「第1回:sense of wonderを取り戻す」はこちら>
「第2回:生命現象は要素と要素の相互作用である」はこちら>
「第3回:『動的平衡』と『絶対矛盾的自己同一』」はこちら>
「第4回:ピュシスとロゴスという矛盾を含む人間」はこちら>
「第5回:『芸術と科学のあいだ』には何があるか」
1億年後の人類は
山口
今回ぜひ伺っておきたかったことが、あと二つあります。一つは人間の進化についてです。200万年ほど前の原人から人類はあまり変わっていないと言われていますけれど、例えば1億年という長いフレームで見ると、人類はどうなっていくと先生は思われますか。
福岡
人類の進化は今もなお続き、これから先もどんどん変転していくと思いますが、1億年後という遠い未来を考えると、私は間違いなく人間は滅び去っていると思います。人類が進化の頂点に立っていて、このままずっと地球の支配者であり続けるというのは、傲慢な人間中心視点です。
山口
その頃に繁栄を極めているのはどのような種でしょうか。
福岡
それは予測できませんが、地球上の生物の長い歴史を振り返ると、ある一時期、急速に繁栄した種は急速に衰退してしまうものです。例えば三葉虫、アンモナイト、恐竜も、あるときは地球全体にあふれ返っていたのに、今は化石で見ることしかできません。そして進化のプロセスでは、そのとき繁栄している生物タイプの中から次のステップとなる生物が出てきています。そう考えると、今の哺乳動物から違うタイプの生物が現れてくるのかもしれません。人類が滅びる原因は気候変動なのか、環境汚染なのか、感染症なのかわかりませんけれど、1億年先の生物にとっては、われわれホモサピエンスは示準化石の一つとして、地球史に刻まれているだけでしょう。
山口
地質年代の区分で、現代を「人新世」と呼ぶことが提案されているようですが。
福岡
人新世は本当に薄い1ページでしかないと思います。人類の原型が現れて400万年以上、ホモサピエンスが現れて20万年ぐらい。これは地質年代からみるとほんの一瞬でしかありません。
フェルメールの絵に見えた「世界を記述したい」という希求
山口
最後に、福岡先生はフェルメールへの造詣が深いことで知られ、エッセイ集の『芸術と科学のあいだ』を出されるなど、一般的には科学の対極にあると考えられている芸術にも通じておられます。そのことが人生、あるいは学者としてのパフォーマンスにどのような影響を与えていると思われますか。
福岡
私の原点はsense of wonder、チョウやカミキリムシの美しさ、精巧さに驚いたことだという話をしましたね。そして、この世界がなぜこんなに精妙にできているのか、何とか解き明かしたい、記述したいと考えて、科学の1分野である生物学の道に入りました。
フェルメールが生きた時代は17世紀、彼と顕微鏡を開発したレーウェンフックは近所に住んでいたそうです。2人はおそらく友人関係で、光の科学やレンズの作用について夢中で語り合っていたのではないかと想像しています。今日の世界には科学と芸術、理系と文系といった区分がありますが、当時の彼らにそうした分け隔てはなく、同じ夢を見ていたのだと思います。それは、「この世界の美しさや精妙さを捉えたい、記述したい」ということです。
そうした希求は、私もそうであったように、誰もが変わらず持っているはずです。ただ、その手段が時代とともに分化していき、ロゴス的な言語や論理の力による科学なのか、ロゴスでは語りきれない非言語の力による芸術なのかという違いができただけです。だから科学の営みと芸術の営みは、結局のところ同じことを希求する相互補完的なものであると思います。
山口
先生の中では対極ではなくむしろ同根だと。
福岡
そうですね。同じものですね。私の場合は、とりわけフェルメールの絵に「世界をありのままに記述したい」という、科学者としての自分と通底するマインドを感じて魅了されました。逆に、科学の中にもあの「フェルメール・ブルー」と呼ばれる印象的な青のような美しさが潜んでいると思うこともよくあります。そうしたことはフェルメールに限らず、あらゆる芸術と科学に言えることだと思います。
山口
フェルメールとレーウェンフックのお話を聞いて、ガリレオ・ガリレイと画家のルドヴィコ・チーゴリの関係を思い出しました。ガリレオは望遠鏡で天体を観察し、月の表面にクレーターを見つけてスケッチした。彼と交流のあったルドヴィコ・チーゴリは、それを参考にして自分の絵画にクレーターに覆われた月を描いたそうです。ガリレオの天体のスケッチにも、詩情と言いますか絵画的要素が感じられ、彼らが互いに影響し合っていたのではないかという想像がふくらみます。いわゆる「科学革命」の起きた17世紀だからこその、豊かな知の交流だったのかもしれませんが。
福岡
同じ17世紀で、ガリレオたちは最初の頃、フェルメールたちは終わりのほうですね。
山口
おっしゃるようにsense of wonderや人間の根源的な「世界を知りたい」という心の発露が科学であり芸術であると考えると、今のわれわれが勝手にその二つを分断して見ているだけなのでしょうね。
福岡
ええ、そのとおりです。理系と文系を分けるのも、科学と芸術を分けるのも愚かな考え方だと思います。科学と芸術の「あいだ」に共通してあること、世界の精妙さに驚きと美しさを感じる心は、昔も今も変わらないものであり、それこそが本当に大切なことなのですから。
福岡 伸一(ふくおか・しんいち)
1959年東京生まれ。京都大学卒。ハーバード大学医学部博士研究員、京都大学助教授などを経て、2004年青山学院大学理工学部化学・生命科学科教授、2011年総合文化政策学部教授。米国ロックフェラー大学客員研究者兼任。農学博士。
サントリー学芸賞を受賞し、85万部を超えるベストセラーとなった『生物と無生物のあいだ』(講談社現代新書)、『動的平衡』(木楽舎)など、“生命とは何か”を動的平衡論から問い直した著作を数多く発表。ほかに『世界は分けてもわからない』(講談社現代新書)、『できそこないの男たち』(光文社新書)、『生命の逆襲』(朝日新聞出版)、『せいめいのはなし』(新潮社)、『変わらないために変わり続ける』(文藝春秋)、『福岡ハカセの本棚』(メディアファクトリー)、『生命科学の静かなる革命』(インターナショナル新書)、『新版 動的平衡』(小学館新書)など。対談集に『動的平衡ダイアローグ』(木楽舎)、翻訳に『ドリトル先生航海記』(新潮社)などがある。
山口 周(やまぐち・しゅう)
1970年東京都生まれ。電通、ボストンコンサルティンググループなどで戦略策定、文化政策立案、組織開発等に従事した後、独立。著書に『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』(光文社)、『武器になる哲学』(KADOKAWA)、『ニュータイプの時代』(ダイヤモンド社)など。最新著は『ビジネスの未来 エコノミーにヒューマニティを取り戻す』(プレジデント社)。慶應義塾大学文学部哲学科、同大学院美学美術史学専攻修了。
シリーズ紹介
楠木建の「EFOビジネスレビュー」
一橋ビジネススクール一橋ビジネススクールPDS寄付講座特任教授の楠木建氏の思考の一端を、切れ味鋭い論理を、毎週月曜日に配信。
山口周の「経営の足元を築くリベラルアーツ」
山口周氏をナビゲーターに迎え、経営者・リーダーが、自身の価値基準を持つための「リベラルアーツ」について考える。
協創の森から
社会課題の解決に向けたビジョンの共有を図る研究開発拠点『協創の森』。ここから発信される対話に耳を傾けてください。
新たな企業経営のかたち
パーパス、CSV、ESG、カスタマーサクセス、M&A、ブロックチェーン、アジャイルなど、経営戦略のキーワードをテーマに取り上げ、第一人者に話を聞く。
Key Leader's Voice
各界のビジネスリーダーに未来を創造する戦略を聞く。
経営戦略としての「働き方改革」
今後企業が持続的に成長していくために経営戦略として取り組むべき「働き方改革」。その本質に迫る。
ニューリーダーが開拓する新しい未来
新たな価値創造に挑む気鋭のニューリーダーに、その原動力と開拓する新しい未来を聞く。
日本発の経営戦略「J-CSV」の可能性
日本的経営の良さを活かしながら利益を生み出す「J-CSV」。その先進的な取り組みに迫る。
ベンチマーク・ニッポン
日本を元気にするイノベーターの、ビジョンと取り組みに迫る。
デジタル時代のマーケティング戦略
マーケティングにおける「デジタルシフト」を、いかに進めるべきか、第一人者の声や企業事例を紹介する。
私の仕事術
私たちの仕事や働き方の発想を変える、膨らませるヒントに満ちた偉才たちの仕事術を学ぶ。
EFO Salon
さまざまな分野で活躍する方からビジネスや生活における新しい気づきや価値を見出すための話を聞く。
禅のこころ
全生庵七世 平井正修住職に、こころを調え、自己と向き合う『禅のこころ』について話を聞く。
岩倉使節団が遺したもの—日本近代化への懸け橋
明治期に始まる産業振興と文明開化、日本社会の近代化に多大な影響を及ぼした岩倉使節団。産業史的な観点から、いま一度この偉業を見つめ直す。
八尋俊英の「創造者たち」~次世代ビジネスへの視点~
新世代のイノベーターをゲストに社会課題の解決策や新たな社会価値のつくり方を探る。