行きたくなかった部署で出会ったおもしろさ
山口
2012年に上梓された『0点主義』というご著書に、自分は好きなことだけをやっているのではなく、好きでもないことを好きにしてしまえる変な能力があると書かれていますね。就職した日魯漁業(現マルハニチロ)でいちばん行きたくないと思っていた電算室に配属されたけれど、逆におもしろくなったと。
荒俣
魚が好きで水産会社へ入ったのにコンピュータを扱う部署に行きなさいと言われて、3日で辞めようと思いました。ところが3日やったらやめられない。これは文学を読んでいるよりおもしろいやと感じてしまったんです。
山口
意識的におもしろさを見いだそうとされるのですか、それともおもしろさに出会ってしまう感じでしょうか。
荒俣
やっぱり出会いでしょうね。前回の流れで言えば、まさに全く異質なものに出会って受精卵が生まれたということなのだと思います。僕はコンピュータのプログラムを書いて初めて、一人称と二人称の違いを理解したんです。
山口
「プログラムを書くことは言語哲学の実践だ、文学なのだ」と気づいたそうですが、先生の中に文学という苗床があったから、そういう理解ができたわけですね。
荒俣
当時のコンピュータはプログラムを書くところから始める代物でしたから、思ったように動かなければ自分の責任です。それで、コンピュータのプログラムを書くということは、「機械と人間の両方を自分が受け持つ一人称の対話」だということに気づき、俄然おもしろくなりました。ちなみに、今のパソコンは自分以外の誰かがプログラムを書いているので、二人称の対話と言えますね。
山口
そもそも先生は文学や博物学をやりたかったけれど、それでは食えないだろうと、魚類が好きだったこともあって水産会社に就職されたのでしたね。つらいときにはタコの頭でも撫でていれば、定年まで我慢できるかもしれないと。
荒俣
とはいえ、自分が選んだ道だから何とかなるだろうという自信はまったくありませんでしたよ。目の前に停まったバスに乗ったら、思いがけずおもしろい場所にたどり着いたという感覚でしょうか。
情報や基礎知識がない未知の世界へ行ったとき、役に立つものは身体知や直感、あるいはどこかで聞いたおばあちゃんの知恵のようなものしかありません。そういう危機に直面したことで受精卵が生まれ、適応できたのではないかと思います。
僕は大学在学中から小説や何かを書いてお金も稼いでいたので、そのスキルは会社に入っても役に立てられるだろうと思っていたんですよ。ところが、最初の仕事として上司から新人歓迎会の回覧板を書くように言われ、夏目漱石調の名文を書いたら怒られました。「連絡事項なんだから余計なことを書くな、こんなものは役に立たん」と初めて否定されたわけです。
それで、世の中には役割に応じた文章があるんだということを初めて知って、逆におもしろくなって、いかに短くするかに挑戦し始めました。そのスキルはカタカナ語ばかりのコンピュータ用語をみんなに説明するときに有効でしたし、何より、電算室に10年勤めたあと、外国部で買い付け注文のテレックスを打ち続ける係になった時に役立ちました。テレックスは1文字いくらの世界で、上司から1文字でも削れと言われていましたから、例えばpleaseなんて書かない。plzと略します。
考えてみれば、今のSNSを使っている若者も同じようにいろいろ略すでしょう。コミュニケーションのパターンというものはおもしろいと思います。
役に立つこと、立たないこと
山口
何がどこでどう役に立つか、わからないということですね。たしか小泉信三でしたね、「すぐ役に立つものは、すぐ役に立たなくなる」と言ったのは。例えば、先生がお好きな怪奇文学などは、世間一般から見ると役に立たないものと言われたりしますけれど、一方でそういうものが書かれ続け、読み続けられてきたのも事実です。そこには人というものを理解したい気持ちや、そのために心の深淵につながる亀裂のようなものを覗いてみたいという気持ちがあるからではないかと思いますし、役に立たないようなものにこそ魅力があるということかもしれません。
荒俣
そうですね。山口さんも慶應出身でしたよね。僕は在学中には福澤諭吉に関心がなかったのですが、ずいぶんあとになって『福翁自伝』を読んだら、偉い創立者の福澤先生じゃない、とんでもない姿があった。
山口
赤裸々ですよね。
荒俣
役に立たないようなこともずいぶん発言されていて、それがあの人の魅力なんだと気づいたのです。だから慶應義塾大学に入ってほんとうによかったと感じたのは、正直に言いますが50歳を過ぎてからです。
山口
小林秀雄が、『福翁自伝』は第一級の告白文学だと言っていて、そういう捉え方をされることを意外に感じたのですが、先生もおもしろいと感じられたのですね。
荒俣
ええ。だからね、こんなことを言うと慶應の人に怒られるかもしれませんけど、神格化しすぎるとよくないのではないかと思います。純度を高めるとか、無駄を削ぎ落とすというのは一見いいことのように思えますが、あまりに純粋化すると未受精卵になってしまって、新しいものを生み出す力につながらないような気がします。
山口
『福翁自伝』は脱線話が多く書かれていますが、脱線でも話しておきたい、書いておきたいと思うようなことには、やはり何らかの心のエネルギーが働いているからこそ、人を捉える力を持つのだと思います。先生のおっしゃるオス的なものの大切さにも通じることかもしれないですね。
(取材・撮影協力:角川武蔵野ミュージアム)
荒俣 宏(あらまた・ひろし)
1947年東京都生まれ。博物学者、小説家、翻訳家、妖怪研究家、タレント。慶應義塾大学法学部卒業後、日魯漁業に入社。コンピュータ・プログラマーとして働きながら英米の怪奇幻想文学の翻訳・評論活動を始める。1987年『帝都物語』で日本SF大賞を受賞。1989年『世界大博物図鑑第2巻・魚類』でサントリー学芸賞受賞。テレビのコメンテーターとしても活躍中。神秘学、博物学、風水等多分野にわたり精力的に執筆活動を続け、その著書、訳書は350冊以上。稀覯書のコレクターとしても有名である。
山口 周(やまぐち・しゅう)
1970年東京都生まれ。電通、ボストンコンサルティンググループなどで戦略策定、文化政策立案、組織開発等に従事した後、独立。著書に『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』(光文社)、『武器になる哲学』(KADOKAWA)、『ニュータイプの時代』(ダイヤモンド社)など。最新著は『ビジネスの未来 エコノミーにヒューマニティを取り戻す』(プレジデント社)。慶應義塾大学文学部哲学科、同大学院美学美術史学専攻修了。
シリーズ紹介
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一橋ビジネススクール一橋ビジネススクールPDS寄付講座特任教授の楠木建氏の思考の一端を、切れ味鋭い論理を、毎週月曜日に配信。
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