数のニューロンから電気刺激を受け、それがある閾値を超えると発火して電気刺激を発生し、次のニューロンへと情報を伝達します。同様に、AIのニューラルネットでは、各ノード(人工ニューロン)が入力を受けて発火するたびに、結びつき(重み付け)を強くし、これを繰り返すことで内部パラメータを最適に調整していきます。その際、その構造が入力層、中間層、出力層と層状になっているのがポイントで、隣接した層のニューロン群とリンクで結合され、それぞれに重み係数がつけられているのです。人間の場合、学習によってシナプスの強度が変化して記憶が形成されますが、ニューラルネットにおいても、学習によって内部パラメータである重み係数が調整されていくわけです。
さて、このニューラルネットをさらに多層に積み重ねたものがディープラーニングであり、コンピュータの高性能化とビッグデータにより実現しました。とりわけディープラーニングで画期的なのが、「特徴量設計の自動化」を実現したことです。つまり、猫の特徴を教えていないのに、コンピュータが自動的に猫を認識することに成功したのです。対象となるパターンの特徴を人間が与えるのではなく、コンピュータが自ら抽出したとして衝撃を与えました。
ここで活用されているのが「自己符号化」と呼ばれる技術です。これは、きわめて簡潔に言えば、得られた出力パターンをもとの入力パターンと比較し、その差異を減らすように内部パラメータ調整を行うというもの。つまり、「少数の内部パラメータによって、もとのパターンを復元する」という手法です。しかもそれを多層にして繰り返すことで、精度を上げていくのです。これが可能になったのは、まさに圧倒的なデータ量(ビッグデータ)と統計処理の力にほかなりません。
AIとビッグデータへの過信と期待
西垣
しかし、ここで大きな誤解が生じてしまったのです。コンピュータが猫の画像の特徴を自動的に抽出できたのだから、コンピュータが猫という概念も獲得できたと主張する研究者が現れました。これで、いわゆる「記号接地問題」も、前回説明した「フレーム問題」もいずれ解決し、汎用AIへの道が拓かれるだろうと言うのです。それはあまりに楽天的な主張であり、的外れであると言わざるを得ません。
記号接地問題とは、コンピュータで記述される記号を、実世界の意味と結びつけられるかという問題で、フレーム問題と並ぶAIの難問です。つまり、猫という記号と、それが表すあの「可愛い四本足の動物」という意味内容をいかに関連づけるかということ。しかし、言語学者のフェルディナン・ド・ソシュールが論じたように、人間の扱う概念は絶対的なものではありません。同じ猫でも日本語と英語、フランス語では微妙に使い方が異なるように、概念とは言語共同体の中で形成されるものであって、完全なものが一つ存在するわけではないのです。
ーーグーグルの「アルファ碁」の勝利も、そうしたAIへの過信を後押ししたように思います。
西垣
そうですね。碁というのは閉じた世界の話で、単に組み合わせの数が非常に多いだけにすぎません。それを高性能なコンピュータとパターン認識を活用した最適なアルゴリズム(計算方法)で解いたというだけで、必ずしも「頭がいい」というわけではありませんよね。人間の場合、それを計算能力ではなく直感で導き出すところに知性の本質があるし、面白みがあると思います。
もっとも、ディープラーニングが示したように、ビッグデータがAIに大きな進展をもたらしたことは間違いありません。今後、ビッグデータとAIが結びつくことで、我々の生活をめぐる生産と消費のあり方は大きく変化していくことになるでしょう。すでに始まっていますが、個人向けのターゲティング広告をはじめ、One to Oneマーケティング戦略(顧客一人ひとりに対して展開されるマーケティング)にビッグデータとAIを活用することで、人々の個別の好みに応じた新たな消費需要を掘り起こすことも可能になります。
なかでもビッグデータとAIの活用で期待されているのが、IoT(Internet of Things)です。地球上の人間の数は70億程度ですが、すべてのモノ(物体)がセンサー経由でインターネットにつながれば、その数は軽く兆を超えるでしょう。その解析を厳密にやっていたのでは、高速なプロセッサをもってしても歯が立ちません。そうした中で、厳密でなくても素早くそこそこの解を出すというのは意味のあることだと思います。
このIoTの進化は、先進国の生産活動も変えると期待されています。代表的なのが、現在、ドイツが国を挙げて進めている「Industrie 4.0」です。ドイツがめざしているのは、いわゆる「スマート工場」で、従来のように大量生産で同じものを作るのではなく、きめ細かく個人の需要に対応した多品種少量生産を可能にしようという狙いです。こうした技術革新による産業の構造転換をめざすのは、ドイツだけでなく、EU諸国も米国も、そして日本も同様でしょう。
ここで重要なポイントは、そこには必ず人間が関与する必要があるということです。確かに、スマート工場ができれば単純作業を行う労働者は減ります。しかし実際には、製品設計をはじめ、工程管理やロボット保守の仕事、さらにはデータを扱うコンピュータのハード/ソフトの開発維持の仕事など、これまで以上に高度な仕事が増えていく。つまり、高度な製品をつくるスマート工場の運営には、人間の高度な知的労働が欠かせず、AIによって完全に人間の仕事が奪われることはないのです。
意識を持つ「強いAI」、きめ細かいデータ処理をする「弱いAI」
ーーAIはビッグデータと結びついたことで革新的に進化したけれど、一方で、人間に取って代わるような存在になるわけではない、ということですね。
西垣
そもそもAIとは何かということを、もう少し明確にしておく必要があります。シンギュラリティ信奉者が念頭に置いているのは、いわゆる「強いAI」です。強いAIとは、人間のように自我意識を持ち、汎用性を持つAIのこと。AGI(Artificial General Intelligence)とか、超人工知能(Artificial Super Intelligence)と表現されています。
しかし、そもそも「意識とは何か?」という問いは、哲学的にも非常に大きな難問であって、そう簡単に答えは出ません。ゆえに強いAIの実現の可能性をめぐって、激しい論争が続いているのです。そうした中で、欧米を中心に脳科学と人工知能を結ぶ研究が強力に推進され、巨大プロジェクトがあちこちで開始されていること、これをマスコミが大きく取り上げることで、シンギュラリティの実現性が高まったと考える人が増えているのは事実です。しかし、私は少なくとも今の技術では、こうした強いAIは実現できないと考えています。
これに対して、「弱いAI」はすでに実現されているものも少なくありません。これは、特定目的のきめ細かいデータ処理をする専用のAIのことです。私はこの弱いAIこそが非常に有用であって、その実現に寄与するディープラーニングには大いに期待しているのです。
もう25年も前のことになりますが、人工知能の父と言われるマービン・ミンスキーが来日した際に、私はNHKのテレビ番組でインタビューをする機会を得ました。その際、ミンスキーが「大切なのは脳なのです。猿にピアニストの脳を移植すれば、ピアノが弾けるようになります」と言ったので、心底驚きました。そんなことはあり得ませんよね。人間とサルとでは、腕や指の構造や筋力がまったく違うので、ピアノが弾けるようになるはずがありません。そもそも、サルにピアニストの脳を移植したらあっという間に死んでしまうでしょう。
このミンスキーの発言が端的に表しているように、強いAIを主張する人々は論理主義の上に立って考えているのだと思います。一方、私が考えるのは、生命体としての人間と無機物の機械としてのコンピュータの違いを前提としたAIの可能性です。AIが、人間ができないような計算や分類をしてくれることには大いに利便性があります。その視点に立って、今後のAIとの共存の仕方を探っていくべきだと思います。
(取材・文=田井中麻都佳/写真=秋山由樹)
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