『エクストリーム・プログラミング』との出会い
――最初に、平鍋さんが「アジャイル開発」と出会った時のことを教えてください。
僕は大学を卒業してから、大手の製鋼会社でプログラマーをやっていました。しかし1992年に26歳で結婚し、29歳で長男が生まれることがわかった時に自分が育った福井に帰ることを決めました。
それは、福井県大野市という僕が生まれ育った場所で、僕と同じように子どもにカブトムシを獲ったり、きれいな川で泳いだりして育って欲しかったからです。
福井に帰ることを決めたときに、ソフトウェア開発をやっている福井の会社をピックアップしまして、そこを一社ずつ回ろうと思っていました。その時最初に訪問したのが、株式会社永和システムマネジメントだったのです。先々代の創業社長と話す機会があって、「おまえ、酒好きか」と聞かれたので、「好きです」と答えると、「じゃ、飲みに行くか」という話になりまして、もうそこで決めてしまいました。
当時のプログラミングはウォーターフォール型しかなかったので、金融の大規模基幹システムとか、何年もかかって巨大なシステムを作るという仕事をしていました。そんな時、ケント・ベックという人の書いた『エクストリーム・プログラミング(XP)』(※)という本と出会いました。2000年のことだったと思います。
(※)『エクストリーム・プログラミング(XP)』:1999年ケント・ベックらによって定式化され、提唱された、柔軟性の高いソフトウェア開発手法。1999年に書籍『XPエクストリーム・プログラミング入門―ソフトウェア開発の究極の手法』によって発表された。
それは柔軟性の高い新しい開発手法について工学的に書かれた本なのですが、その中で「ソフトウェア開発で一番大切なことは、システムをリリースしたらお客さまと一緒においしい食事をしなさい」と書かれていました。これには仰天しました。
それまでの僕は、良いソフトウェアを作るために、設計やプログラミングのやり方や機能のデザインのことだけを一生懸命に考えていました。しかしこの本には、「ソフトウェアの品質というのは、実はお客さまとの対話であるとか、作る人がどういう気持ちでそれをお客さまに届けたいと思っているか、ということが核心なのだ」と書かれていて、もう目からうろこが何枚も落ちました。
良いソフトウェアをデザインするには、それを作る人たちのコミュニケーション・デザイン、ひいては組織デザインこそ一番重要なのだということを教えられまして、この衝撃から一気に「アジャイル」を広めるという活動にのめり込んで行きました。
「アジャイル開発」を知るために、世界へ。
――具体的に何かアクションを起こしましたか。
海外のカンファレンスに積極的に行き、そこでいろいろな方と知り合いになりました。2001年に「アジャイル」の価値観を持った複数の開発方法論の提唱者によって書かれた『アジャイル宣言』というものがあります。そこに名を連ねている17名のうち、僕は15名の方とお会いしました。中でも、「スクラム」を作ったジェフ・サザーランドと「エクストリーム・プログラミング」を作ったケント・ベックとは今でも交流があります。アジャイルカンファレンスはさまざまな国で開かれるので、開催地のローカルの会社も見て回りました。アメリカ、イギリス、カナダ、ドイツ、フランス、デンマーク、インド、ブラジル、韓国、中国、ベトナム、いろいろな国で自分も講演をしながらさまざまな人に会いに行きました。「アジャイル」は人と会って話すのが一番わかりやすいので、その頃から「人に会いに行く」というのが僕の人生のテーマになりました。
また、少しでも日本のソフトウェア開発に役立てばいいと思い、週末を使って関連する書籍を10冊以上翻訳しています。
永和システムマネジメントの東京支社ができた時には、オブジェクト倶楽部というコミュニティを作って、開発のやり方を会社の枠を超えてみんなで考えるようになりました。それから、2009年には『Agile Japan』というイベントを実行委員長として初めて開催しました。これは今でも毎年続いていまして、アジャイル実践者による講演やワークショップ型のセッションを行うなど、今年も千人規模の人を集める大きなイベントになっています。
――ウォーターフォール型のソフトウェア開発会社で、一社員のそうした自由な活動は、会社の理解や支援がないと成り立たないと思うのですが。
それは本当に大きいです。いま僕は3代目の社長なのですが、創業社長は「これからはユーザーがコンピュータを使う時代になる」(その頃は計算機センターの時代)といってこの会社を始めた方ですし、「いままでのやり方ではダメ。変わらなあかん」とずっと言っていました。でも、行き先は言わないんです。「どこへ変われ」とは言わない、そういう直感型、パッション型の長嶋茂雄のような人なんです。
この左右対称形になっている福井の本社は自社ビルですが、以前はこの半分の大きさしかありませんでした。実は当初から現在の大きさで建屋全体が設計されていたのですが、「きちんとお金が回るようになったら、もう半分建て増そう」ということで半分しか建てなかった。そして社員も倍に増えたので今のサイズになったという、そういう「アジャイル」な(笑)発想をそもそも持っている会社だったのが幸いでした。これも、出会いですね。
――そんな時代を経て、いまでは「アジャイル開発」は市民権を得ましたが、大きく変わったのはいつ頃だと思われますか?
『エクストリーム・プログラミング』の時にはプログラマーの世界でしかなかった「アジャイル」がブレークしたのは、2010年~2015年の頃に、「ヤフー」「楽天」「リクルート」といった企業が積極的に取り入れたことだと思います。彼らは、新しいサービスを考え、市場に投入するというスピードを上げる必要があったため、自社でエンジニアを採用してソフトウェアを開発するようになりました。これら大手のWebサービスの会社が取り入れた「アジャイル」や「スクラム」は、そこから一気にビジネスの最前線で使われるようになりました。
そして今起きているのは、大企業でITエンジニア人材を持っていない会社が、基幹システムではもう価値を生まないということに気づいて、デジタル・トランスフォーメーションで顧客とのエンゲージメントを強化しようという時代が始まっています。そんな時に、ウォーターフォール型で時間をかけてソフトウェアを開発していては、到底間に合わないし、効果を生むサービスが作れないのです。
それなら顧客と一緒に、何を作ればいいのかを議論して、仮説やPoC(概念実証)を繰り返しながら新しい市場や種、そしてビジネスのあり方を探索していく、そういう時代に入って来ていると思います。
アジャイル開発の現場---1
やるべき仕事、進行中の仕事、終了した仕事を、ポストイットを使って壁に貼り、チーム全員でその進捗を共有している。パソコン上でも進捗管理は行われているが、1週間というスプリントを繰り返す「スクラム」の場合、意識を合わせるためにはこうしたアナログでの情報共有がとても重要になる。(Agile Studio Fukui にて。リモート見学を受け付けています)
平鍋 健児(ひらなべ けんじ)
永和システムマネジメント株式会社代表取締役社長、株式会社チェンジビジョン 代表取締役CTO、Scrum Inc.Japan 取締役 1989年東京大学工学部卒業後、3次元CAD、リアルタイムシステム、UMLエディタastah*(旧名:JUDE)などの開発を経て、現在は、オブジェクト指向技術、アジャイル型開発を実践するエンジニアであり経営者 初代アジャイルジャパン実行委員長、要求開発アライアンス理事 著書『アジャイル開発とスクラム ~顧客、技術、経営をつなぐマネジメント~』(野中郁次郎と共著) 他に翻訳書多数あり
シリーズ紹介
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一橋ビジネススクール一橋ビジネススクールPDS寄付講座特任教授の楠木建氏の思考の一端を、切れ味鋭い論理を、毎週月曜日に配信。
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社会課題の解決に向けたビジョンの共有を図る研究開発拠点『協創の森』。ここから発信される対話に耳を傾けてください。
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