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「第1回:本当に価値あるものは自分の内にある」
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グローバル企業のリーダーが学んだ禅

仏教は世界三大宗教の一つとされ、日本を含む東アジア地域のほか、欧米でもその教えが受け入れられてきました。アップルを創業したスティーブ・ジョブズ、ナイキの創業者フィル・ナイトをはじめ、グローバル企業のリーダーが禅の精神を学んでいたことはよく知られています。近年はシリコンバレーの大企業を中心に、仏教を源流とする「マインドフルネス」の考え方が注目され、メンタルケアやリーダー育成などのプログラムなどに取り入れられています。

マインドフルネス(mindfulness)は、パーリ語の「sati(サティ)」の英訳語で「心にとどめておくこと」、「気がつくこと」などの意味を持ちます。satiは日本語では「念」などとされる仏教用語で、主に東南アジアやスリランカで広まった上座部仏教で行われる瞑想法に由来する言葉です。そこから宗教色が薄められてヘルスケアに取り入れられ、マインドフルネスの瞑想が心身に与える効果が大学などで研究、実証されるようになったことで大きく広まりました。

マインドフルネスの瞑想法は基本的には坐禅と同じで、姿勢を調えて坐り、呼吸を調えるというものです。呼吸に意識を集中させ、余計な事が頭に浮かんでもそれ以上考えずに捨て去り、また意識を呼吸に戻すことを繰り返します。
そのように言うと、マインドフルネスの瞑想と坐禅は同じものだと思われるかもしれません。しかし、その本質はまったく異なります。

マインドフルネスの瞑想は、ストレス解消、不安の軽減、集中力の向上といった効果を得ることを目的として行われます。それに対し、坐禅は何らかの効果を目的として行うのではなく、「坐ること」それ自体を目的とするものです。坐禅によって不安が解消されたとしても、それはあくまでも結果にすぎません。何らかの利益を求めて行うものではないのが坐禅です。

もちろん、瞑想によって心身が健康になるのであれば、それはとてもよいことです。心身への効能を求めて瞑想を行うことは、否定されるものではないでしょう。マインドフルネスを入り口に、その源流である仏教、禅というものに関心を持ち、本質を知りたいと思ってくださるのは歓迎すべきことです。ただ、マインドフルネスの瞑想と坐禅とは似て非なるものだということは、知っておいていただきたいと思います。

ビジネスリーダーは「何者でもない自分」を持つべき

禅というものをどう捉え、禅の精神から何を感じ取るかはその人次第です。けれど、禅の根底に流れている考え方は一つです。以前にも書いたように、達磨大師が梁(りょう)という国の武帝から「朕に対する者は誰ぞ(私の前に居るあなたは誰だ)」と問われて答えた「不識(知らない)」という言葉に尽きます。

私たちは生まれると名前をつけられます。そして学校に通い知識、学歴を得て、仕事に就いてスキル、職歴、資格、実績を得て、とさまざまなものを獲得しながら生きていきます。それらは、いわば身にまとう鎧のようなものであり、鎧を増やさなければ人生を勝ち抜くことはできないと考えている人も多いかもしれません。

ところがビジネスの世界では、過去の延長線上に未来があるという積み上げ式の成長モデルが過去のものとなり、従来とはまったく異なる新しい視点や発想が求められる時代へと移り変わっています。これまでの理屈が通用しないこと、身につけてきた鎧が、無駄とは言えないまでも、役に立たないということもあり得るでしょう。

そうした時代、特にビジネスリーダーには、成功体験や固定観念にとらわれない柔軟な姿勢が求められます。そのために必要なのは「何者でもない自分」をどこかに持つことです。スティーブ・ジョブズがそれまでになかった革新的な、創造的な製品を生み出せたのは、過去の理屈にとらわれない発想があったからではないでしょうか。そのような発想を得るためには、どこかで自分自身が無になる時間、あるいはそのような姿勢が必要だと理解していたからこそ、彼は禅の教えを求めたのではないかと私は思います。

モノでも知識でも情報でも「得よう、得よう」として生きるのが人間というものです。それを逆に「捨てろ、捨てろ」と言うのが禅です。捨てて、捨てて、あとに残るのが、自分がもともと持っている感覚です。坐禅を行うことにより、結果的にそうした感覚が研ぎ澄まされるのです。

シンプルな生活で五感が研ぎ澄まされる

禅の修行道場では、一か月のうち一週間、「接心」と呼ばれる期間が設けられています。普段は朝の坐禅を終えたら掃除、庭仕事、農作業、草刈りなど、いろいろな仕事をします。しかし接心のあいだは肉体労働を最小限にし、ひたすら坐禅を行います。食事も朝はお粥、昼は飯と汁と野菜のおかずが少し、夜は朝昼の残りものの雑炊が基本です。一日の生活全体をシンプルにするのです。

そうした毎日を続けていると、自分の体がだんだん透明になっていくように感じられます。風向きや雨の気配に敏感になり、普段は気づかないような小さな変化を感じ取れるようになります。私が修行した道場では、接心の期間の中日(なかび)と最終日のお昼に素うどんが出されるしきたりがありました。野菜中心の食事の中でその出汁だけは鰹節を使うのですが、その匂いがものすごく強烈に感じられたものです。

よく時代劇で、剣の達人が相手の動きを気配で察知するといったシーンがありますが、あれは本当だろうと私は思います。修行を行い、シンプルな生活をしていると、五感、あるいは六感というものがどんどん研ぎ澄まされていくことを感じるのです。それが、雑多な情報に囲まれた生活をしていると鈍っていく。

ですから、日々坐禅を行い、自分が本来持っている感覚を取り戻すのです。それが目的ではないけれど、結果的にそうなるということです。坐禅を繰り返し、余計なものを捨て去り、自分も無になり、感覚というものだけが残る。それが創造性につながるのかもしれません。(第2回へつづく

画像: 全生庵所蔵:達磨大師掛け軸

全生庵所蔵:達磨大師掛け軸

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画像: 「從門入者不是家珍(もんよりいるものはこれかちんにあらず)」
【その1】本当に価値あるものは自分の内にある

平井 正修(ひらい しょうしゅう)
臨済宗国泰寺派全生庵住職。1967年、東京生まれ。学習院大学法学部卒業後、1990年、静岡県三島市龍澤寺専門道場入山。2001年、下山。2003年、全生庵第七世住職就任。2016年、日本大学危機管理学部客員教授就任。現在、政界・財界人が多く参禅する全生庵にて、坐禅会や写経会など布教に努めている。『最後のサムライ山岡鐵舟』(教育評論社)、『坐禅のすすめ』(幻冬舎)、『忘れる力』(三笠書房)、『「安心」を得る』(徳間文庫)、『禅がすすめる力の抜き方』、『男の禅語』(ともに三笠書房・知的生きかた文庫)など著書多数。

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新世代のイノベーターをゲストに社会課題の解決策や新たな社会価値のつくり方を探る。

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