「第1回:なぜ今、CSVが注目されるのか?」
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贖罪し続ける企業から、社会へコミットする企業へ
――まずは、CSV(Creating Shared Value:共有価値の創造)という言葉の意味するところと、この概念が注目されるに至った背景について教えてください。
岡田
ご存知のようにCSVという概念は、ハーバード大学のマイケル・E・ポーター教授とマーク・R・クラマー氏が2011年に発表した論文「Creating Shared Value(邦題:共通価値の戦略)」で広く知られるようになりました(この論文の前身となる著作は後述)。この中でポーター教授らは、CSVを「社会のニーズや問題に取り組むことで社会的価値を創造し、同時に、経済的価値が創造されるというアプローチである」と定義しています。しかも、それはCSRでもなければ、フィランソロピー(社会貢献活動)でも持続可能性でもない、と言う。企業が経済的に成功するための新しい手法であり、資本主義と社会の関係の再構築を促す概念であると主張しました。
言い換えるなら、CSVとは営利企業がその本業を通じて社会的問題解決と経済的利益をともに追求し、かつ両者の間に相乗効果を生み出そうとする試みと言えます。従来、経済効果と社会的価値の創出との間にはトレード・オフ(二律背反)が存在すると考えられてきましたが、そうではなく、両者の両立、ひいてはお互いがお互いを高め合う状況を目指すのがCSVです。すでにゼネラル・エレクトリック(GE)やグーグル(Google)、IBM、ネスレ、フィリップス、ダノンなど一部のグローバル企業では、社会性と企業業績に正の相関があるとして、CSVへの取り組みを始めています。
――ポーター教授らがそうした考えを構築したのには、何かきっかけがあったのでしょうか?
岡田
ポーター教授らは、2011年より以前の2006年に、「Strategy and Society(邦題:競争優位のCSR戦略)」という論文を発表して、受動的CSR(Corporate Social Responsibility:企業の社会的責任)から戦略的CSRへの転換についてすでに言及しています。この論文でポーター教授らは、企業というのは単純に経済的価値の極大化のためだけに存在するのではなく、社会との結合を目指すべきである、と指摘しました。従来のように、企業が公害などのネガティブな(マイナスの)インパクトを与える存在であるがゆえに贖罪をしなければならないという「受動的CSR」の考えから脱却して、企業は社会と一体になって双方にとってプラスの価値をつくり出す存在になるべきだ、と主張したのです。
これらの主張の背景にあるのは、おそらくこれまで企業が公害や搾取の問題などを通じて社会から批判される立場であったことに対して、なんらかの解決を図りたいという思いがあったのだと思います。ポーター教授は、つねに企業が社会に対して贖罪をし続けなければならない状況から脱却して、社会に対してプラスの価値をもたらし得ると論証をすることで、長きにわたって続いてきた「社会」対「企業」という対立の構図に決着をつけようとしたわけです。
そもそも、企業の戦略理論は経済的世界の中で閉じる傾向が強く、その外に広がる社会に関してはほぼ沈黙してきた歴史があります。企業価値のゴールはあくまで株主資本価値の最大化とされます。企業価値とはすなわち、企業の交換価値であり、金銭的価値のこと。その金銭的価値をいかに持続的に増やしていくかに経営戦略の成否の基準をおいてきた。たとえ社会に迷惑をかけたとしても、その結果は補償や不買運動など経済的成果への負の効果として返ってくるため、企業活動の社会的影響はすべて自社の金銭的成果に反映されるかたちで考慮可能、として片付けてきました。その意味で、経済圏と社会圏は別物として想定されてきたわけです(社会圏での出来事はすべて経済圏での評価に換算可能ということ)。
また、経済と社会の潜在的対立を端的に表しているのが、米国の経済学者であるミルトン・フリードマンが1962年の著書および1970年に『ニューヨーク・タイムズ・マガジン』に発表した論文で展開した考えです。フリードマンはこれらの中で、「企業の社会的責任は、自社の利潤を増やすことにある」として、「もし経営者が社会的責任などといって寄付をしたり、ボランティア活動をすれば、それは株主に対する背任行為ですらある」と述べています。そして、社会や環境への還元(社会的価値の創出)は、あくまでも納税を通じて公的セクターなどの専門家に委ねられるべきだと主張したのです。以後、このフリードマンの主張が企業戦略のベースとなりました。
一方で、ポーター教授らは、CSVという考え方を通じて、経済効果と社会性との間にトレード・オフはない、両方を同時追求できると主張したわけですね。図1は、企業活動の社会性と経済性の両立を示したものですが、まさに、CSVは両者がトレード・オフでなく、相乗効果をもたらすものであるのか、我々経営学者にとっても、企業人にとっても、これから実証すべき重要な課題と言えます。
20世紀前半から指摘されていた経済と社会の分離
岡田
じつは歴史を振り返ってみると、CSVの萌芽ともいうべき考え方は、20世紀の前半からすでに存在しています。たとえば、ハンガリー系の経済学者カール・ポランニーは、1944年に次のように述べています(『The Great Transformation』〔邦訳:『大転換』〕)。
1850年代以前、「市場というものは、コミュニティの社会的関係の中に織り込まれた経済システムの中の、重要ではあるが小さな部分とみなされていた。消費者としての人間、という独自のカテゴリーは存在しなかった。」ところが、「1850年代以降になると『市場経済』という新しい概念が登場し、コミュニティで長年続いてきた人間関係を解消してしまう。すなわち消費者とそのニーズによって構成される、自己完結した『経済的生活』というものが社会から切り離されて認識されるようになる。」
それによって、情緒的な人間関係が取引関係に置き換えられ、両者がどんどん乖離し、結果として、重工業の発展とともに、市場経済が社会から「離床」(disembeddedness)した、すなわち分離してしまったとポランニーは指摘しました。
ポランニー以前、M.ウェーバーも『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(1905年)の中で、「そもそも資本主義の生成過程には、隣人愛の実践と利潤の追求という二つの中心的原則があった」にもかかわらず、「利潤追求が自己目的であるようなエートス(態度)を生じさせていった」と述べています。そして、「いまのまま、この鉄の檻(資本主義)がますます強化されながら進んでいくと」、結果としてそれを動かす人々は、「精神のない専門人、心情のない享楽人」になると予言しました。
つまり、ポランニーもウェーバーも、そもそも経済は社会の一部分であったのに、それがだんだん遊離して別々のものになってしまった、と言っているわけですね。そしてポーター教授らは、20世紀の資本主義がさまざまな課題をもたらしてきた結果から、やはり社会構造の中にこそ企業の経済活動があるべきだと考えたのだと思います。
しかしながら、CSVは金銭的価値の最大化を優先順位第一のゴールとしてきた従来の企業戦略のあり方を書き換えるものであり、価値観の大きな変換を迫るだけに抵抗も大きい。「社会性の追求では飯は食えない」という意識は根強くあります。しかし私自身もポーター教授らが主張するように、今一度、社会と企業は共存をしていかなければならないという思いを強く持っています。
地球の環境からの必要性と新規市場開拓への期待
――なぜ、21世紀の現在、社会と経済の共存が必要なのでしょうか。その具体的な理由を教えてください。
岡田
一つの理由としては、エコロジカル・フットプリントからの必要性です。エコロジカル・フットプリントとは、地球の環境容量を表す指標のこと。WWF(World Wildlife Fund)が2010年に発表した資料によれば、人間の経済活動で排出されるCO2の量は、すでに1970年の時点で、地球上のすべての森林によって吸収できる量(地球1個分の吸収容量)を、超えてしまっていると指摘しています。そして、このまま経済活動を続ければ、2030年には地球2個分、2050年ではほぼ3個分の容量が必要になると予測しています。実際に、CO2の増加が地球環境にどのような影響を及ぼすのかは議論が分かれていますが、すでに地球温暖化に伴う気候変動が指摘されているように、なんらかの歪みが生じてくると考えられます。
こうなるともはや、経済活動だけを切り離して考えることはできません。やはり今一度、社会や地球環境と経済活動の折り合いをつける必要がある。そのことがまさに、CSVが注目される理由(大きな時代背景)の一つだと思います。
もう一つの理由は、BOPビジネスに代表されるように、CSVを追求することで、これまで満たされていなかった社会ニーズを市場ニーズとして充足することにより、市場経済へ還元することができるのではないか、という大きな期待があります。つまり、従来、国際機関や政府、NGO、NPOに丸投げしていた社会ニーズに対して企業が率先して取り組むことで、新たな市場を開拓できるのではないか、と。現在、世界人口は70億強ですが、そのうち市場経済(貨幣経済)のみに依存して暮らしていける人々は、せいぜい30億人程度ですからね。残りの40億人はその外にあり、何らかの自給自足や施しに部分的にせよ依存しているわけです。しかし、その人々が暮らす社会にこそ無数のニーズが存在するし、ブルーオーシャン(競合相手のいない市場)も広がっている。この未開拓の領域をどうやって技術と人材で市場化していけるかが課題であり、CSVに注目が集まるもう一つの理由でしょう。
たとえば、GEの現在の戦略的意図の記述を見ると、「私たちは、世界が直面する最も困難な課題を解決するために働き、それが私たちの思考と行動を導いていく。地球、人類、そして世界経済に対する持続可能な解決策を見出すことに私たちは懸命に取り組む。」という文言ですが、その背後には、CSVの発想により地球全域で市場ニーズ化による課題解決(ニーズ充足)を拡大させたいという強い意図があるように思います。
CSVとCSR(企業の社会的責任)の違い
――CSVはCSR(企業の社会的責任)と混同されることがあります。両者とも「社会課題の解決」を目的としているように見えますが、どのような点が異なるのでしょうか?
岡田
まず、CSRについてですが、厳密に言うと、ヨーロッパの解釈と米国・日本系の解釈では違うんですね。ヨーロッパのCSRのほうが歴史が長く、本流と言えるのですが、それは「事業プロセスや製品サービスによって、社会や環境にマイナスの価値をもたらさないことが、企業の社会に対する責任である」という考え方です。産業廃棄物の排出は基準値以下を遵守するとか、児童労働の禁止といった、規制および規範を企業は守るべきだというのがヨーロッパ型のCSRというわけです。それはヨーロッパが、ISOなどの国際標準化活動やRoHS指令(特定有害物質使用制限指令)に率先して取り組んできたことにも現れています。
一方、米国や日本のCSRの文脈は多くの場合、チャリティやフィランソロピー(慈善活動)であり、ヨーロッパの考えとは違っています。ちなみに、私がCSRと言うときは、つねにヨーロッパ型のCSRの解釈を採用しています。その前提が食い違っていると、しばしば誤解が生じ、話が通じません。
そして、ヨーロッパ型CSRとCSVが大きく違うのは、前者は社会にマイナスの価値をもたらさないという考えであるのに対して、後者は社会と経済の両面においてプラスの価値を創出する、という点です。
じつは私は、日本企業のCSR担当者と話す機会が多いのですが、CSVが“Beyond CSR”という言い方をしていることもあって、一部のCSR部門の方たちからは批判も出ています。いまだに企業が規範や規制自体をきちんと守らない現状があるのに、CSRの役割は終えて次はCSVというのでは、あまりに楽観的すぎるというわけです。それはもっともな意見であり、ヨーロッパ型CSRは最低限として、すべての企業が取り組まなければならない重要な規範であることは間違いありません。
――CSVというのは、日本の「三方よし」に通じる概念にも思えるのですが、その点はいかがですか?
岡田
近江商人が大切にしていたとされる「三方よし」とは「売り手よし、買い手よし、世間よし」のことですが、その中の「世間よし」の意味するところは、悪評を出さない、世の中に受け入れてもらうように行動する、つまり、どちらかというと、社会にマイナスのことをしないというヨーロッパ型CSRに近い感覚なのだと思います。たとえば貧困からの脱却や待機児童問題の解消など、社会問題にまで踏み込んでプラスの価値を創造することまでは含んでいないようです。その意味では、CSVのほうがよりハードルは高い。CSVでは、社会課題を解決することが、株価を最大化させて、投資家たちを満足させることも強く望まれます。あくまでもCSVは経営戦略であり、非常に野心的な取り組みなんですね。(第2回へつづく)
(取材・文=田井中麻都佳/写真=© Aterui 2016)
岡田 正大(おかだ・まさひろ)
慶應義塾大学大学院経営管理研究科教授。本田技研工業を経て慶應ビジネススクールで経営学修士課程(MBA)を修了後、アーサー D.リトル(ジャパン)にて、IT業界での戦略コンサルテーションを経験。オハイオ州立大学にてPh.D(経営学)を取得(指導教授:ジェイ・バーニー)。専門は企業戦略論。現在、包括的(BOP)ビジネスの研究を通じて、企業戦略の社会性と経済性が両立する条件の探索、および企業活動の社会・経済的複合価値の測定方法について考察を行っている。この分野での論文に「CSVは企業の競争優位につながるか」(『DIAMOND ハーバード・ビジネス・レビュー』2015年1月号所収)などがある。訳書にジェイ・バーニー著『企業戦略論——競争優位の構築と持続(上・中・下)』(ダイヤモンド社)。
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