「第1回:sense of wonderを取り戻す」はこちら>
「第2回:生命現象は要素と要素の相互作用である」はこちら>
「第3回:『動的平衡』と『絶対矛盾的自己同一』」はこちら>
「第4回:ピュシスとロゴスという矛盾を含む人間」
「第5回:『芸術と科学のあいだ』には何があるか」はこちら>
エントロピー増大に先回りして壊す
山口
ここで「死」ということについて伺いたいのですが、先生は、生命の全体の流れから見ると、死というのは最大の利他的な行為だと書いておられました。だから、死は生命にとってあらかじめ準備されたものではないかと。
一方で、人間がつくり出したもの、例えば企業は、「法人」と呼ばれて法律上は人格が認められているものですが、必然的な死がプログラムされているわけではありません。都市や貨幣も増殖はするけれどもみずからは消えません。それらが自然になくならないということが、社会の歪みを生み出しているようにも思えるのですが。
福岡
とても深い問いかけで、そこにはピュシス(physis:自然)対ロゴス(logos:理性)というギリシャ哲学以来続く問題が横たわっていると思います。
生命とは本来的にはピュシスそのものです。だから不安定でコントロールできませんし、「すべての秩序あるものは、その秩序が崩壊する方向にしか動かない」という宇宙の大原則、「エントロピー増大の法則」に支配されています。どんなに壮大なピラミッドも数千年も経てば砂塵に帰してしまいますし、整理整頓した机もいずれ乱雑になるというふうに、この世界はエントロピー増大の法則に勝つことはできません。しかし生物は自然崩壊に先回りしてみずからを壊し、環境から取り込んだ分子を使って自分をつくり直すことによって、エントロピーを系の外に捨てながら分子の淀みとしての形を保っています。「先回り」というのは西田哲学でも生命を記述する重要な概念の一つですが、壊しながらつくり続けるという動的平衡状態を保つことで、エントロピー増大の法則に対抗しているわけです。
ただ、そのシーシュポスの石積みの如く繰り返される営みも、完全にエントロピー増大の法則に打ち勝つことはできません。徐々に酸化物や老廃物が溜まり、捨てきれないエントロピーが増大して最後には崩壊し、また自然の中に還っていきます。
その代わり、生命は死ぬことによって自分が占有していた空間や食べ物を別の生物に手渡すことができます。そこでまた新たな生物がエントロピー増大の法則と戦い始める。それは必ずしも子孫を残すという意味ではなくて、流れの中である個体として淀んでいた分子が、ほかの淀みへと向かうということです。そうした利他的な相補性が絶えず成り立つことによって生物は生かされている。これがピュシスの現実です。
その中にあって人間という生物は、ロゴスを生み出したことで他の生物と一線を画するようになりました。ロゴスというのは理性、言葉、論理、それらによってつくり出されるものすべてですが、ピュシスの掟の外側にロゴスの世界をつくることによって、人間はピュシスの現実から完全に逃れられないまでも、相対化することはできるようになりました。
例えば、ピュシスの現実では、生物にとって重要なのは個体よりも種全体の存続です。人間は、それではあまりにも残酷すぎると考え、個体の生命にも価値を置くという、基本的人権のような共通の約束をロゴスの世界につくりました。
ピュシスから逃れることはできない
福岡
このように、人間は理性や論理や言葉によってピュシスの掟から一定の自由を得た、唯一の生物です。とはいえピュシスから完全には逃れることはできないので、死、性、排泄など、ロゴスでどうしてもコントロールできないものをタブー視してきました。本来なら死は忌むべきものでなく、究極の利他的な行為なのですが、それを遠ざけようとするのは、ロゴスの力が強力になりすぎたせいかもしれません。現代社会において、あらゆることがコントロールできるという慢心が広がっているのも、ピュシスとしての生命のあり方が忘れ去られているからではないかと思います。
そのロゴスの肥大化を明示しているのが、おっしゃるような企業、経済、あるいは都市のような人間がつくり出したシステムですね。ピュシスの世界では、食物などの余分があれば他の生物と分け合うことで無駄なく活かします。一方、人間は貨幣というものを生み出すことで余分な財産も腐らせずに貯め込めるようになり、さらには個体の死を超えて財産や企業のような仕組みを継承することも可能にしました。でも、それらはロゴスが勝手につくり出した、いわばある種の幻想です。それゆえにピュシスと相容れずに問題が生じたりします。人間は、ピュシスとロゴスという矛盾を含む存在であることを、念頭に置くべきだと思います。
山口
先生は、タンパク質を合成する方法は1通りしかないのに、壊す方法は何十通りもあり、バックアップシステムもあるとおっしゃっていましたね。とにかく壊すことで存続していくというあり方は、逆説的で示唆に富んでいると感じます。生物学の知見を単純化して他の領域に当てはめることは危険だとは思うのですが、その生物のあり方をロゴスの世界に取り込むことが、何らかの課題解決につながるかもしれません。
福岡
そうですね。システムとしての生命、あるいは社会的なシステムもそうですが、それらの存続を脅かす問題として重要なのは、外部からの脅威よりもむしろ内部にたまるエントロピーなのだと思います。それをいかに外に捨てるかに、システムの存続がかかっています。
タンパク質は遺伝情報により合成され続けますが、つくったそばからエントロピーの矢が降り注いできますから、進化のプロセスで何通りもの壊す方法を編み出してきました。酸素がなくても壊す。エネルギーがなくても壊す。まだ使えるものも壊す。エントロピー増大に先回りするために、生命は最初からゆるゆる、やわやわの構造でみずからを恒常的に壊し続けるという選択をしたわけです。
人間がつくり出す建築物などは、堅牢に、頑丈につくることでエントロピー増大の法則から逃れようとしています。でも、どんな建物でも10年、20年経てば修繕する必要があり、メンテナンスをしないままではいられません。やはり宇宙の大原則には勝てないのですね。
ですから、もし本当の意味で生命的な建築、生命的な都市、あるいは生命的な組織というものが成り立つとすれば、生命に倣って、中身を少しずつ壊しては入れ替えていくことを前提としてつくるものでなければならないと思います。そんなことを考えている人は、あまりいないかもしれませんが(笑)。(第5回へつづく)
福岡 伸一(ふくおか・しんいち)
1959年東京生まれ。京都大学卒。ハーバード大学医学部博士研究員、京都大学助教授などを経て、2004年青山学院大学理工学部化学・生命科学科教授、2011年総合文化政策学部教授。米国ロックフェラー大学客員研究者兼任。農学博士。
サントリー学芸賞を受賞し、85万部を超えるベストセラーとなった『生物と無生物のあいだ』(講談社現代新書)、『動的平衡』(木楽舎)など、“生命とは何か”を動的平衡論から問い直した著作を数多く発表。ほかに『世界は分けてもわからない』(講談社現代新書)、『できそこないの男たち』(光文社新書)、『生命の逆襲』(朝日新聞出版)、『せいめいのはなし』(新潮社)、『変わらないために変わり続ける』(文藝春秋)、『福岡ハカセの本棚』(メディアファクトリー)、『生命科学の静かなる革命』(インターナショナル新書)、『新版 動的平衡』(小学館新書)など。対談集に『動的平衡ダイアローグ』(木楽舎)、翻訳に『ドリトル先生航海記』(新潮社)などがある。
山口 周(やまぐち・しゅう)
1970年東京都生まれ。電通、ボストンコンサルティンググループなどで戦略策定、文化政策立案、組織開発等に従事した後、独立。著書に『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』(光文社)、『武器になる哲学』(KADOKAWA)、『ニュータイプの時代』(ダイヤモンド社)など。最新著は『ビジネスの未来 エコノミーにヒューマニティを取り戻す』(プレジデント社)。慶應義塾大学文学部哲学科、同大学院美学美術史学専攻修了。
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一橋ビジネススクール一橋ビジネススクールPDS寄付講座特任教授の楠木建氏の思考の一端を、切れ味鋭い論理を、毎週月曜日に配信。
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