※本対談は、2020年5月7日に行われたものです。
「第1回:パンデミックが招く社会の変化」はこちら>
「第2回:感染症が浮き彫りにした倫理観の違い」はこちら>
宗教的拘束がなかった古代ローマの社会
山口
イタリアでも古代ローマ時代にはギリシャの神々が信仰されていて、キリスト教の倫理観とは異なるものを持っていたわけですよね。
ヤマザキ
ローマ時代と今のイタリアはまったく違いますから、同じイタリア半島に暮らす人間だからと一緒にしてはいけません。『テルマエ・ロマエ』の映画では俳優陣が全員日本人でしたが、私としてはイタリア人でなくてよかったと思っています。イタリア人だと、やはりキリスト教的なモラルが演技の邪魔をしてしまう可能性がありますから。
固有の宗教に対する信仰がなかった古代ローマには、ギリシャの神話を基軸にしたローマ神話が国民の生活に浸透していました。ギリシャ神話にはキリスト教的な厳格な倫理規範がありません。神の法のような拠り所もないし、そもそも神達の荒唐無稽な物語は人間が生き方の規範を求めるような次元のものではない。最終的に人々が信用するようになっていくのは、人間が状況に応じて自然に生み出していくルール、法律なのです。その点はすごく今の日本と似ていると思います。
古代ローマと日本の共通点として私が聞かれるのはお風呂のことばかりですが(笑)、実はそのような「宗教的拘束がない社会」、「世間が戒律をつくる」という点が大きいのです。古代ローマの人々は、大きな国土を保有し、経済が回り、国威が保たれていることが重要で、命は二の次という姿勢がはっきりしていました。だからあれだけの大国になれたと言えるのかもしれませんが。
山口
イタリアへ行くと、今でも「SPQR(ローマの元老院および市民)」という古代ローマを象徴する文字があちこちに刻まれて受け継がれていますが、精神性は異なるのですね。
臨機応変に対応することを学ぶ
山口
古代ローマ同様に宗教的拘束のない日本では、先ほども言ったように世間が倫理基準となっていて、「人に迷惑をかけない」ということが最も重要な行動規範の一つになっています。この言葉は適切に英訳することがものすごく難しくて、いったい「迷惑」というのは何なのか、考えてしまうことがあります。例えば、最近よく問題になっている保育施設などの子どもの声。これを元気で微笑ましいと受け取る人もいれば、騒音だと受け取る人もいるわけですね。そう考えると、迷惑というのは受けるほうの捉え方の問題なのではないかとも思えます。
ヤマザキ
寛容性の問題ですよね。迷惑をかけないという他者を慮る気持ちを持つことは必要ですが、現代の日本人は、迷惑をかけられることに対して不寛容になっているのではないかと感じます。今回のようにパンデミックが起きて行動が制限されるようなことが起きたとき、普段から多様なものを受け入れて寛容性や臨機応変性を培っている人々は、「まぁこういうこともあるよね」と冷静に向き合える可能性が高い。物事は思い通りにならないとわかっていれば、もっと楽に受け入れられる。ところが、異質なものや自分の気に入らないものを排除することに懸命になりすぎると、生きにくくなるだけでなく、危機への対応力も下がると思うのです。
現在、アフターコロナのニューノーマル(新常態)とか、仕事や生活の変化に対して不安を感じている人も増えているようですが、古代ローマでは次から次へと新しい属州が増えていき、異なる民族や宗教の人々が次々にローマに流れ込んで渾然一体となる、混沌とした状況が続いていました。そのような世界では、「普通」とか「常識」というものが通用しません。同じことは旧植民地の人々や紛争や飢餓地帯からの移民がどんどん入ってきている現在の欧州でも起こっていて、彼らは子どもの頃からいろいろな背景を抱えた人種のクラスメイトとともに、多様な文化や考え方を受け入れていくようになる。差別がないわけではありません、でも自分とは違う彼らを理解しようとする人も圧倒的に多い。
ポルトガルに住んでいたとき、家は西洋のつくりですが、私たち家族は靴を脱いで家に上がることにしていました。すると、子どもの学校の友達がわが家に遊びに来たとき、玄関に並んだ靴を見て、全員何も言わなくても靴を脱いで上がるんですね。「どうもここでは靴を脱がなきゃいけないらしいね」と察して対応するわけです。
異質を社会組織の危険分子と捉える日本のメンタルは、海に囲まれ移動の可能性を育まない島国という土壌によっても象られたものかもしれませんが、世界とつながってしまった今、地球レベルでの物事の対処を迫られた場合、寛容性と臨機応変性をなくして守りばかり入っていると不利な点も出てくるのではないかと思います。
ヤマザキ マリ(やまざき まり)
1967年東京都生まれ。1984年に渡伊。国立フィレンツェ・アカデミア美術学院で油絵と美術史を専攻。東京造形大学客員教授。シリア、ポルトガル、米国を経て現在はイタリアと日本で暮らす。2010年『テルマエ・ロマエ』で第3回マンガ大賞受賞、第14回手塚治虫文化賞短編賞受賞。平成27年度芸術選奨文部科学大臣賞受賞。2017年イタリア共和国星勲章コメンダトーレ綬章。主な漫画作品に『スティーブ・ジョブズ』、『プリニウス』(とり・みきと共作)、『オリンピア・キュクロス』など。文筆作品に『国境のない生き方』、『仕事にしばられない生き方』、『ヴィオラ母さん』、『パスタぎらい』など。
山口 周(やまぐち しゅう)
独立研究者・著作家・パブリックスピーカー。1970年東京都生まれ。電通、BCGなどで戦略策定、文化政策立案、組織開発等に従事した後、独立。著書に『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』、『武器になる哲学』など。最新著は『ニュータイプの時代 新時代を生き抜く24の思考・行動様式』(ダイヤモンド社)。慶應義塾大学文学部哲学科、同大学院美学美術史学専攻修了。
シリーズ紹介
楠木建の「EFOビジネスレビュー」
一橋ビジネススクール一橋ビジネススクールPDS寄付講座特任教授の楠木建氏の思考の一端を、切れ味鋭い論理を、毎週月曜日に配信。
山口周の「経営の足元を築くリベラルアーツ」
山口周氏をナビゲーターに迎え、経営者・リーダーが、自身の価値基準を持つための「リベラルアーツ」について考える。
協創の森から
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