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一橋ビジネススクールPDS寄付講座特任教授 楠木建氏
黒い巨塔作戦が無事完了し、特任教授となった楠木建氏。作戦のきっかけになったのは、かつて楠木氏のキャリア観に大きな影響を与えた一冊『元祖テレビ屋大奮戦!』だった。

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「第2回:水揚げ。」はこちら>
「第3回:2度目のディープインパクト。」
「第4回:競馬で言う『脚が残っている』感覚。」はこちら>

※本記事は、2023年4月4日時点で書かれた内容となっています。

以前にもお話ししましたが、大学生の頃に井原高忠さんという人が書いた本『元祖テレビ屋大奮戦!』を読んで、非常に強いインパクトを受けました。

この本が発行された1983年、僕は大学生でした。特にやりたいこともなく、将来についての構想や抱負も全然ない。ひたすら布団の中で好きな本を読む学生生活でした。

就職するつもりは皆無だったんですが、同級生はみんな就職活動をしている。いつも大人は若者に、「好きなことをやれ」と言います。じゃあ、自分の好きなことって何だろう――当時は寝転がって本を読むとか、歌ったり踊ったりすることが僕にとっての「好きなこと」でしたが、どう考えても仕事とは折り合いがつきそうにない。「どうしたもんかな……」と思っていました。

ある日、友達が東京銀行のOB訪問に行くと言うので、僕も1回くらい就職活動なるものを体験しておこうかなと思い、ついていきました。出てきた先輩社員は20代後半。今にして思えば若者ですが、学生からするとすごく年上に見える。その人が、「君の夢は何だ?」と聞くんです。僕は「まず先輩の夢から聞こうじゃないですか」――すごく嫌な顔をされました。

「夢なんかないよ」――そう思っていた頃、『元祖テレビ屋大奮戦!』に出会ったんです。

以前にもお話ししましたが、この本を書いた井原高忠さんはテレビの黎明期を牽引したプロデューサーです。学生時代はカントリーバンドを組んで、進駐軍の基地で演奏したりして、人気者でした。その傍らで、ジャーナリストとしての就職を漠然とめざしていた。そこに突然、テレビという新しいメディアが登場します。井原さんはすぐにジャーナリストという路線を変更し、日本テレビに就職しました。その理由が、「新聞社よりも歌舞音曲が多そうだから」。それを読んで、すごく気楽でイイなと。好きなことを好きなようにやって、それを仕事にしている人がいる。職業選択なんてそんなもんなんだ――僕は非常に勇気を得まして、再び布団に潜り込んで本を読み続けました。

その後、紆余曲折を経て大学で研究職に就きます。それが今の仕事なんですが、前回お話ししたように大学も組織なので、教授になると管理や運営の仕事をしなくてはいけなくなる。これがもう嫌で仕方ない。どうしようかなと思っていたときに、昔読んだ『元祖テレビ屋大奮戦!』をふと思い出したんです。

テレビ番組制作の現場で活躍した井原さんは、制作局長という役職に就任します。ところが間もなく、50歳で日本テレビを辞めてしまいます。自他の能力や向き不向きをとても客観的に捉えていた井原さんは、本の中でこうおっしゃっています――東大法学部を出た人は大蔵省に就職したほうがいい。テレビ局に来ると役に立たない。なぜなら、馬鹿ばっかりだからだ。馬鹿だらけの中に利口が入ると、利口が馬鹿になる。プロデューサーは番組制作の現場が仕事のすべてだ。視聴率が上がる番組さえ現場で作っていれば、でかいツラをしていられる。だから現場では天皇と言われていたけど、制作局長になってしまうと参謀本部の一角に過ぎない。現場では利口でも、本部だと馬鹿になってしまう――。

井原さんが例に挙げるのはパットン将軍(※)です。根っからの戦争屋だったパットン将軍は、戦地で作戦を考えるのは非常に上手い。でも、ペンタゴンでは駄目。だから自分も、さっさと辞めるにしくはなし――非常に明快です。

※ George Smith Patton Jr.(1885年~1945年):第一次世界大戦や第二次世界大戦で活躍したアメリカの陸軍軍人。

井原さんの本が、黒い巨塔作戦を思いついたきっかけだったんです。僕は経営管理職の仕事が嫌なだけではなく、異様に無能。人を使うということができない。だから、フルタイムの教授から契約社員のような特任教授に移る。そうすると一兵卒として自分の好きな仕事に集中できる。『元祖テレビ屋大奮戦!』は僕のキャリアにおける意思決定に2度にわたって影響を与えてくれました。今は亡き井原さんに感謝しています。(第4回へつづく)

「第4回:競馬で言う『脚が残っている』感覚。」はこちら>

画像: 黒い巨塔―その3
2度目のディープインパクト。

楠木 建
一橋ビジネススクールPDS寄付講座特任教授。専攻は競争戦略。一橋大学大学院商学研究科修士課程修了。一橋大学商学部専任講師、同助教授、ボッコーニ大学経営大学院(イタリア・ミラノ)客員教授、一橋大学大学院国際企業戦略研究科助教授、同ビジネススクール教授を経て2023年から現職。有名企業の経営諮問委員や社外取締役、ポーター賞運営委員(現任)などを歴任。1964年東京都目黒区生まれ。

著書に『絶対悲観主義』(2022年,講談社+α新書)、『逆・タイムマシン経営論』(2020年,日経BP,共著)、『「仕事ができる」とはどういうことか?』(2019年,宝島社,共著)、『室内生活:スローで過剰な読書論』(2019年,晶文社)、『すべては「好き嫌い」から始まる:仕事を自由にする思考法』(2019年,文藝春秋)、『経営センスの論理』(2013年,新潮新書)、『ストーリーとしての競争戦略:優れた戦略の条件』(2010年,東洋経済新報社)ほか多数。

楠木特任教授からのお知らせ

思うところありまして、僕の考えや意見を読者の方々に直接お伝えするクローズドな場、「楠木建の頭の中」を開設いたしました。仕事や生活の中で経験したこと・見聞きしたことから考えたことごとを配信し、読者の方々ともやり取りするコミュニティです。
この10年ほどTwitterを使ってきて、以下の3点について不便を感じていました。

・140字しか書けない
・オープンな場なので、仕事や生活経験の具体的な中身については書きにくい
・考えごとや主張をツイートすると、不特定多数の人から筋違いの攻撃を受ける

「楠木建の頭の中」は僕のTwitterの拡張版というか裏バージョンです。もう少し長く書ける「拡張版」があれば1の問題は解決しますし、クローズドな場に限定すれば2と3の不都合を気にせずに話ができます。加えて、この場であればお読みいただく方々に質問やコメントをいただき、やりとりするのも容易になります。
不定期ですが、メンバーの方々と直接話をする機会も持ちたいと思います。
ビジネスや経営に限らず、人間の世の中について考えることに興味関心をお持ちの方々のご参加をお待ちしております。DMM社のプラットフォーム(月額500円)を使っています。

お申し込みはこちらまで
https://lounge.dmm.com/detail/2069/

ご参加をお待ちしております。

楠木健の頭の中

シリーズ紹介

楠木建の「EFOビジネスレビュー」

一橋ビジネススクール一橋ビジネススクールPDS寄付講座特任教授の楠木建氏の思考の一端を、切れ味鋭い論理を、毎週月曜日に配信。

山口周の「経営の足元を築くリベラルアーツ」

山口周氏をナビゲーターに迎え、経営者・リーダーが、自身の価値基準を持つための「リベラルアーツ」について考える。

協創の森から

社会課題の解決に向けたビジョンの共有を図る研究開発拠点『協創の森』。ここから発信される対話に耳を傾けてください。

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パーパス、CSV、ESG、カスタマーサクセス、M&A、ブロックチェーン、アジャイルなど、経営戦略のキーワードをテーマに取り上げ、第一人者に話を聞く。

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各界のビジネスリーダーに未来を創造する戦略を聞く。

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