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ピジョン株式会社 代表取締役社長 山下茂氏
国内で圧倒的なシェアを誇り、海外でも評価の高い育児用品メーカー、ピジョン株式会社。「愛」というユニークな経営理念を掲げて世界中の子育てを支え続ける一方で、上場企業の平均ROE8%台*1
をはるかに上回る20%台という高い収益を出しており、「世の中を良くすること」を目的としながら利益も生み出す経営戦略、J-CSV*2を地で行く企業だ。1957年にファミリー企業として出発し3代目で非同族経営に転じた歴史を持つピジョンが、一貫してCSV経営を継続できている理由とは何か。5代目社長を務める山下茂氏に話を聞いた。
*1 ROE(Return On Equity):自己資本利益率
*2 J-CSV:2011年にハーバード大学のマイケル・ポーター氏らが提唱したCSV(Creating Shared Value:共有価値の創造)の日本企業版として、一橋大学特任教授の名和高司氏が2015年から提唱している経営戦略。

お母さんの気持ちに近づくために

――御社は、「愛」というとてもシンプルな経営理念を掲げています。まずは、そこに込められた思いを教えてください。

山下
世界中の人たちにとって一番大切なものは何かを突き詰めていくと、やっぱり人が人を大切にする心、すなわち「愛」だと思うのです。ピジョンは赤ちゃんやお母さんといった、助けを必要としている人たちに対して商品やサービスを提供している企業体です。そういう仕事をしている我々に「愛」の心が無かったら、当然良い商品は作れませんし、良いサービスを提供することもできません。ここで言う「愛」とは、お母さんがかわいい我が子に与える無償の愛、見返りを求めない愛のことです。その気持ちに我々もできる限り近づきたいという思いが、この経営理念に込められています。1985年、当時2代目社長だった仲田洋一がコーポレート・アイデンティティ(CI)の制定とともに明文化しました。わたしが入社5年目の年でした。

――経営理念が「愛」に決まった時、山下さんはどう感じましたか。

山下
初めて聞いた時はちょっとわかりにくいなと思いましたが、違和感は無かったです。我々の商品を使ってくださる赤ちゃんやお母さんに対する愛情を持とう、という意識は常にありましたから。

ただ、わたしが入社した頃のピジョンはまだ社員300人くらいの会社でした。今では連結で3,000人を超える社員を抱えており、経営理念の「愛」や社是である「愛を生むは愛のみ」の真意をすべての社員が自分の言葉で説明できるかというと、なかなか難しい。また、2000年以降増え続けている海外のグループ会社の社員とも同じ理念を共有するために、経営理念と社是を噛み砕いて文章化・図式化する必要がありました。そこで、2013年にわたしが社長になってから、我々のすべての活動の基本となる考え方「Pigeon Way」を制定しました。

画像: Pigeon Wayの概念図

Pigeon Wayの概念図

コアコンピタンスは開発力

――御社はCSV企業として、社会に対してどんな価値を提供している会社だと認識されていますか。

山下
我々が社会に提供しているのは、生後18カ月以内の赤ちゃん、そして赤ちゃんを育てているお母さんの「お困りごと」に対するソリューションです。それを可能にしているのが、ピジョンのコアコンピタンスである開発力です。

――御社ならではの開発力について詳しく教えてください。

山下
茨城県のつくば市にピジョンの中央研究所があり、哺乳分野を中心に赤ちゃんに関する研究を多数行っています。哺乳分野に関して言えば、我々のように研究活動を行っている育児用品メーカーは他にほとんどありません。これまでの研究で一番大きな成果は、「哺乳三原則」を発見したことです。赤ちゃんの哺乳時の動きは、パクッとくわえる「吸着」、舌をうねらせるように動かして母乳を引き出す「吸綴(きゅうてつ)」、そして、呼吸をしながらゴックンと 飲み込む「嚥下(えんげ)」という3 つの動作で構成されるのです。

この哺乳三原則に基づいて、より本物のおっぱいに近い乳首の開発に成功しました。一部の赤ちゃんに起きる人工乳首への拒否反応が、ピジョンの哺乳器なら起きにくいという評価を日本でも海外でもいただいています。そのほか、飲む力が弱い赤ちゃんのために、柔らく、しかもつぶれにくい人工乳首の開発も進めています。

この例のように、我々は消費者のニーズを満たすだけにとどまらず、突き抜けた品質を提供したいと考えています。商品をお使いになった方が感動してくださるような、あるいは、「どんな人がこの哺乳びんを開発したのかな」というところまで思いを巡らせてくださるような。そういった商品を生み出す源泉になるのが社員、特に開発に携わる社員なのです。

――商品開発に携わっている社員は女性が多いのですか。

山下
会社全体の女性社員比率が約2割なのに対して、中央研究所の正社員約110名のうち約4割が女性です。さらに、研究所の管理職だけを見ても約3割を女性が占めています。育児を中心とした、女性の強みが活かされる研究分野ですし、会社として女性の活躍支援を進めた成果でもあると思います。

トップダウンが必要な時

山下
女性の活躍を応援する場合、女性のための制度を整えるだけでは不十分だと思うのです。上司や部下、男女の違いを問わず、職場全体の理解が必要です。そこで我々は、子どもを持つ男性社員を対象にした「ひと月いっしょ」という育児休暇制度を設けています。まる1カ月子育てをして、レポートを書いてもらいます。

――レポートにはどんなことを書くのですか。

山下
体裁は人それぞれですが、わたし自身の子育てレポートでは、毎日子どもの体重を記録しました。子どもを抱っこして測った時の体重から、自分だけの体重を差し引いての体重を算出するという方法で。それから、その日の出来事…今日はいっぱい食べたとか、うんちが出なかったとか、初めて寝返りができたといったことを、写真を交えてレポートにしました。5段階評価で「5」をもらって、すごく嬉しかったのを憶えています(笑)

画像: トップダウンが必要な時


この「ひと月いっしょ」制度ですが、実はわたしが社長に就任した当時ほとんどの社員が取得していませんでした。もったいないですよね。そこで、全体会議で取得を促しました。「どうしても取得が難しい社員がいる場合は、本人ではなく、その上役である部門長がわたしのところに相談に来てほしい」と。ところが半年経っても誰も相談に来ない。人事の執行役員に聞いたら「もう全員取っています」と。一気に取得率100%になったのです。

そのくらいトップダウンで進めないと、日本の会社はなかなか変わらないと思うのです。もちろん、育児休暇中は他の社員に負担がかかる部分はありますが、結果的に売上は下がっていません。ですから、やってやれないことはないのです。

経済的価値の算出方法を公開

――社会的価値を生み出す一方で、経済的価値についてはどのようにお考えですか。

山下
経済的価値を端的に言うと「株価」ということになりますが、どんなに業績が良くても、必ずしも株価は上がらないですよね。経済や為替、株式市場の状況など色々な要素によって上下動するものです。では、中長期的に見た時に、何が企業にとっての経済的価値の構成要素になるかというと、資本市場では「将来にわたるフリーキャッシュフローの現在価値の合計」となります。そしてそのフリーキャッシュフローは[NOPAT(税引き後営業利益)]+[減価償却費]-[投資]-[運転資本の増加額]という計算式で表されます。好きだろうと嫌いだろうと、経済ではこのルールを受け入れなくてはなりません。

単純に考えると、投資をしなければフリーキャッシュフローは増えますよね。ですが、中長期的に経済的価値を生み出すためには、例えば今年投資をしないと、来年、再来年にキャッシュを生み出せない。ですから、投資が必要なのです。

しかし、今は何でも投資すればよい時代ではなく、投資の効率が問われます。つまり、効率や資本生産性を考えて良い投資をし続けるということです。それによって社内外に対して良いストーリーが作れる。その結果、中長期のフリーキャッシュフローの現在価値をより高く生み出すことができます。こうした経済的価値の算出に至る計算のステップを、我々はすべて外部に公開しています。

――日本では少子化が進行して久しいですが、そうした状況でも育児用品で収益を出すことができているのはなぜですか。

山下
商品の幅を増やしていくことで、新たな売上の柱を作り、市場の縮小をカバーするという戦略をとっています。近年力を入れているのは、ベビーカーやカーシートといった、これまで我々が扱ってこなかったジャンルです。実際、ピジョンは育児用品メーカーの中でもアイテム数は一番多いと思いますし、海外市場に展開している商品よりも国内向けのほうがずっと種類が多いです。

生粋のCSV企業

――世の中でCSV経営が注目される以前から、御社では社会的価値と経済的価値の両方を生み出すということを、明確に意識されていたのですか。

山下
我々の仕事は、マズローの欲求5段階でいうところの一番根源的な部分、大げさに言うと人間が生きるか死ぬかに関わるものですから、それを継続しようとすると、自ずとCSV経営になっていたとも言えます。経済的価値を具体的に数値化して我々のミッションとひもづけたのは、わたしが社長になってからです。

そもそもわたしは、社会的価値と経済的価値はトレードオフの関係ではないと考えています。この2つは、両立できなければいけないものです。「社会のためになっている」と思って事業を行っても、それが世の中から評価されなければ、売上にも利益にもつながらないわけです。ただ、ここで大事になるのは、売上や利益を出すことを企業の目的にしないことです。

ピジョンの真の目的は、「愛」を商品やサービスの形で提供し、世界中の赤ちゃんとご家族に喜びや幸せ、感動をもたらすこと。そのために事業計画を立てて実行してうまくいけば、成果として売上や利益が上がるはずだと考えています。

国内トップブランドへの道筋

――1957年に創業した御社は、1968年に初めて哺乳器の国内シェアが8割に到達しました。それまでどのようにしてブランドを認知させていったのですか。

山下
病院・産院ルートを開拓し、消費者の皆さまを啓発するのが我々の成功モデルでした。1962年に東京の日赤中央産院と日赤本部病院に飲みやすさや安全性が認められ、正式採用されました。そこから「ピジョンの哺乳びんと乳首は病院で使われるグレードなんだ」と徐々に認知されるようになり、全国の薬局でも取り扱っていただけるようになりました。

1990年代にはヨーロッパの競合メーカーが国内市場に参入したために、我々のシェアが6~7割に減った時代もあったのですが、2010年に発売した哺乳器「母乳実感」がヒットし、現在再び国内シェア8割を占めています。この商品は、赤ちゃんの舌のうねらせる動きに合わせて乳首の形状を柔軟に変化させるので、お母さんのおっぱいから飲んでいる感覚に近く、ご好評いただいています。

画像: 現在のピジョンのフラッグシップ商品「母乳実感」。直接おっぱいを飲む時と同じ口の動きが再現できるよう設計されている。

現在のピジョンのフラッグシップ商品「母乳実感」。直接おっぱいを飲む時と同じ口の動きが再現できるよう設計されている。

ファミリーカンパニーからパブリックカンパニーへ

――御社はもともとファミリー企業として出発しましたが、3代目社長が就任された2000年に非同族経営に転換しました。何か理由があったのですか。

山下
2代目社長の仲田洋一の頃は借入金がまだ非常に多かったので、海外展開をするにしても、資金調達をどうするのかという問題がありました。また、ファミリーカンパニーからパブリックカンパニーになることで、将来に向けてもっと大きく成長するための土台づくりをしたいという思いがあったようです。

――その当時は、内部で反対は無かったのですか。

山下
初代社長の仲田祐一と2代目との間でかなり軋轢はあったと思いますが、2代目の仲田が店頭公開と上場をするということで押し切ったと聞いています。店頭登録が1988年、東証二部上場が1995年、一部上場が1997年でした。

――ピジョンがパブリックカンパニーへと変わっていった時期、山下さんは一社員としてどんなことを感じていましたか。

山下
まだ創業者ファミリーの取締役が残っていましたから、本当にパブリックカンパニーになるのか半信半疑でしたね。ただ、2代目の仲田が、残ったファミリーの方に徐々に引退してもらう形で、パブリックカンパニーとしての体制を徐々に作っていきました。

わたしが入社した1981年当時、取締役は全員ファミリーの方でしたから、自分がどんなに偉くなったとしても部長止まりでした。ですから、「将来、部長になれたらいいなあ」と思っていて、社長になるなんて想像もしませんでしたね。

画像: ファミリーカンパニーからパブリックカンパニーへ


――途中から非同族経営になっても、ピジョンが長年ぶれずにCSV経営を継続できている要因は何でしょう。

山下
一番の理由は、社員が仕事に喜びや誇りを感じてくれているからです。我々が提供する商品によってお母さん方が喜んでくださり、赤ちゃんの健康をサポートすることができ、その家族が幸せになる。それを見るのが嬉しい、という社員が多いですね。CSV経営をやりやすい業態であることは間違いないのですが、やはり社員一人ひとりが「愛」を持って仕事に取り組んでいる、ということだと思います。

画像: 山下茂(やましたしげる) 1958年、東京都生まれ。立教大学社会学部卒業。1981年、ピジョン株式会社に入社。1997年、タイの子会社PIGEON INDUSTRIES(THAILAND) CO.,LTD.代表取締役社長に就任し、現地工場の立ち上げに従事。2004年、アメリカの子会社LANSINOH LABORATORIES,INC.代表取締役社長に就任。その後、海外事業本部責任者として執行役員、取締役などを歴任し、2013年4月、ピジョンの5代目社長に就任。株式会社東京証券取引所より2015年度「企業価値向上表彰」大賞を、一橋大学より2016年度「ポーター賞」を受賞。

山下茂(やましたしげる)
1958年、東京都生まれ。立教大学社会学部卒業。1981年、ピジョン株式会社に入社。1997年、タイの子会社PIGEON INDUSTRIES(THAILAND) CO.,LTD.代表取締役社長に就任し、現地工場の立ち上げに従事。2004年、アメリカの子会社LANSINOH LABORATORIES,INC.代表取締役社長に就任。その後、海外事業本部責任者として執行役員、取締役などを歴任し、2013年4月、ピジョンの5代目社長に就任。株式会社東京証券取引所より2015年度「企業価値向上表彰」大賞を、一橋大学より2016年度「ポーター賞」を受賞。

「後編:顧客は、世界中の生後18カ月以内」に続く >

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