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※本記事は、2020年10月2日時点で書かれた内容となっています。

今回は「リモートワーク雑感」がテーマです。今年の2月頃、いよいよコロナウイルスの感染が広がってきた時に、僕にとって仕事の柱のひとつである大学院での講義がリモートになりました。僕が教えている一橋大学ビジネススクールの国際企業戦略専攻、略称ICS(International Corporate Strategy)には、2つの大きなプログラムがあります。ひとつはMBAです。学んでいるのはキャリア前半の平均で30歳前後の若い人たちで、8割から9割は外国人です。

もうひとつはEMBA、エグゼクティブMBAというプログラムで、僕は主にこちらで教えています。EMBAは対象がマネージャーや執行役員といった人たちで、平均年齢は40歳を少し超えるビジネスパーソンです。こちらは5割くらいが外国人です。MBAプログラムはフルタイムですが、EMBAは、皆さんマネージャーとしての仕事をしながら勉強に来ています。

アジアの比較的近隣の国である韓国や香港、中国や台湾などのEMBAの参加者の中には、集中講義期間や週末に東京まで通学して来る人もいます。これはかなり大変なことなので、一部の講義はリモートにしようということになり、2017年からリモートでの講義を始めていました。そんなわけで、大学のキャンパスにデジタルスタジオという箱を作って、そこからリモートで講義をリアルタイム配信するということをコロナ騒動以前からやっていたのです。僕のリモートワークは、このビジネススクールの講義がスタートでした。

コロナ騒動を受けて今年2月からは大学のキャンパスにあるデジタルスタジオも閉鎖となり、講義はすべて自宅からのリモートに切り替わりました。

考えてみると、僕の仕事はコロナがあろうとなかろうと、リモートであろうとリアルであろうと、そもそも一人でやるものです。講義は基本的に一人でやりますし、勉強したり研究したり何か書いたりということになると、なおさらです。大学という仕事場がそもそも個人の研究室という一人の部屋だったわけで、そこでやっていたことを家の仕事場で一人でやることになったというだけのこと。僕にとって、リモートワークは極めて連続したものでした。

緊急事態宣言以降はそれがさらに加速しまして、ほとんどの仕事を家でやるようになりました。ミーティングはほとんどすべてがリモートになっていますし、社外取締役をやっている企業の取締役会などもリモートになり、講演やセミナーといった仕事もリモートでやることがいまだに多い状況です。

実際にこういう生活を始めてみると、「ま、楽だな」という感想です。毎日の通勤がありませんし、企業であるとか講演会場の現場に行く必要もなくなりました。移動の時間がなくなると、スケジューリングが非常に楽になります。あるミーティングを10時から10時半までやったら、10時40分からすぐに次のミーティングが入れられます。しかも、物理的に離れている相手とのミーティングが連続して入れられるので、スケジューリングの制約がぐっと緩くなりました。

リモートワークを始めるために僕が投資したものは、例えばウェブカメラ、これが2,500円くらいです。一日中イヤホンをつけていると疲れるので、Bluetoothでつながるパソコン用のスピーカーを買いました。これが5,000円。リモートのミーティングでは、通信回線の容量が大きくなってワイヤレスだと少し不安定なので、LANケーブルを買いました。これが10メートルで600円。リモートワークのイニシャルコストは、とても安い。他にも最低限必要な仕事の道具は、仕事場から自宅に持ち込みまして、リモートワークは僕の中に定着してきました。

こういう自分の経験を振り返ると、やはりつくづく人間の「本性」というのは強いなと思います。僕がこのコロナ騒動で痛感したことのひとつは、「本性」と「因習」は似て非なるものだということです。会社という物理的な箱があり、職場があって、そこに毎朝決まった時間に行って、一定程度そこにいて仕事をするものだ――というのは「因習」です。一方で、毎日混み合った地下鉄、電車、バスに揺られて、雨の日も風の日も、暑い日も寒い日も通勤するのは、やっぱり面倒くさい――これは普通の人間の「本性」です。この面倒の回避は人間の強烈な「本性」です。今回のコロナで、「因習」で抑制されていた「本性」が姿を現したということだと思います。

毎日家で仕事をしていると、そもそも研究室というのは何だったのかな、とさえ思います。本とか資料の物理的なストレージとしてはもちろん今でも必要なのですが、なぜ毎朝地下鉄でわざわざ研究室に通っていたのか。どっちにしろ一人で考えたり書いたりしているのには変わりがないわけで、考えてみれば通勤していたのが不思議です。

大学院で講義をしたり、読んだり書いたり考えたりする研究以外に、講演やセミナー、それから企業へのアドバイスを行うというのも、僕の仕事のもうひとつの柱になっているわけですが、こちらもコロナの感染の広がりとともにどんどんキャンセルされていきました。自分のスケジュールノートを見てみると、今年3月16日に僕はあるところで講演をしているのですが、この日が緊急事態宣言以前にリアルで行った最後の講演になりました。それ以降はほとんどすべてがキャンセルになり、ごく一部はリモートに切り替えてやりました。おかげでいつも以上に時間ができましたので、前回お話した『逆・タイムマシン経営論』の執筆にじっくりと時間をかけて打ち込むことができました。

その後、緊急事態宣言が明けますと、セミナーや講演も2通りにやり方が分かれてきました。リモートでやることに変わりはないのですが、収録の場所に行って収録する場合と、家から収録する場合の2つのパターンです。僕の「本性」は、やっぱり面倒なことは避けたいので、「できれば家からお願いします」となっていき、だんだん家からリモートで仕事をする楽さ加減に味をしめるようになってきました。

やがてここに落とし穴があることに気づきます。

画像: リモートワーク雑感-その1
因習と本性。

楠木 建

一橋ビジネススクール教授
1964年東京生まれ。幼少期を南アフリカで過ごす。一橋大学大学院商学研究科博士課程修了(1992)。一橋大学商学部専任講師、一橋大学商学部助教授、一橋大学イノベーション研究センター助教授、ボッコーニ大学経営大学院(イタリア・ミラノ)客員教授、一橋大学大学院国際企業戦略研究科准教授、2010年より現職。
著書に『室内生活 スローで過剰な読書論』(2019、晶文社)、『すべては「好き嫌い」から始まる』(2019、文藝春秋)、『「好き嫌い」と才能』(2016、東洋経済新報社)、『好きなようにしてください:たった一つの「仕事」の原則』(2016、ダイヤモンド社)、『「好き嫌い」と経営』(2014、東洋経済新報社)、『戦略読書日記』(2013、プレジデント社)、『経営センスの論理』(2013、新潮新書)、『ストーリーとしての競争戦略:優れた戦略の条件』(2010、東洋経済新報社)などがある。

「第2回:リアルの価値の再発見。」はこちら>

楠木教授からのお知らせ

思うところありまして、僕の考えや意見を読者の方々に直接お伝えするクローズドな場、「楠木建の頭の中」を開設いたしました。仕事や生活の中で経験したこと・見聞きしたことから考えたことごとを配信し、読者の方々ともやり取りするコミュニティです。
この10年ほどTwitterを使ってきて、以下の3点について不便を感じていました。

・140字しか書けない
・オープンな場なので、仕事や生活経験の具体的な中身については書きにくい
・考えごとや主張をツイートすると、不特定多数の人から筋違いの攻撃を受ける

「楠木建の頭の中」は僕のTwitterの拡張版というか裏バージョンです。もう少し長く書ける「拡張版」があれば1の問題は解決しますし、クローズドな場に限定すれば2と3の不都合を気にせずに話ができます。加えて、この場であればお読みいただく方々に質問やコメントをいただき、やりとりするのも容易になります。
不定期ですが、メンバーの方々と直接話をする機会も持ちたいと思います。
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山口周の「経営の足元を築くリベラルアーツ」

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経営戦略としての「働き方改革」

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日本的経営の良さを活かしながら利益を生み出す「J-CSV」。その先進的な取り組みに迫る。

ベンチマーク・ニッポン

日本を元気にするイノベーターの、ビジョンと取り組みに迫る。

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全生庵七世 平井正修住職に、こころを調え、自己と向き合う『禅のこころ』について話を聞く。

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明治期に始まる産業振興と文明開化、日本社会の近代化に多大な影響を及ぼした岩倉使節団。産業史的な観点から、いま一度この偉業を見つめ直す。

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新世代のイノベーターをゲストに社会課題の解決策や新たな社会価値のつくり方を探る。

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