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僕にとってのディープインパクトといえば、池波正太郎は欠かせません。小説家であり劇作家である池波さんはエッセイも多く出されていますが、すぐにお説教をしてくれる人なんです。僕は“池波説教”と呼んでいますが、このお説教が的を射ていて素晴らしい。

時代劇や歴史小説を数多く書かれていますが、それをもとにした池波説教は本当に勉強になりました。若いうちから天下を望んだ戦国大名は、みんな駄目になっている。あの信長でさえも、“桶狭間の戦い”までは天下を取るなんていう気持ちはなかった。目の前に絶対にやらなければならない戦いとして“桶狭間の戦い”になって、それに挑んだ。そして美濃の国を取った頃からようやく日本を統一するという構想が出てくる。ただし、それはあくまでも成り行きであって、はじめからそんなことは考えてないと言うんです。

もし秀吉が、信長が生きている頃から自分が天下を取ろうという意図を持っていたら、絶対につぶされている。だから“本能寺の変”が起きるまで、秀吉はそんなことは考えていなかったし、家康も絶対そうだったと言うんです。

ビジョンやプランのことばかりで、そこまでの過程を考えない人間は結局どうにもならない。毎日の仕事とか、その時々の生きがいみたいなものが積み重なって、そこで知らず知らずに機会を得た時に花開く。「うまいことやろうとするな」という話なんです。若い頃の僕は、まさにその時々の生きがいだけで仕事をしていたようなものなのですが、誰もお客さんが来てくれない。そういう時に、それでいいんだと思えたのは、池波説教のインパクトが大きい。池波正太郎の言葉は、読んだ時にしびれる感じがするんです。「行く先の望みで努力をすると、思いどおりにならないときに苦痛で続かない。自分が楽しみながら、生きがいを感じながらでないと絶対に挫折する。」彼のこういう説教は、僕の“好き嫌い主義”にも大きな影響を与えています。

うまいことやろうとするなとか、政治的に強いものに頼って近道を取ろうとするな。とにかくいい仕事をして、「それをどうしても相手が欲しいと思わせる」。これだけが重要であり、仕事はそれがすべてだということです。

僕のディーペストインパクトは、しつこいようですが、高峰秀子です。高峰先生は、池波正太郎のようにお説教はしません。自分の行動とか、自分のちょっとしたものの考え方だけで「推して知るべし」というスタンス。「高峰秀子ならどう考えるだろう」というのを、日常の仕事や生活の中で自然に考えるようになっています。もう僕の価値基準の奥底みたいなものを作ってしまっている。これぞディープインパクト。

高峰秀子さんの本は、24冊しかないんです。もう本人はお亡くなりになっていて書けない。ところが、養女になられた斎藤明美さんという人が、高峰秀子さんの本を書いておられて、これがすごいありがたいんです。

「自分から求めない」とか、「絶対に期待しない」とか、「自分の都合のいいようにはいかない」とか、「変わらない」とか、「迷わない」とか、「振り返らない」とか、究極的にインディペンデントの人なんです。インディペンデントには2つの意味があって、人をあてにしないという意味での“自立”と、自分の規範に従うという意味での“自律”。これが仕事だけではなく、生き方になっているのが僕は本当にすごいと思っています。

しかも高峰秀子さんは、聖人君子ではありません。誰のためでもなくて、ひたすらに自分のために考えることで、結果的に究極の利他になるんです。利他と利己が完全に溶け合っている。これはもう“生活芸術”としか言いようがない。その言動にはいちいちしびれる。「これ以上の人はいない」、そう思える人が実在していて、本でその思考や行動に触れられるというのは本当に幸せなことです。

具体的にしびれた例をひとつご紹介しますと、「信用」と「人気」は違うと高峰秀子さんは言います。普通の女優は、人気を求めて、人気を大切にする。なぜかというと、女優は文字通り人気商売だからです。しかし、人気というのは一時的なもので、本当に大切なのは「信用」である。彼女は、映画に出るときにも、本を書くときにも、仕事生活の根底で常に「信用」ということを考えている。

映画で「あいつが出ているから大丈夫だ」と人に思ってもらう。これが「信用」です。最後に残るものは信用しかない。需要がないと仕事にはならないわけですが、その需要は決して「人気」であってはいけない。「人気」があると、周りが何でも言うことを聞いてくれるので、オールマイティー(全能)になってしまいます。いきなり、自分の思い通りになってしまうんです。

『ストーリーとしての競争戦略』という本が思いがけず売れた時のことですが、周囲の扱いがさーっと変わるんですね。みんな何でも言うことを聞いてくれる。このときに「人気より信用」という高峰先生の声が脳内に響き、一時の人気に身を任せては自滅すると気を引き締めました。今でも「高峰の教え」に従っていれば、だいたいのことは間違いないという考えで仕事をしています。

ここでは紹介しきれなかった話をお届けする、楠木建の「EFOビジネスレビュー」アウトテイクはこちら>

画像: ディープインパクト-その4
作家 池波正太郎、女優 高峰秀子。

楠木 建

一橋ビジネススクール教授
1964年東京生まれ。幼少期を南アフリカで過ごす。一橋大学大学院商学研究科博士課程修了(1992)。一橋大学商学部専任講師、一橋大学商学部助教授、一橋大学イノベーション研究センター助教授、ボッコーニ大学経営大学院(イタリア・ミラノ)客員教授、一橋大学大学院国際企業戦略研究科准教授、2010年より現職。
著書に『室内生活 スローで過剰な読書論』(2019、晶文社)、『すべては「好き嫌い」から始まる』(2019、文藝春秋)、『「好き嫌い」と才能』(2016、東洋経済新報社)、『好きなようにしてください:たった一つの「仕事」の原則』(2016、ダイヤモンド社)、『「好き嫌い」と経営』(2014、東洋経済新報社)、『戦略読書日記』(2013、プレジデント社)、『経営センスの論理』(2013、新潮新書)、『ストーリーとしての競争戦略:優れた戦略の条件』(2010、東洋経済新報社)などがある。

楠木教授からのお知らせ

思うところありまして、僕の考えや意見を読者の方々に直接お伝えするクローズドな場、「楠木建の頭の中」を開設いたしました。仕事や生活の中で経験したこと・見聞きしたことから考えたことごとを配信し、読者の方々ともやり取りするコミュニティです。
この10年ほどTwitterを使ってきて、以下の3点について不便を感じていました。

・140字しか書けない
・オープンな場なので、仕事や生活経験の具体的な中身については書きにくい
・考えごとや主張をツイートすると、不特定多数の人から筋違いの攻撃を受ける

「楠木建の頭の中」は僕のTwitterの拡張版というか裏バージョンです。もう少し長く書ける「拡張版」があれば1の問題は解決しますし、クローズドな場に限定すれば2と3の不都合を気にせずに話ができます。加えて、この場であればお読みいただく方々に質問やコメントをいただき、やりとりするのも容易になります。
不定期ですが、メンバーの方々と直接話をする機会も持ちたいと思います。
ビジネスや経営に限らず、人間の世の中について考えることに興味関心をお持ちの方々のご参加をお待ちしております。DMM社のプラットフォーム(月額500円)を使っています。

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ご参加をお待ちしております。

楠木健の頭の中

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楠木建の「EFOビジネスレビュー」

一橋ビジネススクール一橋ビジネススクールPDS寄付講座特任教授の楠木建氏の思考の一端を、切れ味鋭い論理を、毎週月曜日に配信。

山口周の「経営の足元を築くリベラルアーツ」

山口周氏をナビゲーターに迎え、経営者・リーダーが、自身の価値基準を持つための「リベラルアーツ」について考える。

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社会課題の解決に向けたビジョンの共有を図る研究開発拠点『協創の森』。ここから発信される対話に耳を傾けてください。

新たな企業経営のかたち

パーパス、CSV、ESG、カスタマーサクセス、M&A、ブロックチェーン、アジャイルなど、経営戦略のキーワードをテーマに取り上げ、第一人者に話を聞く。

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各界のビジネスリーダーに未来を創造する戦略を聞く。

経営戦略としての「働き方改革」

今後企業が持続的に成長していくために経営戦略として取り組むべき「働き方改革」。その本質に迫る。

ニューリーダーが開拓する新しい未来

新たな価値創造に挑む気鋭のニューリーダーに、その原動力と開拓する新しい未来を聞く。

日本発の経営戦略「J-CSV」の可能性

日本的経営の良さを活かしながら利益を生み出す「J-CSV」。その先進的な取り組みに迫る。

ベンチマーク・ニッポン

日本を元気にするイノベーターの、ビジョンと取り組みに迫る。

デジタル時代のマーケティング戦略

マーケティングにおける「デジタルシフト」を、いかに進めるべきか、第一人者の声や企業事例を紹介する。

私の仕事術

私たちの仕事や働き方の発想を変える、膨らませるヒントに満ちた偉才たちの仕事術を学ぶ。

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さまざまな分野で活躍する方からビジネスや生活における新しい気づきや価値を見出すための話を聞く。

禅のこころ

全生庵七世 平井正修住職に、こころを調え、自己と向き合う『禅のこころ』について話を聞く。

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明治期に始まる産業振興と文明開化、日本社会の近代化に多大な影響を及ぼした岩倉使節団。産業史的な観点から、いま一度この偉業を見つめ直す。

八尋俊英の「創造者たち」~次世代ビジネスへの視点~

新世代のイノベーターをゲストに社会課題の解決策や新たな社会価値のつくり方を探る。

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