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情報化が進んだ社会では、都会と田舎を行き来する参勤交代などで身体感覚を回復する必要があると養老氏は話す。また情報と実体の位置づけにおける西洋と日本の違いを山口氏は指摘するが、養老氏によれば日本とアメリカには意外な共通点もあるのだという。

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「第3回:真実はモノにあるのか、情報にあるのか」
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情報と実体のバランスが必要になっている

山口
現代の、特に都会に住む人が失っている「自分と環境が不可分である」という感覚を取り戻すために、先生は都会と田舎を行き来する参勤交代をすべきだとおっしゃってきました。やはり意識して自然の中に身を置くことが必要なのでしょうね。

養老
今は世界全体が情報化社会になっていますから簡単な話ではありませんが、やはりときどきは実体に触れて身体感覚を取り戻し、バランスをとることは必要でしょう。ときどき、もどかしくなってしまうんですよね。こうやって話すということも、結局、自分の感じたことを言葉として表現しているわけで、それは実体ではないわけですから。

山口
確かにそうですね。

養老
言葉にする段階で「情報」になってしまう。だから仏教はほんとうによくできていると思うんです。「色即是空、空即是色」って、要するに言葉にしてしまえば何を言っても同じだということです。言葉の世界ってそういうものだろうと。

山口
それと真逆の考え方が新約聖書の「ヨハネの福音書」で、「はじめに言葉があった」と、「万物は言葉によって成った」とも書かれている。これは感覚というよりは論理の世界が根本にあるということですから、やはりなかなか日本と西洋の調停は簡単ではない気がします。

養老
日本人はそういう言い方はしないでしょうね。論理だけで物事が運ぶわけではないので。

山口
これはなかなか難しい問題だと私は思っていまして、昨今、グローバル化を進めている日本企業も多いのですが、グローバル化の壁は現地化せず地理的に組織を拡大することです。ではこれまでグローバル化に最も成功した組織はどこかというと、ローマ・カトリック教会です。通信手段の乏しい時代から世界各国に広がり、それぞれが現地化せずに抽象的な組織であり続けた。その成功の最も大きな要因は「偶像崇拝」を禁止したことだと思います。聖書に書かれたこと、すなわち情報は変化しない。それに対して、偶像というのは実体ですから、実体は必ず変化して現地化してしまいます。だから偶像を拝んではいけないというのがモーセの十戒の二番目に書かれています。
このような、真実はモノではなく情報のほうにあるという西洋の態度も、一つのあり方だとは思います。ただそれが世界を席巻しようとしているなかで、日本の民族的な感覚として相容れない部分があり、軋轢が生じているように感じます。

養老
東京大学先端科学技術研究センターの鈴木俊貴准教授がシジュウカラの言語を研究されていて、それをさらに動物全体に広げた「動物言語学」という新しい学問分野を立ち上げていますけれど、そうした研究は日本ならではと言えるでしょうね。要するに感覚的なものをどのくらい取り入れていくか。それはおっしゃるように偶像、モノの世界と関係しているわけです。日本語はほかの言語よりも感覚寄りでしょう。オノマトペがそうですから。ああいう感覚寄りの表現は幼児のもので、ちゃんとした大人が使うべきものじゃないと欧米の人は考える。

画像: 情報と実体のバランスが必要になっている

日本とアメリカの意外な共通点

山口
立脚点が違うのでしょうね。ただ一方で、おっしゃるように現代は情報化が進みすぎ、変化しないもの、動かないものばかりに囲まれています。人は変化し続けるものですし、特に若いほど変化が激しいのに、動かないものばかりの世界には非常に生きづらさを感じるのではないかと思います。2024年に自殺した児童生徒の数が527人(厚生労働省の暫定値)と過去最多になったということが、そのことを象徴しているのではないでしょうか。
夏目漱石は自身の中での日本と西洋の調停に煩悶し、『行人』の主人公に「死ぬか、気が違うか、それでなければ宗教に入るか。」という自分の心情を投影した言葉を言わせたわけですが、現代人は情報と感覚の調停に苦しんで漱石のような状況になってきているのではないかと感じます。先生はこの三つ以外の道は何であると思われますか。

養老
やはり自然回帰を意識的に行うことでしょうね。ここまで情報化して、考えることがAI化、手続き化している社会では、逆に感覚の世界が必要です。身体というのは感覚の世界であり、自然に近いもの、脳がコントロールできないものですから、脳はそれを抽象化して排除しようとするのです。食料の調達も抽象化させ、スーパーやコンビニに行けば間に合うようにしてきた。本来は毎日、五感を働かせて食べ物を探しに行かなければいけなかったのに。

山口
私は10年ほど前に東京から葉山に移住したのですが、海に子どもを連れて行ったときに手掴みで魚を捕まえてきて、「焼いて食べたい」と言い出したんですね。それを聞いて私が瞬間的に思ったのが「そんなもの食べちゃ危ない」ということでした。でも考えてみると、目の前で子どもが捕ってきた魚を危ないと感じ、スーパーで売っている誰が捕ってどう加工したかもわからない魚を安心して食べているというのは、相当おかしな感覚になっていたよなあ、と後から思いました。
私の妻は長くイタリアのフィレンツェで暮らしていて、基本的に自分の口に入れるものは自分が知っている生産者から買うのが安心だという考えを持っています。フィレンツェではスーパーではなく生産者から直接食べ物を買うのが普通だそうで、考えてみれば、それが本来のあり方ですよね。でも日本とアメリカでは特に、そうした感覚が薄れているような気がします。

養老
そうですね。両方とも、もともと故郷のない人がつくった社会ですから。

山口
日本もそうですか。

養老
はい。日本も古くはそうですよ。わざわざ大陸からこの島まで渡ってきたわけですからね。

山口
ある一定の時間を経過すると故郷というものになっていくのではないですか。

養老
だから今の日本人はそう思っているでしょう。まさか2600年前、ここがアメリカ合衆国だったとは思っていない(笑)。僕はだいぶ前に書いたことがあります、日本は非常に古いアメリカなんだと。だから妙に気が合うところがある。

山口
ああ、なるほど。それは2600年前に新天地にやってきた人が人工的につくった国だから。

養老
そうです。だから「和を以て貴しとなす」なんて、あれはもともと争いばかりしていたからそう言うのでしょう。あちこちから集まってきた人間が、常識をすり合わせるだけで大変だったと思います。(第4回へつづく

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画像1: 「脳化社会」で排除された「自然」と「身体」を取り戻そう
情報に囲まれた現代人にこそ必要な感覚の世界
【その3】 真実はモノにあるのか、情報にあるのか

養老 孟司
1937年神奈川県鎌倉市生まれ。東京大学大学院基礎医学博士課程を修了、医学博士号を取得。東京大学助手・助教授を経て、1981年解剖学第二講座教授。1995年退官。東京大学名誉教授。以後、北里大学教授、大正大学客員教授などを歴任。
1989年、『からだの見方』でサントリー学芸賞受賞。2003年の『バカの壁』は450万部を超えるベストセラーとなった。他の著書に『唯脳論』(青土社)、『ヒトの壁』(新潮新書)など多数。

画像2: 「脳化社会」で排除された「自然」と「身体」を取り戻そう
情報に囲まれた現代人にこそ必要な感覚の世界
【その3】 真実はモノにあるのか、情報にあるのか

山口 周
1970年東京都生まれ。電通、ボストンコンサルティンググループなどで戦略策定、文化政策立案、組織開発等に従事した後、独立。
著書に『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』(光文社)、『武器になる哲学』(KADOKAWA)、『ニュータイプの時代』(ダイヤモンド社)、『ビジネスの未来』(プレジデント社)、『クリティカル・ビジネス・パラダイム』(プレジデント社)他多数。最新著は『人生の経営戦略 自分の人生を自分で考えて生きるための戦略コンセプト20』(ダイヤモンド社)。慶應義塾大学文学部哲学科、同大学院美学美術史学専攻修了。

シリーズ紹介

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一橋ビジネススクール一橋ビジネススクールPDS寄付講座特任教授の楠木建氏の思考の一端を、切れ味鋭い論理を、毎週月曜日に配信。

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山口周氏をナビゲーターに迎え、経営者・リーダーが、自身の価値基準を持つための「リベラルアーツ」について考える。

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