ここ全生庵は、勝海舟、高橋泥舟と並び「幕末の三舟」と呼ばれる山岡鐵舟が建立した臨済宗の禅寺です。建立の本願は、戊辰戦争で死んでいった多くの人々の御霊を深く憐れむとともに、すべてに西洋化をすすめようとする明治政府に対して、日本人としての伝統的な精神を伝えることにありました。

この寺に生まれた私は、幼少の頃から折りにふれて鐵舟の話を聞かされてきたので、鐵舟をご先祖様のような心持ちで育ちました。鐵舟については、将軍慶喜の名代として戊辰戦争で駿府まで進軍していた西郷隆盛と直談判し、江戸無血開城の素地としたことや、西郷の頼みで明治天皇の侍従をつとめたことなどがよく知られています。その人物評もふるっていて、勝は、「あれほど馬鹿な人間はいない。しかし馬鹿もあそこまでいけば大したものだ」とか、「山岡は明鏡のごとく一点の私心も持たなかったよ。だから物事にあたって即決しても少しも誤らない」と語っています。また西郷は、「命もいらず、名もいらず,官位も金もいらぬ人は仕末に困るもの也。此の仕末に困る人ならでは、艱難をともにして國家の大業は成し得られぬぞ…」(山田済斎編『西郷南洲遺訓』岩波文庫)と遺しています。

また鐵舟は剣・禅・書の達人としても知られています。剣は無刀流の開祖、遺した書は膨大な量です。禅についても幼少から学び(一説には十三歳頃からとも)、印可(※1)を受けるまでになっています。天が生かすなら生きるかもしれないし、天が認めなければ死ぬことになる、という武士としての鐵舟の死生観は、禅の死生観と共通するものがあります。禅では、人間は死ぬ、という立場から人間の生を観ます。死も生もひとつという観点、どこまでも命は大切にするけど、最後は天が決めるという覚悟、この胆力と愚直さが鐵舟の真骨頂ではないでしょうか。

画像: 達磨図 廓然無聖

達磨図 廓然無聖

ここに掲載した鐵舟の「達磨図」と「廓然無聖」の書画の一幅は、鐵舟が行きついた境地でもあったかもしれません。これは自我による煩悩を戒める達磨大師の教えで、心が秋空のように広々と晴れ渡り無心であることを表しています。ここには愚直さをも超えて、融通無碍の鐵舟もいます。明治二十一年七月十九日、鐵舟は亡くなりますが、その少し前に、五千四十八巻といわれる「大蔵経」の写経を始めます。これは幼少から始めても一生涯を要する修行です。弟子が「今から始めても絶対に終わりません」というと、鐵舟は「何をいうか、俺は楷書で書き終えたあとに草書で書こうと思っている」と、言い放っています。

また、書を頼まれると断れない性分で、弟子から「そんなに書くと価値が下がります」といわれた時も、「俺は頼まれたから書くんだ。もらった人が俺の書を便所紙(現在のトイレットペーパー)に使おうがどうでもいい」と、諭した話も残っています。いずれも心が自由でなければいえない言葉です。

晴てよし 曇りてもよし 不二の山 もとの姿は かはらさりけり

この歌は、鐵舟が静岡三島にある龍澤寺で詠んだものです。江戸から三島まで三年にもわたって歩いて通参(※2)し、ついに自由の心を得た鐵舟の境地です。ちなみに、龍澤寺は私が十一年間の修行で過ごした思い出深いお寺でもあり、それもあって、鐵舟のたくさんの歌のなかでも、禅の心を感じる好きな歌のひとつになっています。

※1 印可:師僧が弟子に法を授けた証明。
※2 通参:修行道場に住みこむのではなく、通いながら参禅すること。

画像: 鐵舟逍遥

平井 正修(ひらい しょうしゅう)

臨済宗国泰寺派全生庵住職。1967年、東京生まれ。学習院大学法学部卒業後、1990年、静岡県三島市龍澤寺専門道場入山。2001年、下山。2003年、全生庵第七世住職就任。2016年、日本大学危機管理学部客員教授就任。現在、政界・財界人が多く参禅する全生庵にて、坐禅会や写経会など布教に努めている。『最後のサムライ山岡鐵舟』(教育評論社)、『坐禅のすすめ』(幻冬舎)、『忘れる力』(三笠書房)、『「安心」を得る』(徳間文庫)、『禅がすすめる力の抜き方』、『男の禅語』(ともに三笠書房・知的生きかた文庫)など著書多数。

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