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人を動かすのは、日常生活の問題
山口
先生は南海トラフ巨大地震について警鐘を鳴らしておられます。振り返ってみると、1990年代初頭にバブル景気が崩壊、そして1995年1月17日に阪神淡路大震災、3月20日に地下鉄サリン事件が起き、そこから日本は「ある種のモード」に入っていったように思います。地震はもちろん自然現象ではあるものの、何か象徴的な時代の節目に起きているようにも感じられます。天変地異と日本の社会の関係について、先生はどのようにお考えでしょうか。
養老
人を動かすのは政治でも何でもなくて、日常生活の問題なんだと僕は思います。天変地異というのは日常生活を変えてしまいます。例えば食料。今はほとんど輸入に頼っていて、自給率40%前後とされていますが、計算の仕方によってはもっと低い。外国に依存しているそんな状況を、いくら指摘して直せと言っても直りません。やはり天災などによって流通が止まり、餓えの危機に直面しないとほとんどの人はこの問題に気がつかないし、変えようとも思わないんです。だから天変地異が起きると、そうした無理をしている部分がひとりでに壊れるから、社会が変わるきっかけになるという面はあるでしょうね。
山口
昭和の時代にいろいろなアニメーションや特撮の作品が生み出されましたが、それらの多くに共通している設定は、何か得体の知れないものが外からやってきて日常が蹂躙されるというものです。これはメタファーとしては自然災害に近く、それによって人が結束したり、創意工夫が生まれたりする。そうしたことを考えると、ある種のタナトス(破壊衝動)と言いますか、カタストロフを心の底で待ち望んでいるような面がこの国にはあるのではないか、とも思うのですが。
養老
それはちょっと考えすぎかなという気もしますね(笑)。もっと具体的な、もしそうなったらどうするの、という問いかけのようなものじゃないですか。
コロナ禍のとき、東京から脱出するといって一時的に転入数は減ったけれど、しばらくすると、また転入が増え続けてコロナ禍前の水準に戻ってしまった。日本人はそれぐらい懲りない民族ということでしょうから、何度も問い直す必要があるのではないでしょうか。
山口
東京都の転入超過は10代と20代の若い世代が中心で、30代、40代は、コロナ禍前は転入超過だったのが、コロナ禍後は転出超過が続いています。世代によって事情は異なり、子育て世代には住宅価格の高騰が影響しているのだと思われますが、私もそうだったように「東京一極集中はもう勘弁してくれ」と思っている人も多いのではないでしょうか。
養老
修正しなければいけないことはわかっているから地方移転とか地方創生とか言っているけれど、本気でやっていないから是正できないのでしょうね。なぜなら、多くの人の日常生活に影響がないから、とりあえずは。
山口
ということは、のっぴきならないところまでいかないとシステムは変わらない、今はまだそこまでいっていないということなのでしょうか。
養老
そうですね。やはり徹底的に日常生活が不自由にならないと本気で考えないでしょう。何でも他人事という人が多いですから。

モノと人の関係性が変わると社会も変わる
山口
コロナ禍でも日常生活がかなり制約を受けて、さまざまな議論が巻き起こったものの、さきほどおっしゃったように東京一極集中に戻ってきている。日本というのは地形の影響で水の流れが速く、降水量も多いですよね。そうした気候風土も関わっているのか、日本語で「水に流して」というように過去の問題をすぐ忘れる傾向があります。それはある意味では日本人の美点だとは思うのですが、結局、同じことを繰り返してしまうという問題もありますね。ただ、次になにか大きな自然災害があれば、大きな変化のきっかけになりうるということでしょうか。
養老
現に歴史がそうでしたからね。それこそ『方丈記』や『平家物語』が書かれた頃は、平安時代のいわゆる貴族文化が壊れ、鎌倉に武家政権ができた時代です。それだけ大きな変化は起こそうとして起きたものではなく、『方丈記』に書かれたように、1181年にひどい飢饉(養和の飢饉)があったんですね。「京のならひ、何わざにつけても、みなもとは田舎をこそ頼めるに、絶えて上るものなければ」、つまり都は食料を地方に頼っていたのに、それが上がってこないので、大量の餓死者が出た。さらに1185年に起きた大地震(文治地震)、これが南海トラフ地震だったと考えられていますが、それによって山が崩れ、地が裂け、流通も止まってしまった。地方から食料を運ぶにも、途中に山賊、海賊がいて奪われる。武力がなければどうにもならない状況になり、武家政権へと変わっていったんだなということが、方丈記を読むとしみじみわかる。だから上から理念、理想を唱えたって社会は変わらないんです。
山口
抽象的な話ではないということですね。
養老
そうです。どうやったら生き延びられるかなんです。僕はむしろ、そういうことを書き残している鴨長明とか、累々と横たわる餓死者の額に、成仏できるよう「阿」の字を書いていた仁和寺のお坊さんがなぜ生き延びられたのか。彼らは食料をどうやって確保していたのか、ということが気になっています。
山口
モノと人と社会の関係でいうと、モノと人の関係性が変わると社会も変わるということですね。桓武天皇の平安遷都も、宗教上とか政治上の理由があると言われていましたけれど、元国土交通省の竹村公太郎さん(歴史学者・土木工学者)がおっしゃるには、エネルギー問題だと。要するに奈良盆地の木を切り尽くしてしまったからだそうです。
養老
当時、木はきわめて重要な資源でしたからね。
山口
だから森も水も豊かな京都に移らざるをえなかったという単純な話だとのことです。そう考えると、社会変革というのも、脳で考えるよりはモノの世界、感覚の世界に立ち返ってみることが重要なのですね。日本が変わる可能性は、そのあたりにありそうな気がしてきました。
養老
ここまで来てしまうと変わらざるをえないと思います。世の中は思い通りにいかないことばかりですが、それを受け入れた上で、少しずつ変えていく、変わっていかなきゃいけない。日本人が思い通りにならない自然と付き合う中で培ってきた「努力」、「辛抱」、「根性」がやっぱり大事なんです。
山口
ありがとうございます。今日はたいへん勉強になりました。
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養老 孟司
1937年神奈川県鎌倉市生まれ。東京大学大学院基礎医学博士課程を修了、医学博士号を取得。東京大学助手・助教授を経て、1981年解剖学第二講座教授。1995年退官。東京大学名誉教授。以後、北里大学教授、大正大学客員教授などを歴任。
1989年、『からだの見方』でサントリー学芸賞受賞。2003年の『バカの壁』は450万部を超えるベストセラーとなった。他の著書に『唯脳論』(青土社)、『ヒトの壁』(新潮新書)など多数。

山口 周
1970年東京都生まれ。電通、ボストンコンサルティンググループなどで戦略策定、文化政策立案、組織開発等に従事した後、独立。
著書に『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』(光文社)、『武器になる哲学』(KADOKAWA)、『ニュータイプの時代』(ダイヤモンド社)、『ビジネスの未来』(プレジデント社)、『クリティカル・ビジネス・パラダイム』(プレジデント社)他多数。最新著は『人生の経営戦略 自分の人生を自分で考えて生きるための戦略コンセプト20』(ダイヤモンド社)。慶應義塾大学文学部哲学科、同大学院美学美術史学専攻修了。
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