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芸論という分野で僕がもっとも影響を受けた書き手というのは、小林信彦さんです。芸論の名人、名手で、たとえば『戦略読書日記』の中でも書きましたが、『日本の喜劇人』。これは日本を代表する喜劇人についての評論です。

小林さんは『おかしな男 渥美清』という渥美清の評伝も書かれていて、僕はこの本を通じて渥美清という特異な人物に多大な影響を受けました。一般には『男はつらいよ』の寅さん俳優で、ああいうキャラクターで知られている人なのですが、実際はものすごい複雑な人で、ほとんど私生活も表に出さず、若いころから目先の処世術には一切目もくれない。自分のスタイルや芸風に自覚的な人で、他人と迎合しない、自分に固有の芸に磨きをかけることにしか興味がない人でした。

渥美清の下積みは舞台でしたが、途中で結核になって、何年間も生きるか死ぬかの闘病生活で非常に暗い青年時代を過ごしました。それでもテレビドラマでいくつかヒットが出たり、映画でも『拝啓天皇陛下様』※がヒットしたりして、間欠的にそれなりの成功はあったのに、ブレークがない。ちょっと成功しては、また少し停滞ということの連続だったそうです。

※『拝啓天皇陛下様』:棟田博の小説を原作とした松竹製作の喜劇映画。

そしてついに、テレビドラマとして『男はつらいよ』が企画されて、車寅次郎の役でその主演をやるんです。著者の小林さんは、渥美清と個人的に知り合いでよく話していたらしいんですけれども、『男はつらいよ』の仕事が始まったときに、渥美清が「俺はこれを乗ってやってるんだ」と言っていたそうです。

僕は本を読んでるときに、「あぁ、これだな」と腑に落ちました。ちょっと渥美清と比較するのも何なんですが、自分のそれまでの仕事を考えても、結局「乗ってる感」がないと駄目なんだということです。客観的にいい仕事とか悪い仕事なんてない。そんなの当たり前といえば当たり前なのですが、渥美清の取り組み、仕事への構えを読んでいると、「乗ってる感」がすべてで、焦らずにじっくりと自分のスタイルなり自分のセンスなり、芸と仕事とのフィットを求めていくっていう姿勢が一貫してあって、自分もこういうふうに仕事をしていきたいと強く願いました。

僕は喜劇俳優ではないのですが、芸論というのはセンスについてダイレクトに考える機会をふんだんに与えてくれる、センスの宝庫なんです。そして『おかしな男 渥美清』は、僕にとってはセンスの教科書のような本です。

他にも俳優でいえば、高倉健。あの方も大変なスタイルと芸風を確立された人なわけですが、あるインタビューで僕が感動したのは、自分が仕事を引き受ける条件というのは基本的に2つしかない、とおっしゃっています。1つ目は「ギャラが高い」こと、2つ目が「拘束時間が短いこと」で、この2つの基準で自分は仕事を選択するっていうんです。

僕は、「そうだよな」と思いました。それは実利的にということではなくて、そういう強い基準でやっていなければ、あのスタイルを、あの固有の芸をあんな世界で絶対に持続できなかったはずです。一人ひとりが仕事について持っている原則、選択基準というのは、その人のセンス、スタイルが本当に凝縮して表れるところです。古いところでいえば、世阿弥の『風姿花伝』※。センスとは何かを考えるうえで、これも素晴らしい本です。

※『風姿花伝(ふうしかでん)』:亡父観阿弥の教えをもとに、世阿弥が記した能の理論書。

いろいろな人についての芸論を読んで学んできた僕の確信は、どんな人でも結局は「自分の芸と心中する」ものだということです。たとえば、あれだけの大スターだった古川ロッパも、戦後はさすがに時代とのずれが出てきて、だんだん売れなくなっていきます。しかも、自分の芸に言語的に自覚的な方だったので、誰よりも自分が時代とずれていることがわかって大変に苦しむんです。生活のコストも高い人だったのでお金も必要だし、何とか仕事をしていかなければならない。それでも結局、自分の芸風、スタイルはまったく変えられないで、そのまま50代で亡くなるというかなり不幸な晩年でした。

ライバルのエノケンも戦後は病気で片足を切断して、義足の生活になります。ただ、彼は体を動かす体技、ドタバタ喜劇、もうそのスタイルをどうしても変えることができなくて、最終的には義足でどれだけ走り回れるかっていう方向で何とか頑張った。

渥美清も「俺は乗っているんだ」といって、『男はつらいよ』で自分のスタイルと仕事がフィットして大ブレークするのですが、その後は寅さんというあのキャラクターに一生閉じ込められる俳優生活を送るわけです。最後は病気と闘いながら、本当にあの映画のためだけに生きることになりました。

高倉健は、どの映画に出ても結局は健さんで、最後の主演映画なんていうのはほとんどドキュメンタリーだか何だかわからない、要するに高倉健を見せる映画でした。みんな自分の芸、自分のスタイルと心中した人なのだと思います。

一度自分のセンス、スタイルを確立したら、それはもう変わらないもので、逆に変わるようなものだったらそれは本当のセンスではない。仕事というのはそういうもので、やっぱり自分に固有のセンスを自覚したり、自分と違ったセンスの人を見て内省したり、そういうことを繰り返しながら練り上げていくものであり、それが醍醐味なのだと思います。

画像: 芸と仕事-その4 センスとの心中、それが芸。

楠木 建
一橋ビジネススクール教授
1964年東京生まれ。幼少期を南アフリカで過ごす。一橋大学大学院商学研究科博士課程修了(1992)。一橋大学商学部専任講師、一橋大学商学部助教授、一橋大学イノベーション研究センター助教授、ボッコーニ大学経営大学院(イタリア・ミラノ)客員教授、一橋大学大学院国際企業戦略研究科准教授、2010年より現職。
著書に『すべては「好き嫌い」から始まる』(2019、文藝春秋)、『「好き嫌い」と才能』(2016、東洋経済新報社)、『好きなようにしてください:たった一つの「仕事」の原則』(2016、ダイヤモンド社)、『「好き嫌い」と経営』(2014、東洋経済新報社)、『戦略読書日記』(2013、プレジデント社)、『経営センスの論理』(2013、新潮新書)、『ストーリーとしての競争戦略:優れた戦略の条件』(2010、東洋経済新報社)などがある。

シリーズ紹介

楠木建の「EFOビジネスレビュー」

一橋ビジネススクール一橋ビジネススクールPDS寄付講座特任教授の楠木建氏の思考の一端を、切れ味鋭い論理を、毎週月曜日に配信。

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