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一橋ビジネススクール教授 楠木建氏
概念と対概念の考え方は、楠木氏の研究にも表れている。ベストセラー『ストーリーとしての競争戦略』で楠木氏が思いを巡らせた、「ストーリー」の対概念とは。

「第1回:市場、組織、取引コスト。」はこちら>
「第2回:『ストーリー』の対概念。」
「第3回:betterとdifferent。」はこちら>
「第4回:『OMOTENASHI』の対概念。」はこちら>

※本記事は、2022年9月12日時点で書かれた内容となっています。

僕は一時期、「好き嫌いが大切だ」という話をいろいろな角度からしていました。経営者論として書いた『「好き嫌い」と経営』は、いろいろな経営者にその人の「好き嫌い」だけを聞くことで、経営の本質が見えてくるんじゃないかというアイデアです。そのほか、仕事論として『好きなようにしてください』『すべては「好き嫌い」から始まる』という本も書きました。「好き嫌い」の対概念は「良し悪し」です。良し悪しでないものが好き嫌い。好き嫌いでないものが良し悪し。

前回、「概念・対概念・次元」という思考の3点セットについてお話ししました。「好き嫌い」と「良し悪し」の間をつなぐ次元は「価値基準の普遍性」です。嘘をついてはいけない、遅刻してはいけない、人を殺してはいけない――これらはほとんどの文化圏において普遍的なコンセンサスが成立している価値基準です。要するに、「良し悪し」。

普遍性の軸を逆方向に進むと、どんどん局所的な価値基準になっていきます。「天丼とカツ丼、どっちが好きですか」――これは「良し悪し」ではない。その人に局所的な「好き嫌い」です。ある人は天丼が好き、ある人はカツ丼が好き。何の問題もありません。

「好き嫌い」は非常に一般的な言葉ですが、「対概念は何だろう?」「概念と対概念を結んでいる次元は何だろう?」と考えていくと、1冊の本になるくらいに思考が展開していく。概念と対概念を頭の中に置くことこそ思考の原動力だと僕が思う所以です。

『ストーリーとしての競争戦略』という本を書いたときも、概念と対概念を頭の中に置いて考えました。僕がその本で言いたいのは「戦略はストーリーであるべきだ」。じゃあ、ストーリーは「何ではない」のかを考える。対になる概念がたくさんあるほど、「ストーリーとは何なのか」がますますハッキリしてきます。

まず、ストーリーは「アクションリスト」ではない。僕は企業のマネジャーの方から「今度こういう戦略で行こうと思っているんですが、どう思いますか?」と聞かれる機会が多くあります。その会社が考えている戦略なるものをプレゼンテーションしていただいて、それに対して僕が意見を述べる。その“戦略”のほとんどが、箇条書き大作戦になってしまっています。今度こういう市場に、こういうセグメントをターゲットにして、参入時期はいつぐらいで、価格はこれぐらいにして、こういう技術を実装して、こういうチャネルを使って――とにかく一つひとつのデシジョンやアクションは決まっている。でも、それらがどうつながって、どう儲かるのかがわからない。静止画の羅列になってしまっているんです。

「テンプレート」ではない。実務家に非常に大きな影響力を与えた戦略論に「ブルーオーシャン戦略」があります。これにはレッドオーシャンという対概念があるので、僕の好きなタイプの議論。ところが、実務家の方々が注目しがちなのは、ブルーオーシャン戦略が提供する「戦略キャンバス(※1)」とか「アクション・マトリックス(※2)」といったフレームワークあるいはテンプレートと呼ばれるものです。なぜなら、そのほうが実用的に見えるからです。

※1 既存の市場の現状把握を通じて、競合他社が重視している競争要因を可視化することで、自社が何を売りにして事業を行うべきなのかを明確にするフレームワーク。
※2 「取り除く」「減らす」「増やす」「付け加える」という4つのアクションを行うことで、事業をどのように展開させていくかを考えるフレームワーク。

「そういう話じゃないんじゃないの?」というのが僕の主張です。テンプレートのマス目を埋めていくことに目が向いてしまうと、戦略全体におけるさまざまなアクションやデシジョンのつながりがどんどん隠されてしまう。動きを持ったストーリーであるはずの戦略が、静止画に後退してしまいます。

ストーリーは「シミュレーション」ではない。例えば、円とドルの水準や、GDPの成長率、その事業の市場規模、自社のシェアといったさまざまな数字が前提条件としてあって、値が変わると期待投資収益率がどう変化するのかを算出する。これがシミュレーションです。

シミュレーションには時間軸があるので、その意味ではちょっとストーリーに近い面がある。ですが、それぞれの数字の背後にある因果関係の論理はほとんど考慮されません。市場規模がこれぐらいになると、だいたい何%のシェアが取れるはず。だから売り上げがこうなって、そのときのコストがこうなる――数字が条件の変化や時間とともに動いていくだけで、ストーリーになっていない。戦略を立てた上で、それが実際にどう機能しているのかを確認する作業としてなら有用ですが、僕が言うストーリーとは違う。

「ゲーム」ではない。僕が「ストーリー」という着想を得たときに一番ピンと来た対概念です。経済学にゲーム理論という分析手法があります。いろいろなプレーヤーが合理的な基準に従って行動したときにどんな状況が生じるのかを、数理モデルを使って分析する。経済学にとどまらず社会学や政治学などにも応用されるほどたいへんよくできた理論で、その価値は僕も大いに認めるところです。しかし、競争戦略はゲームなのか。僕にはしっくりきませんでした。

自社を取り巻くさまざまなステークホルダーや競争相手に働きかけながら、自社にとって「おいしい状況」をつくり出す。そこに利益の源泉がある。これがゲーム理論に基づく戦略の考え方です。例えば、一時的に自社の商品を低価格に設定することで、潜在的な参入業者や競合他社のやる気をそぐ。平たく言うと駆け引きであり、他社の合理的な反応を予測するという基本的な視座がそこにはある。ただ、実際の経営者を見てみると、そんな考えのもとで会社を経営しているわけではない。

こっちがこう出ると向こうはこう来る、だからこういう手を打って……という時間軸は入っているにせよ、ずいぶんとスパンが短い。現実の戦略構想が、本当にその中から出てくるのだろうか――。考えた結果、「ストーリー」という概念こそ「ゲーム」と対になっているんじゃないかという発想に至りました。

繰り返しになりますが、『ストーリーとしての競争戦略』で僕が言いたいのは、「戦略はストーリーである」という単純な話です。それを説明するために、しつこく「これでもない」「あれでもない」「それでもない」と書く。要するに僕自身、そういう考え方が好きなんですが、思考とはそういうものだと心得ています。(第3回へつづく)

「第3回:betterとdifferent。」はこちら>

画像: 概念と対概念―その2
「ストーリー」の対概念。

楠木 建
一橋ビジネススクール教授
1964年東京生まれ。幼少期を南アフリカで過ごす。一橋大学大学院商学研究科博士課程修了(1992)。一橋大学商学部専任講師、一橋大学商学部助教授、一橋大学イノベーション研究センター助教授、ボッコーニ大学経営大学院(イタリア・ミラノ)客員教授、一橋大学大学院国際企業戦略研究科准教授、2010年より現職。

著書に『逆・タイムマシン経営論』(2020,日経BP社)、『室内生活 スローで過剰な読書論』(2019、晶文社)、『すべては「好き嫌い」から始まる』(2019、文藝春秋)、『「好き嫌い」と才能』(2016、東洋経済新報社)、『好きなようにしてください:たった一つの「仕事」の原則』(2016、ダイヤモンド社)、『「好き嫌い」と経営』(2014、東洋経済新報社)、『戦略読書日記』(2013、プレジデント社)、『経営センスの論理』(2013、新潮新書)、『ストーリーとしての競争戦略:優れた戦略の条件』(2010、東洋経済新報社)などがある。

楠木教授からのお知らせ

思うところありまして、僕の考えや意見を読者の方々に直接お伝えするクローズドな場、「楠木建の頭の中」を開設いたしました。仕事や生活の中で経験したこと・見聞きしたことから考えたことごとを配信し、読者の方々ともやり取りするコミュニティです。
この10年ほどTwitterを使ってきて、以下の3点について不便を感じていました。

・140字しか書けない
・オープンな場なので、仕事や生活経験の具体的な中身については書きにくい
・考えごとや主張をツイートすると、不特定多数の人から筋違いの攻撃を受ける

「楠木建の頭の中」は僕のTwitterの拡張版というか裏バージョンです。もう少し長く書ける「拡張版」があれば1の問題は解決しますし、クローズドな場に限定すれば2と3の不都合を気にせずに話ができます。加えて、この場であればお読みいただく方々に質問やコメントをいただき、やりとりするのも容易になります。
不定期ですが、メンバーの方々と直接話をする機会も持ちたいと思います。
ビジネスや経営に限らず、人間の世の中について考えることに興味関心をお持ちの方々のご参加をお待ちしております。DMM社のプラットフォーム(月額500円)を使っています。

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ご参加をお待ちしております。

楠木健の頭の中

シリーズ紹介

楠木建の「EFOビジネスレビュー」

一橋ビジネススクール一橋ビジネススクールPDS寄付講座特任教授の楠木建氏の思考の一端を、切れ味鋭い論理を、毎週月曜日に配信。

山口周の「経営の足元を築くリベラルアーツ」

山口周氏をナビゲーターに迎え、経営者・リーダーが、自身の価値基準を持つための「リベラルアーツ」について考える。

協創の森から

社会課題の解決に向けたビジョンの共有を図る研究開発拠点『協創の森』。ここから発信される対話に耳を傾けてください。

新たな企業経営のかたち

パーパス、CSV、ESG、カスタマーサクセス、M&A、ブロックチェーン、アジャイルなど、経営戦略のキーワードをテーマに取り上げ、第一人者に話を聞く。

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各界のビジネスリーダーに未来を創造する戦略を聞く。

経営戦略としての「働き方改革」

今後企業が持続的に成長していくために経営戦略として取り組むべき「働き方改革」。その本質に迫る。

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新たな価値創造に挑む気鋭のニューリーダーに、その原動力と開拓する新しい未来を聞く。

日本発の経営戦略「J-CSV」の可能性

日本的経営の良さを活かしながら利益を生み出す「J-CSV」。その先進的な取り組みに迫る。

ベンチマーク・ニッポン

日本を元気にするイノベーターの、ビジョンと取り組みに迫る。

デジタル時代のマーケティング戦略

マーケティングにおける「デジタルシフト」を、いかに進めるべきか、第一人者の声や企業事例を紹介する。

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私たちの仕事や働き方の発想を変える、膨らませるヒントに満ちた偉才たちの仕事術を学ぶ。

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さまざまな分野で活躍する方からビジネスや生活における新しい気づきや価値を見出すための話を聞く。

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全生庵七世 平井正修住職に、こころを調え、自己と向き合う『禅のこころ』について話を聞く。

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明治期に始まる産業振興と文明開化、日本社会の近代化に多大な影響を及ぼした岩倉使節団。産業史的な観点から、いま一度この偉業を見つめ直す。

八尋俊英の「創造者たち」~次世代ビジネスへの視点~

新世代のイノベーターをゲストに社会課題の解決策や新たな社会価値のつくり方を探る。

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