「第1回:「ヨ族」と「ス族」の価値基準。」はこちら>
「第2回:「ヨ族」が増殖する理由。」はこちら>

以前ここでお話をしたことでもあるのですが、僕は、その人に固有の価値基準で考えて、自分なりの基準、価値観を定めることが教養そのものだと考えています。教養というのは、そういう意味でかなり個人の「好き嫌い」に近いものです。ただ単に、天丼が好きっていうのは教養とは言えません。しかし、なぜ自分はそう思うのかというところまで含めた「好き嫌い」こそ、教養の正体じゃないかなと思うんです。

自分の価値観、「好き嫌い」に照らし合わせて、社会と向き合う。何か出来事があったら、それについて自分なりの意見を持つとか、何か判断を迫られたら、自分の基準に照らし合わせて自分なりの理由を持って選択をして行動する。僕は、これが教養があるということだと思うんです。

「ス族(好き嫌い族)」の僕に言わせれば、「ヨ族(良し悪し族)」は、ちょっと考えることにおいて怠惰なんじゃないか。自分で、なんでだろうとか、そういう理由を考えることを惜しむところがあるように思います。自分で考えなくても、出来合いの「良し悪し」という価値観、価値基準に乗っかれば、生きていける。僕は、「ヨ族」は出来合いの価値観に便乗しているわけで、自分に固有の思考が足りない面があるんじゃないかなと思うんです。

最近僕が気になる物言いに、“残念”という言葉の多用があります。あるときから“残念”という言葉の使う幅、意味の幅が広がったような気がしています。そもそも“残念です”という言葉は、こんなに早くお亡くなりになって“残念なことでした”とか、勝てると思ったのに負けちゃった、ああ“残念だ”みたいな意味で使っていた。たぶん、あるとき売れた本の影響だと思うんですが、“残念な人”とか、その意見は“残念です”とか、“あなたがこんなことをするとは残念です”とか、そういう使われ方をするようになりました。

いまの“残念”という言葉には、私のほうが正しい、それは悪いことだ、というような意味合いが入っている。ただし、さすがに「ヨ族」も、人によって価値観が違うことは頭の片隅にはあるので、それはあなたが間違っています、悪いことですと直接言葉にするのは抵抗がある。でも否定しないと心の収まりがつかないのが「ヨ族」なんで、その辺を若干ぼかして“残念です”と言うようになった――というのが僕の推測です。

僕も、ものを言ったり書いたりしていると、“残念です”という否定的な感想をよくいただくんですよね。ところが、“残念です”という人はだいたい、“残念”の理由を言いません。私はこういう理由でこういう意見なので、おまえの本は面白くない、つまんない、間違っていると言ってもらいたいんですが、単に一言“残念です”。“残念です”というのは、本来は「好き嫌い」の問題を安直に「良し悪し」に転化するマジックワードになっているように思います。

これも以前話したことがありますが、“文春砲”に代表される週刊誌メディア。これが不倫をしたとか、しくじったとか、こんなに悪い奴だとか、「良し悪し話」が大好きです。

なんでそこまで情熱を持ってそういうことをやるのかというと、結局は需要があるからです。その需要というのは、要するに娯楽なんです。そういう娯楽を人々に提供することが週刊誌の目的の一つなので、それはそれで需要と供給がかみ合ってるわけです。僕は、全然関心がないので読みませんが。

不思議なのは、そんな週刊誌のエンターテインメントに対して、こんな人の不倫を暴き立ててけしからんとか、ジャーナリズムの風上にも置けないとか、人のプライバシーをどう思っているんだって、すごく攻撃する人たちがいます。あれもまた僕にはわからないんです。嫌なら見なければいいでしょう。ジャーナリズムの風上にも置けないって、これはジャーナリズムじゃないです、エンターテインメントですからと。AKBが歌ったり踊ったりしてるところへ行って、こんなの芸術じゃないって批判するに等しい。いや、やってるほうもエンターテインメントとしてやってるはずで、芸術じゃないって言われても困っちゃうよなって。

なんかみんな無理して「ヨ族」になって一生懸命怒ったり悲しんだりしてるのって、すごく無駄じゃないかと思うんです。自分の好きなことは思いっきり楽しんで、嫌いなことには関心を持たなければいい。それだけの話です。僕も娯楽を必要としていますが、僕の「好き嫌い」でいえば、文春砲よりも東映のやくざ映画を見てるほうがよっぽどスカっとするんですよね。高倉健と藤純子、最高だなと。嫌なことも忘れて、さぁそろそろ寝るか。それでいいと思うんです。

画像: 「良し悪し族」対「好き嫌い族」-その3
“残念です”を多用する「ヨ族」。

楠木 建
一橋大学ビジネススクール教授
1964年東京生まれ。幼少期を南アフリカで過ごす。一橋大学大学院商学研究科博士課程修了(1992)。一橋大学商学部専任講師、一橋大学商学部助教授、一橋大学イノベーション研究センター助教授、ボッコーニ大学経営大学院(イタリア・ミラノ)客員教授、一橋大学大学院国際企業戦略研究科准教授、2010年より現職。
著書に『すべては「好き嫌い」から始まる』(2019、文藝春秋)、『「好き嫌い」と才能』(2016、東洋経済新報社)、『好きなようにしてください:たった一つの「仕事」の原則』(2016、ダイヤモンド社)、『「好き嫌い」と経営』(2014、東洋経済新報社)、『戦略読書日記』(2013、プレジデント社)、『経営センスの論理』(2013、新潮新書)、『ストーリーとしての競争戦略:優れた戦略の条件』(2010、東洋経済新報社)などがある。

「第4回:『ス族』がつくる自由と平和。」はこちら>

シリーズ紹介

楠木建の「EFOビジネスレビュー」

一橋大学ビジネススクールの楠木教授の思考の一端を、切れ味鋭い論理を、毎週月曜日に配信。

山口周の「経営の足元を築くリベラルアーツ」

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