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プレスリリース1本が絶大な効果を発揮
――ここ富ヶ谷本店のオープン時は、どうやって最初のお客さまを獲得したのですか。
山下
第1回でお話ししたように、2014年の夏に欧米を2カ月間廻って8月に帰国して、そこから突貫で準備をして…4カ月後の12月1日に店をオープンしました。なぜそんなに急いだかと言うと、その年のクリスマスや翌年のバレンタインの頃には、絶対にBean to Barのムーブメントが日本に入ってくると確信していたからです。
その頃、僕たちのように自社工房と店舗を持ってBean to Bar専門でやっている会社は都内にほとんど無かったので、プレスリリースを1本打っただけで300本近くの取材が僕たちに集中しました。雑誌だけでなくテレビでも取り上げてくださって、一日に3件も取材を受けたこともありました。
よく社内で話すのですが、売り上げNo.1を獲る以上に、認知No.1を獲ることがとても大事だと僕は考えています。認知No.1でいれば、もし業界が不況に陥ったとしても何とかなる。ですから、取材を受けたときは、100字程度の小さな記事にしかならなくても、時間の許す限り弊社の取り組みをきちんと説明させていただいています。そうすると、ライターの方が他の媒体で取り上げてくだることもあるからです。それから、取材の切り口によってだれが話すかを意図的に設定しています。今回のようなビジネスの切り口なら僕が、食そのものの話であれば弊社のシェフが応じます。メディアの切り口に適した社員が話すことで、より多くの方に興味を持っていただこうという戦略です。
富ヶ谷で認められれば、世界に通用する
――ここ富ヶ谷は、近年“奥渋”と呼ばれるエリアの中でも、かなり奥のほうに位置しています。また、閑静な住宅街といった感じで、人通りが多いわけでもありません。なぜ、敢えてこの場所を選んだのですか。
山下
新しい文化をつくりたかったからです。
食の世界は、だいたい10年スパンで流行りすたりがあります。だから多くのスタートアップは、ブランドを立ち上げたら、まず面を取る。つまり、店舗数を増やして売り上げを伸ばす。さらに、そこで得た資金で別の業態を立ち上げる、といったパターンが多いです。それに対して僕たちは「チョコレートを新しくする」というビジョンを掲げ、Bean to Barを100年、200年と続いていくものにしたいと考えています。その第一歩とするために、きちんと腰を据えてBean to Barに取り組める場所を探しました。
では、過去に新しい文化がどんな場所で起こってきたかというと、例えばBean to Barの火付け役となったマストブラザーズという会社は、ニューヨークのブルックリンという地域が拠点です。都心からちょっと外れにあるこの街に、多くのアーティストが暮らしています。また、世界一のレストランとして知られるデンマークのノーマも、首都コペンハーゲンの外れにあります。都心から適度に離れていて、新しいものに対する感度が高い人たちが住んでいる。そういう場所にこそ、新しい文化が生まれるのではないかと思うのです。
それで選んだのが富ヶ谷です。僕が思うカウンターカルチャーの中心地と言ったら、渋谷です。そこから徒歩20分以上と適度に離れていて、最寄り駅から原宿まで1駅、新宿まで3駅というアクセスのよさが富ヶ谷にはあります。それでいて、ざわざわしていない。近隣に富裕層が住むエリアもあるので落ち着いている。なおかつ、すごくおいしい個人経営のレストランが何軒もある。ということは、新しい文化を受け入れる懐の深さがありながら、一方で、質に厳しい人たちが暮らしているので、ここでお店を開くなら、おいしいものじゃないと生き残っていけない。つまり、ここ富ヶ谷で僕たちのBean to Barが認められれば、日本中、世界中どこへ行っても通用するのではないか。そう考えて、ピンポイントでここに決めました。
伝え手はバリスタとバーテンダー
――消費者のターゲットはどの層に設定したのですか。
山下
まず、ブランディングターゲットを30代から40代の男性に置きました。なぜならこの層は、新しいものへの感度が高く経済力もあるからです。出店を決める際に、富ヶ谷交差点の歩道橋から歩行者をカウントして、このエリアに一定数のターゲットがいることを確認しました。店の内装も、ターゲットに合わせてクラフト感のあるものにしました。
――実際にターゲットに来店してもらうために、工夫していることはありますか。
山下
コーヒー専門店やバーなどに、弊社の商品を卸しています。要は、上質なコーヒーやワイン、ラム、スコッチといった嗜好品を楽しむ男性が集まる場所に、意図的に僕たちのチョコレートを置かせてもらっているのです。そういったお店で働くバリスタやバーテンダーの方たちはストーリーテラーでもあるから、僕たちの商品にまつわる話を丁寧にお客さまに伝えてくださる。僕たちに代わってプレゼンしてくれるわけです。そこから口コミで消費者に広がっていく…という文脈となるように、ターゲットが集まりそうなコミュニティに出かけて行って集客の起点づくりをする、といったことは意識的にやりました。
自分たちから「この商品を使ってください」と営業したことはあまり無いですが、「新しい文化をつくりたいんです」という思いは語らせていただきますし、何より…食べてもらうのが一番早いです。そうすると、一般的なチョコレートとの味の違いがわかるので。僕の話はあくまで副次的なものでしかないです。
――そういった地道な努力で人脈を広げていった結果、近年積極的に展開している、フレンチレストランやブランデーメーカーなどとのコラボレーションにつながった、と。
山下
実はありがたいことに、コラボレーションのほとんどが先方からのオファーなのです。やはり、先ほどの話の「認知No.1を獲る」ことがすごく大事で、メディアに取り上げていただいた反響は大きい。結局は、人が人を呼ぶのだと思います。
Minimalのチョコレートは「嗜好品」
――Minimalの板チョコレートは、1枚50gのものが1,000円~1,500円という価格設定ですが、なぜこの価格帯なのですか。
山下
価格の決め方には3つあると僕は思っていて、その複合で決めています。1つめは、原価に利益を積み上げる、コストベースの考え方。2つめは、競合商品と比べるマーケットベースの考え方。3つめが、「このくらいの価値があるからこの値段で売りたい」と自分たちで設定するバリューベース。コストベースで言うと、僕たちは原料のカカオ豆を市場の2.5~3倍以上の価格で買っているので、そこに利益を積み上げました。マーケットベースで言うと、板チョコで安いものなら100円、高いものですと輸入品で2,000円~3,000円する高級なものもあるので、その中間に設定しました。バリューベースでは、正直なところ僕が消費者ならもっとお金を支払ってもいいぐらいの価値があると思っています。この3つのバランスをとって、価格を設定しました。
――直接カカオ農園に足を運び、しかも相場より高値でカカオ豆を買い取っていますよね。この価格で、元は取れているのですか。
山下
実際のところ…大変です(笑)。でも、創業時からずっと同じ価格帯でやってきましたから。
――期間限定のセールなどはしないのですか。
山下
一切しないです。値引きしたことは一度も無いです。
――そこには何か哲学があるのでしょうか。
山下
値引きしたら買っていただけた、ということは、お客さまが商品に価値を見出していないという意味だと思うのです。そういう風にしか売れないものをつくってしまうと、自分たちの価値をどんどん下げてしまいます。僕たちは大量生産のおやつとしてのチョコレートではなく、付加価値の高い“嗜好品”をつくっていきたい。もし「もっと安くしてよ」と言われたとしたら、自分たちに何か不備があるということです。それは商品のつくり方なのかもしれないし、商品の伝え方、もしくはサービスの仕方なのかもしれない。そう考えています。
――山下さんにとっての嗜好品の定義とは何ですか。
山下
無くてもいいけれど、あると生活に彩りを与えてくれるもの。そして、その人にとってオンリーワンの価値があるもの。ですから、何が嗜好品かは人それぞれ違うはずです。「普通なら100円で買える板チョコに1,000円も払うのは高すぎる」と感じる人も当然いると思います。その一方で、一般的なチョコレートと比べるのではなく、「Minimalのチョコレートを食べながらだれかと会話する時間に1,000円の価値を感じる」という人もいるかもしれない。そういう人にとっては、弊社のチョコレートは嗜好品だと言えます。
お客まで半歩遠かったブランディング
――最初は自己資金と少額の融資で始まった御社ですが、その後、財務的には順調だったのですか。
山下
初年度から黒字を達成できました。
――それは目論見通りの結果だったのですか。
山下
目論見通りです。このビジネスって、完全にキャッシュフロー経営なのです。先にカカオ豆を買って、店舗をつくる、そして売れるかどうかわからないけれど商品在庫を抱えて、売る…その繰り返しなので、資金の変動がとても激しい。ですから僕たちは、常に安定して資金繰りができるように、ゆくゆくはメガバンクから直接お金を借りられるようにしたいと考えていました。でも、実績の無いスタートアップ企業が審査を通過するのはかなり難しいです。
そこで、初年度からしっかり黒字を出すことで、財務的にしっかり回していけるビジネスなのだという実績をつくりました。何を我慢して、どこにどのくらい投資して、どのくらい売り上げを出せばよいのかという算段は、創業時から頭の中でつけていました。第1回でお話しした、創業メンバーでルームシェアした話は、その“我慢”の部分ですね(笑)。2年目以降は毎年、前年比2~3倍の売り上げを計上しています。
――創業して3年経ちますが、この間に大きく変えたことは何ですか。
山下
ブランディングです。初めの頃は、とにかく世の中にインパクトを与えられるチョコレートをつくるんだ!という思いが強すぎて、「僕たちカカオラボです」みたいなメッセージを掲げていました。ところが、お客さまからすると「?」なんですよね。お客さまとの距離が、まだ半歩遠かった。
例えば当初は、カカオ85%とか、そういう高濃度のチョコレートをつくっていました。最初はお客さまも面白がって食べてくださるのですが、インパクトだけなので継続性が無い。そこでようやく気づいたのです。求められているのは、おいしい「カカオ」ではなく、おいしい「チョコレート」なのだと。創業から1年経った頃、それまでカカオを前面に出していたブランドメッセージを、「チョコレートを新しくする」に変えました。それにともなって、お客さまがおいしく感じられて、同時にカカオの新しさを感じられるチョコレートということで、現在販売しているカカオ70%前後のものに落ち着きました。これは、1年目における大きな学びでした。
――会社の規模は今どのくらいですか。
山下
富ヶ谷のほか、白金高輪と銀座、池袋に店舗があります。社員は今20人くらいです。この3月に家庭の事情で1人退職することが決まっているのですが(取材を行ったのは2月)、実はそれまで、創業から1人も退職者が出なかったんですよ。
――採用のコツがあるのですか。長く働いてくれるか見極められる質問など。
山下
弊社の公式サイトには、3,000字以上の長い長いブランドストーリーが掲載されています。それをきちんと読んだのかどうか、弊社の志のどこに共感したのかを聞いています。そうすると、その人がどんなモチベーションで僕たちと一緒に働きたいのかがわかる。人材採用のスクリーニングとしては、とても有効ですよ。当初、文章量の多いブランドストーリーを載せることを全社員から反対されたのですが、今となってはよかったですね(笑)。
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