慢性疲労症候群患者を診断する
倉恒弘彦氏は岡山県生まれの大阪育ち。大阪大学大学院医学系研究科に進み、卒業後は同大学の微生物病研究所に助手として勤務した。当時の専門は血液内科。白血病や悪性リンパ腫の患者を診ながら研修医の指導にあたっていたが、ある偶然から疲労研究に足を踏み入れることになる。
「当時は、木谷照夫教授のもとで血液疾患の患者さんの診療や臨床研究を進めていましたが、そこに原因不明の疲労や脱力を訴える患者さんが入院してこられました。研修医が主治医となり、わたしがその指導医を担当しました。しかし、いくら検査しても病状を説明できるような異常をみつけることができず困っていたところ、ある日、教授回診で来られた木谷先生から"1988年にアメリカで発表された慢性疲労症候群という病気とよく似た症状なのではないか"と指摘を受けました。改めて患者さんを調べてみると、どうもその病気と同じらしいということがわかった。実はそれが、国内で初めての慢性疲労症候群の診断例だったのです」。
この患者の存在については、1990年春、日本内科学会の近畿地方会において発表された。その年の秋に、ニューズウイーク誌日本語版に慢性疲労症候群の特集記事が大きく掲載され、病因としてエイズウイルスと同じレトロウイルスが挙げられたことにより、状況は一変。当時、日本では血液製剤へのエイズウイルスの混入が大きな社会問題となっていたため、エイズと同様に慢性疲労症候群も血液製剤を介して日本中に広がっている可能性が、マスコミで取り上げられるようなった。そこで、1991年に木谷氏を班長とした慢性疲労症候群研究班が発足。症例報告の指導をしていた倉恒氏が、事務局を担当することとなった。
疲労に苦しむ研究者を検診
偶然が重なり、疲労研究の最前線にいきなり立たされた倉恒氏。慢性疲労症候群の病態を明らかにし、その原因をつきとめ、治療法を確立するという任務のもと、研究を進めた。1993年のある時期、倉恒氏はアシルカルニチンという血液中の物質に着目。これが脳内で重要な働きをしているのではないかとの疑いを持った。しかし、脳科学は倉恒氏の専門外。調べる術がわからず、悩んでいた。
「ちょうどその頃、疲れから腹痛を起こした研究者を診る機会がありました。それが、当時バイオサイエンス研究所に勤務されていた渡辺恭良先生でした。その専攻は脳科学。アシルカルニチンの相談をしてみたところ、スウェーデンの大学に協力してもらえれば調べられるとの返事をくださいました」。
やがて疲労研究を担っていくふたつのピースが、ここでつながった。
疲労研究の再スタート
厚生省のもとでの疲労研究は、当初エイズウイルスなどの感染症を引き起こす物質を、疲労の原因と疑って研究が進められた。しかし、最終的にエイズウイルス説は否定され、原因を突き止められないまま研究班の期間が終了。これで中断してしまうかに見えた疲労研究だが、1999年に文部科学省の研究プロジェクト(代表:渡辺恭良氏)に採択される。
「今度こそ疲労の原因を明らかにすべく、研究班を大きく二つにわけました。慢性疲労症候群の病態を明らかにするチームと、疲労のメカニズムを解明するチームです。全国の大学の先生に参加を呼びかけ、渡辺先生はメカニズムを解明する研究を担当してくださいました。慢性疲労症候群だけでなく、身体疲労や精神疲労を含めた疲労全般を科学的に研究する試みは、世界で初めてのことでした。アメリカの学会で疲労科学という言葉を持ち出したら、驚かれたくらいです」。
世界的にも未開拓だった疲労研究。一方で、慢性疲労症候群の患者は厳しい状況に直面していた。
慢性疲労症候群患者を取り巻く現実
当時、疲労はあくまで感覚的なものと見られており、患者は周囲からの理解が得られない状況が続いていた。
「通常の保険診療で認められる検査では、慢性疲労症候群における体の異常や疲労状態を証明できなかったのです。だから、患者さんたちは、世間からはサボってるように見られがちでした。医療機関でも有効な治療をしてもらえないうえに、どこの診療科で診てもらえばいいかもわからない。そうなると、診断書ももらえないので、職場での信頼関係を無くしてしまう。なかには家族からの信頼を失うというケースもあります。子どもの場合は、不登校や引きこもりになります。疲労という病態を明らかにすることで、苦しんでいる人たちを助けたい。そのための疲労研究なのです」。
数々の慢性疲労症候群の患者を診てきた倉恒氏。疲労は個人個人の問題だけではなく、社会課題だと強く認識しているようだ。
疲労を客観的に評価する
1999年に始まった疲労の基礎研究は、着々と進行。やがて、疲労の治療に向けて、新たな課題が見えてきた。
「そもそも疲労の客観的な評価ができませんでした。だから、患者間の疲労の度合いを比較することもできません。まずは、バイオマーカー(病気の進行を定量的に把握するための指標)を設定する必要がありました」。
2009年には、疲労の客観的な評価法の確立を目指す研究をスタート。倉恒氏がバイオマーカーの候補に選んだのは、5つの項目だ。
「まずは自律神経機能の評価です。交感神経系と副交感神経系を調べて、そのバランスや機能年齢を診ます。次に、身体活動の量。3つめが睡眠の状態。4つめは、血液中の活性酸素。これは、疲れてくると抗酸化力が落ちるからです。5つめが、脳機能。単純計算の課題をやってもらい、機能が低下していないかを調べます」。
この5つの項目の検査方法には、将来の疲労治療を見越した倉恒氏のある思いがある。
「この研究では、民間の小規模な診療所でも扱える簡便な検査方法を目指しました。だれもが疲労の治療を受けられるようにするためには、あまり難しい検査法は現実的ではありません。実は、自律神経の検査法そのものは30年前からあったのです。ところが、データ取得に時間がかかり、解析には費用がかかる。血液検査や脳内スキャンのように詳細な検査もありますが、わたしたちは基本的な方法で患者さんを診ることにしました」。
宮城での検診
疲労のバイオマーカー研究を始めた2年後、ある出来事が倉恒氏を必要とした。
「東日本大震災です。宮城大学の看護学部が、被災した県内各地へ医療支援に向かったのですが、現地では自治体の職員も疲弊し、支援を必要としていました。彼らも、家族や家を失いながら不眠不休で復興活動にあたっており、疲れているからといって休める状況ではなかったのです。そこで、ちょうどわたしが研究していました、疲労を客観的に評価する手法を用いて、現地で検診に参加することになりました。宮城県のある市の職員を対象に疲労検診(代表研究者:宮城大学の吉田俊子氏)を実施しましたところ、多くの職員が心身の疲労を自覚しており、自律神経系のバランスも崩れていました。さらに、手首に加速度センサーを装着してもらって日中の活動量を評価したところ、自律神経系のバランスの異常と活動量の低下には正の相関があることもわかりました」。
自律神経を診れば、疲労が見える
宮城県におけるの検診の結果は、倉恒氏に新たなヒントをもたらした。
「自律神経の状態は、簡便な検査で測定できます。だから、まず自律神経の測定を入り口として、そのなかで異常のあった人には、さらに他の項目の検査を受けてもらう。これが、わたしがたどり着いた疲労評価の手順です」。
自律神経の状態を測定すれば、疲労の度合いがわかる。自律神経の状態は、脈波と心電を測ることによって得られる。しかし、従来の機器では問題があった。
「もともとは、脈波と心電を別々に測定する機器を使っていました。自律神経機能を正確に評価するためには、連続したデータを最低でも2分間計測する必要がありますが、心電にはノイズがあり、脈波には末梢の循環不全などがあるため、必ずしも2分間の連続データが得られないという問題がありました。そこに、ある精密機器メーカーが、新しいセンサーを搭載した試作機をもって相談に来られました。それには、心電と脈波を同時に測定できるチップが搭載されていたのです。そこで、この2つのデータによる補完システムを作成することによって連続データをより確実に得られると気づきまして、さっそく、ベンチャー企業と共同で開発に乗り出しました。できたのが、両手の人差し指をセンサーに2分間当てるだけで自律神経の状態を測れる機器です。使いやすく、また、測定を安定させるためには、機器の形状も大切であり、開発には長い期間がかかりました」。
ついに、疲労の定量化に成功した倉恒氏。1991年に疲労研究を開始してから、実に20年以上の歳月が流れていた。
日本の疲労研究をさらに発展させる
疲労研究を世界に先駆けて進めてきた倉恒氏だが、日本の医学界における機運はまだまだ低いと感じている。
「これまで、慢性疲労症候群の病因・病態研究や、疲労の分子神経メカニズムの解明を目指した研究は、渡辺先生をはじめとして関西の研究者が中心となって進められてきました。このため、疲労の診療を標榜しておられる先生方も、関西に多いのが現状です。しかし、東京や横浜など関東地方からも多くの患者さんが来られています。そこで、関東にも疲労懇話会が立ち上がりました。今後は、より多くの臨床医や研究者の先生方にご参加いただき、世界をリードするオールジャパンの体制で疲労研究を進めていきたいと考えています」。
疲労の測定方法を編み出し、測定機器を開発しただけでなく、日本の疲労研究をさらに盛り上げていこうとする倉恒氏。次回は、だれもが自律神経を測定できる環境づくりを目指した自律神経測定システムの開発について、渡辺氏と倉恒氏のほか、システム開発に携わった株式会社日立システムズの松原氏に話を聞いた。
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