「第1回:市場、組織、取引コスト。」はこちら>
「第2回:『ストーリー』の対概念。」はこちら>
「第3回:betterとdifferent。」
「第4回:『OMOTENASHI』の対概念。」はこちら>
※本記事は、2022年9月12日時点で書かれた内容となっています。
僕が仕事をしている競争戦略という分野は、とりわけ概念・対概念という思考様式を必要とする分野です。
戦略とは、あっさり言ってしまうと「競争相手との違いをつくる」ことです。大切なことは競争がある中でお客さまに選ばれることです。違いがあるから選ばれる。本当にそれだけなんですが、違いのつくり方には2通りあります。1つは、「better」という違い。人間で言えば、身長、体重、視力、足の速さ、試験の点数といった物差しを当てて、「AさんのほうがBさんよりも足が速い」「AさんのほうがBさんより試験の点数がいい」――つまり、Aさんのほうがbetterであるということです。
もう1つが「different」です。人間で言えば、例えば男か女かの違い。つまり、違いを指し示す連続軸がないということです。「僕のほうがあなたよりも90%より男性だ」ということは、通常ない。出身地が違う、職業が違う、好きな食べ物が違う。これらはbetterやworseではなく、differentです。
他社よりもbetterであることをめざすのではなく、他社に対してdifferentなポジションを取る。betterよりもdifferent。これこそ、戦略を考えるときに最も重要なポイントです。よく聞く、「うちのほうが品質が良くて、サービスのクオリティが高くて」みたいな話は全部、「うちのほうがbetterだ」と言っているだけ。それでは戦略と言えません。
戦略的な意思決定とはつまり、他社に対して自社がいかにdifferentであるかを決めることにほかなりません。同時にそれは、トレードオフの選択でもある。「わたしは男です」という表明に込められている重要なメッセージは、「わたしは女ではない」ということです。
戦略がハッキリしていないと、リーダーが「○○をめざしていくぞ」という話ばかりするようになる。これはあまりよろしい状況ではないと僕は思います。南には行かない、西にも行かない、東にも行かないと決めたうえで、「じゃ、どこに行くの?」と聞かれたら「いや、北に行きます」。これが意思決定です。戦略の本質とはトレードオフにある。ということは、戦略的意思決定の正体は「何をするか」ではなく「何をしないか」。ですから、物事を戦略的に思考するときにはつねに「それが何ではないか」という対概念を必要とするわけです。
「一理ある」が口癖の人がいます。これ、僕に言わせれば二流経営者の証明です。世の中に一理もないことなんてないんです。戦略や決断とは、異なる理のどちらを取るのかということです。異なる理とは、概念と対概念をセットで考えないと見えてきません。それが、例えば北と南、男と女。
良いことと悪いことの選択であれば、良いことを選べばいいだけ。決断の必要がありません。「こっちのほうが安いですよ」と言われたら、そっちにしたほうがいいだけのこと。だったら経営は要らない。本当の戦略的な意思決定とは、「良いこと」と異なる「良いこと」のどちらを取るのか。概念と対概念をセットで考えているということです。
僕がなぜ「良し悪し」よりも「好き嫌い」が好きかというと、競争戦略の思考は「好き嫌い」と非常に親和性が高いからです。「○○が良い」という外在的な「良し悪し」の基準では、経営の意思決定などできないはずです。外在的な正解はない。自分がいいと思うことをやるべきであって、あっさり言うと「好き嫌い」です。前回お話しした局所的な価値基準。企業によって個別的なものです。そこで問われるのは、あくまでもその会社や経営者に固有の価値基準です。
僕自身は競争というものが好きではありません。じゃあどうして競争戦略を専門にしているのか。競争戦略の根底にある、「個の基準が問われる」ところにグッと来るんです。「良し悪しではなく、自分はこっちのほうがいいと思ってやってるんだ」――世の中や商売に対する「良し悪し」観ではなく、個人的な「好き嫌い」観が経営に色濃く表れる。そこが面白いんです。(第4回へつづく)
楠木 建
一橋ビジネススクール教授
1964年東京生まれ。幼少期を南アフリカで過ごす。一橋大学大学院商学研究科博士課程修了(1992)。一橋大学商学部専任講師、一橋大学商学部助教授、一橋大学イノベーション研究センター助教授、ボッコーニ大学経営大学院(イタリア・ミラノ)客員教授、一橋大学大学院国際企業戦略研究科准教授、2010年より現職。
著書に『逆・タイムマシン経営論』(2020,日経BP社)、『室内生活 スローで過剰な読書論』(2019、晶文社)、『すべては「好き嫌い」から始まる』(2019、文藝春秋)、『「好き嫌い」と才能』(2016、東洋経済新報社)、『好きなようにしてください:たった一つの「仕事」の原則』(2016、ダイヤモンド社)、『「好き嫌い」と経営』(2014、東洋経済新報社)、『戦略読書日記』(2013、プレジデント社)、『経営センスの論理』(2013、新潮新書)、『ストーリーとしての競争戦略:優れた戦略の条件』(2010、東洋経済新報社)などがある。
楠木教授からのお知らせ
思うところありまして、僕の考えや意見を読者の方々に直接お伝えするクローズドな場、「楠木建の頭の中」を開設いたしました。仕事や生活の中で経験したこと・見聞きしたことから考えたことごとを配信し、読者の方々ともやり取りするコミュニティです。
この10年ほどTwitterを使ってきて、以下の3点について不便を感じていました。
・140字しか書けない
・オープンな場なので、仕事や生活経験の具体的な中身については書きにくい
・考えごとや主張をツイートすると、不特定多数の人から筋違いの攻撃を受ける
「楠木建の頭の中」は僕のTwitterの拡張版というか裏バージョンです。もう少し長く書ける「拡張版」があれば1の問題は解決しますし、クローズドな場に限定すれば2と3の不都合を気にせずに話ができます。加えて、この場であればお読みいただく方々に質問やコメントをいただき、やりとりするのも容易になります。
不定期ですが、メンバーの方々と直接話をする機会も持ちたいと思います。
ビジネスや経営に限らず、人間の世の中について考えることに興味関心をお持ちの方々のご参加をお待ちしております。DMM社のプラットフォーム(月額500円)を使っています。
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シリーズ紹介
楠木建の「EFOビジネスレビュー」
一橋ビジネススクール一橋ビジネススクールPDS寄付講座特任教授の楠木建氏の思考の一端を、切れ味鋭い論理を、毎週月曜日に配信。
山口周の「経営の足元を築くリベラルアーツ」
山口周氏をナビゲーターに迎え、経営者・リーダーが、自身の価値基準を持つための「リベラルアーツ」について考える。
協創の森から
社会課題の解決に向けたビジョンの共有を図る研究開発拠点『協創の森』。ここから発信される対話に耳を傾けてください。
新たな企業経営のかたち
パーパス、CSV、ESG、カスタマーサクセス、M&A、ブロックチェーン、アジャイルなど、経営戦略のキーワードをテーマに取り上げ、第一人者に話を聞く。
Key Leader's Voice
各界のビジネスリーダーに未来を創造する戦略を聞く。
経営戦略としての「働き方改革」
今後企業が持続的に成長していくために経営戦略として取り組むべき「働き方改革」。その本質に迫る。
ニューリーダーが開拓する新しい未来
新たな価値創造に挑む気鋭のニューリーダーに、その原動力と開拓する新しい未来を聞く。
日本発の経営戦略「J-CSV」の可能性
日本的経営の良さを活かしながら利益を生み出す「J-CSV」。その先進的な取り組みに迫る。
ベンチマーク・ニッポン
日本を元気にするイノベーターの、ビジョンと取り組みに迫る。
デジタル時代のマーケティング戦略
マーケティングにおける「デジタルシフト」を、いかに進めるべきか、第一人者の声や企業事例を紹介する。
私の仕事術
私たちの仕事や働き方の発想を変える、膨らませるヒントに満ちた偉才たちの仕事術を学ぶ。
EFO Salon
さまざまな分野で活躍する方からビジネスや生活における新しい気づきや価値を見出すための話を聞く。
禅のこころ
全生庵七世 平井正修住職に、こころを調え、自己と向き合う『禅のこころ』について話を聞く。
岩倉使節団が遺したもの—日本近代化への懸け橋
明治期に始まる産業振興と文明開化、日本社会の近代化に多大な影響を及ぼした岩倉使節団。産業史的な観点から、いま一度この偉業を見つめ直す。
八尋俊英の「創造者たち」~次世代ビジネスへの視点~
新世代のイノベーターをゲストに社会課題の解決策や新たな社会価値のつくり方を探る。