欧米人を惹きつけた、ダマスカス模様
――前編では、2000年発売の高級包丁ブランド「旬」が日本ではなかなか売れなかったとのことでしたが、その後どうなったのですか。
遠藤
それが、日本よりも先に海外でブレイクしたんです。2003年公開のアメリカ映画「ラストサムライ」がヒットしたり、欧米を中心に日本食ブームが起きたりと、日本の文化が海外で見直された時期にちょうど当たったのです。
それまで欧米では、包丁と言えばドイツ製が有名でした。ドイツの包丁は、ハンドル(持ち手)にリベット(かしめ鋲)を埋め込むことで刃体(はたい)が固定されているという構造です。それに対して我々の「旬」はハンドルにリベットがないことから、非常にユニークなデザインだとのことで注目されました。さらに、ハンドルの断面が栗の形をしていること、刃体の表面の波紋のようなダマスカス紋様も欧米のお客さまに受け、「日本らしいデザインだ」「今までの包丁とは違う」ということで、一気にブレイクしました。
遠藤
また、「旬」という名前も覚えやすくてよかったのだと思います。特に欧米の方には「シュン」が発音しにくいらしく、最初は「シャン」と呼ばれていましたが、今ではおかげさまで「シュン」と言えば日本の包丁の代名詞になっているようです。海外の有名なシェフにご購入いただいたことも大きいですね。
――というと、「旬」の購入客は料理のプロが多いのですか。
遠藤
プロに限らず、料理に強い関心のある方々が多いです。中には「こんなきれいな包丁を持っているんだ」と見せびらかしたいという方もおられます(笑)。
――先ほどのお話ではデザインが注目されてブレイクしたとのことですが、「旬」は欧米の包丁と比べて切れ味も違うのですか。
遠藤
まず、刃の付け方が違います。ドイツなど海外メーカーの包丁に比べ、当社の包丁は刃角度が鋭角です。業界用語で「ハマグリ刃」というのですが、包丁の刃がハマグリのように刃先に向かってカーブしています。そのため、食材を切ったときに、切れた食材を左右に押し広げていくので切り離れがいいのです。このハマグリ刃をつくるため、「仕上げ刃付け」という刃の先端を研磨して仕上げる作業を、関の工場で技術者が一丁ずつ行っています。
「野鍛冶の精神」を取り戻す
――貝印のWebサイトを見ると「野鍛冶の精神」という言葉がよく出てきます。どんな意味なのですか。
遠藤
昔はそれぞれの街に包丁や農具、漁具などを手がける鍛冶屋さんがいて、「こういう刃物が欲しいからつくってくれや」という住人の声を直接聞いて、いわばオーダーメイドで一人ひとりに合う刃物をつくっていました。それが野の鍛冶、「野鍛冶」です。
ところが大量生産の時代になったことで、お客さまの顔が見えなくなってきました。時代は変わっても、お客さまが求める価値やデザインは一人ひとり異なるはずです。お客さまと対話しオーダーメイドでつくっていた本来の鍛冶屋の姿勢を取り戻すために、「野鍛冶の精神」という言葉を我々は掲げるようになりました。
「旬」よりさらに高級な包丁ブランドとして2005年に開発した「Michel BRAS(ミシェル・ブラス)」があります。これは、フランスの有名シェフMichel BRASを顧客の一人に見立て、直接対話を重ねながら彼のニーズを聞き、それに一つずつ応えて商品化したものです。まさに「野鍛冶の精神」でものづくりに取り組んだ一例です。また、東京本社の1・2階がショールームになっているのですが、ここもまた「野鍛冶の精神」に基づいて設けたものです。併設のキッチンスペースで貝印の商品を使った料理教室も開催しており、我々とお客さまとの貴重な接点になっています。
種をまき続ければ、チャンスは向こうからやってくる
――近年、貝印は女性向けの美容グッズや、メスなどの医療機器も手掛けています。また、伊勢丹新宿店や株式会社高島屋と共同で、レストランやカフェを展開しています。こういった新しい動きが出てきたきっかけは何ですか。
遠藤
我々は刃物メーカーですが、刃物だけにこだわっていても事業の幅は広がっていきません。関連する分野でやれそうなことは何でもやってみようということで始めました。
――例えば、美容市場への参入はハードルが高かったのではないですか。
遠藤
そんなことはないです。コア商品となるのは爪切りやおしゃれバサミ、毛抜きといった、それまでも我々がつくり続けてきた刃物です。そこからさらに、ネイルケア用品やアイメイクに使うビューラーというように、美容グッズの幅を広げています。
遠藤
家庭用品も同じですよね。包丁だけにこだわっていたら、包丁しか売れない。でも包丁だけで料理はできませんよね。ですから我々は、ピーラーやスライサー、それからまな板や鍋というように事業を広げていきました。
そうすることによって、一般消費者だけでなく、レストランのシェフや料理教室、ネイリストや美容室、医療機関なども我々のお客さまになっていきます。いろいろなところに種をまき続けていった結果、異業種の企業からお声がかかることも増えました。先ほどの伊勢丹新宿店さまや高島屋さまとのコラボは、ありがたいことに先方から「一緒にやりませんか」とお話をいただいたものです。
――本業のほかには、斬新なデザインの季刊広報誌「FACT magazine」を発行するなど、老舗メーカーのイメージを覆すような取り組みをしています。
遠藤
「FACT magazine」は、我々の子会社であるスウェーデン発のクリエイティブエージェンシーが制作しています。これも、狙って子会社化したのではなく、もとの親会社から譲渡の話が舞い込んできたのです。
――事業を広げていく過程においては、失敗したり途中でやめたりした取り組みもあるのですか。
遠藤
もちろんあります。ところがわたし、結構あきらめが悪いもので(笑)。一度取り組み出したらなかなかやめないんですよ。
わたしが経営者として気をつけているのは、閾値(いきち/しきいち)を見極めることです。物事を進めていくと、ブレイクスルーするポイントがありますよね。もしくは、ブレイクスルーしない場合もあるわけですが、その見極めが非常に大切だと思うのです。得てして、閾値に達する前に諦めてしまうということがありますから。逆に、閾値の見極めが甘いと、赤字を垂れ流しながらダラダラと事業を続けることになってしまいます。そういった事態は避けなくてはいけません。その辺はやはり経営者の勘なのかもしれません。なかなか難しいことですけどね。
「ええかええか」「ヌーリーヌーリー」
――百年続く老舗企業の経営者として、大切な資質は何だとお考えですか。
遠藤
わたしが普段から大切にしている言葉があります。それは「ええかええか」「ヌーリーヌーリー」。
「ええかええか」は関の言葉で、「大丈夫か? これでいいのか?」と、絶えず自問自答しながら物事を進めなさいという意味です。ややもすると、舞い上がったり無謀なことをしてしまったりといったことが誰しもありうるので、そうならないようにということです。
「ヌーリーヌーリー」は、中国語で「努力、努力」。これは、中国の現地の方がよくおっしゃるんです。努力します、一生懸命頑張りますという意味ですね。それが耳に残っていたので「これ、使えるな」と思いまして。普通に日本語で「努力」と言っても印象に残りませんが、「ヌーリー」と言えば、「それどういう意味ですか?」となるじゃないですか。
「ええかええか」「ヌーリーヌーリー」。さらにもう一つ付け加えるなら「コツコツ」。どれも当たり前のことではありますけど、持続可能な成長のために忘れてはいけない姿勢だと思います。
――貝印は遠藤さんまで三代続くファミリー企業です。遠藤さんのお子さま方も、貝印に勤めてらっしゃるのですか。
遠藤
ええ。今、息子が常務をやっています。
――ご家庭では、創業家一族のDNAをどう伝えているのですか。
遠藤
よく言ってきたのは、「真面目に、謙虚に、誠実にやる」。そのくらいですね。あまり具体的なことを教え込んだところで、多分聞かないと思います(笑)。あとは、子どもたちがまだ小さかった頃は、夕食はできる限りみんなでとるようにはしていましたね。そういったときに、教訓のようなことを話したかもしれません。
ビジネスのコアは、あくまでも刃物
――今、多くのメーカーで製造拠点の海外移転が進んでいますが、貝印は今後も関での製造を続けていくのですか。
遠藤
続けていきます。今、岐阜県内には関を中心に4つの工場があります。これらを1カ所に集約した新工場を、現在建設中です。国内ではひさしぶりに大規模な投資です。
――アメリカや中国、ベトナムにも製造拠点がありますが、海外工場との役割分担はどうなりますか。
遠藤
カミソリの刃はすべて、これまでもこれからも、関でつくり続けます。ただ、貝印全体の生産量が国内50:海外50と海外の比率が高まってきていますから、カミソリ以外の商品は、なるべく海外工場でつくります。例えば、ベトナムでつくった商品を欧米で販売するという場合もあります。
2016年にはインドでも製造を始めました。インドでは、政府が“Make in India, Sell in India.”という大号令をかけ、外資のメーカーに製造業への投資を呼び掛けています。貝印もそれに応じ、インドで商品をつくってインド国内で売るという、我々の他の海外工場とは一線を画したプロジェクトを進めているところです。
――最後に、これからの貝印のビジョンを教えてください。
遠藤
あくまで我々の事業のコアは刃物です。そこからいろいろな事業を芽吹かせていけるよう、今まで同様、いろいろなところに種をまいていかなくてはならない。例えば、我々にとって比較的新しい分野として、5年ほど前から力を入れている医療機器事業があります。外科手術や皮膚科の検査などで刃物の出番の多い分野ですから、医療技術が進むとともに刃物も進化していく必要があります。そこに我々も関わり、ビジネスチャンスを広げていきたいと考えています。
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一橋ビジネススクール一橋ビジネススクールPDS寄付講座特任教授の楠木建氏の思考の一端を、切れ味鋭い論理を、毎週月曜日に配信。
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