求められるのは「内向き安心社会」の打破
従来のワークスタイルを改革しなければならない最大の要因として、これからグローバル市場で勝ち抜くために競争力をいかに維持・強化するか、また新たなビジネス機会をいかに掴み、生かしていくかを日本企業に突きつけられています。
会社や職場だけでなく、メディアでしばしば話題になるように、今の日本は、「人間関係感知能力」のセンシビリティが異常に高い社会になっています。人からどう見られているかということに、敏感な若者が増えている。社会学者の山岸俊男氏が「内向きの安心社会」と指摘しているとおり、海外に行く若者も減少しています。
確かに戦後から今日まで日本は一貫して内向きで、終身雇用、年功序列の会社を中心として強固な安心社会を形成してきました。絶対的な安心感の中でやる気、モチベーションを高めて成果を出していくという比較的、単純なモデルの中で一定の成功を収めたわけです。その中で醸成されてきたのが、「人間関係感知能力」ということでしょう。ところがそれは今の世の中に必要とされるものとことごとく逆行しているのです。
逆に、グローバルな外向き社会では、「人間性感知能力」が求められるといいます。これは、相手が信頼できる人間かどうかを見極める能力です。リスクを賭けて外にある機会を取りに行く場合、初めて会った相手を信用できるかどうか、本性を見抜かなければなりません。社会心理学の実験などを通して日本人は人間性感知能力が低いというデータが出ているようです。
このことは、歴史的な経緯を考えると、よく理解できます。日本は江戸時代から農本主義による内向き社会を続けてきました。欧州も農本主義の歴史は長いですが、産業革命により生産性が急速に向上する中で、英国は当初からインドをはじめ植民地を市場として捉え、少数の人間を派遣し、効率的な間接統治を行った。そうした歴史の中で人間性感知能力を鍛えてきたのです。つまり社会の要請として、欧州は外の機会を獲得するために、外向き社会に自己変容せざるを得なかったということでしょう。
一方、日本では戦後、GHQ(連合国総司令部)が行った公職追放により、特に財閥や大資本をバックにした企業を中心に、資本家の経営トップが姿を消し、筆頭社員が社長になりました。会社は社員のものという内向きの共同体となって、社員は会社という共同体に忠誠を誓う。いわば民主的な内向き社会の基盤となり、それが輸出型製造業として絶大な力を発揮しました。
しかし、もはや製品を国内で製造して、海外で販売する、という輸出型ビジネスモデルは通用しません。日立が手がけている高速鉄道も車両だけではビジネスになりません。運行管理、保守・メンテナンスを含め、日本クオリティの総合的ソリューションが求められる。そして、世界各国の国情に応じてさまざまなリスクを取りながらビジネス機会を創出していく中に持続的成長の鍵があります。
山岸氏も指摘していますが、内向き社会では自己卑下的なメンタリティが強くなります。目立ちたくない、周りと合わせる、集団の人間関係で浮かないようにするのが、内向き社会の中で生きる術ですが、そこには常に追放される不安が付いて回ります。
一方、今の世界に目を向ければ、ビジネスの速度は早まるばかりで、かつ高い能力を求められるわけですから、自己卑下的なメンタリティではとてもやっていけません。世界中の多種多様な人や文化に興味を向け、リスクを負いながら、前向きに信頼関係を築いていくには外向き社会の自己肯定的なメンタリティが必要です。しかも、新しい挑戦と向かい合うことを心から楽しめるようでないとグローバルなビジネス機会の創出はとても無理なのです。
マクロな数値では今でも日本企業の長期雇用はそれなりに維持しているように見えますが、若者の意識は大きく変化しています。とかく今の若者は保守的になっていると言われますが、根本的に意味が違います。以前は大企業に入っていれば、一生安泰だという安心社会でした。しかし、今は大企業でもいつかは倒産するかもしれないという不安がある。中小企業よりも大企業のほうが相対的にはましだというだけの話です。そして外向きでリスクテイク型の人材は、最初から既成の企業に入らず、我が道を行くというケースが多くなっています。
人材育成という観点から今のワークスタイル改革を考え直すならば、これらの現状の課題を複眼的に見据えながら、会社の中に深く根付いた内向き安心社会のメンタリティを打破するとともに、若者でも新たなビジネス機会への挑戦を楽しめる職場づくりを通して、自己肯定的なメンタリティを醸成することが最も重要な鍵になると言えるでしょう。
戦略としての人材育成、戦略としてのワークスタイル改革
人材育成という観点からワークスタイル改革が急務だとわかりました。では具体的に経営者が本気でワークスタイル改革に取り組むためにはまず何が必要でしょうか。
現実問題として日本では、経営者自身がなぜワークスタイル改革が必要なのか、特に人材育成という面でそれによって何を獲得することができるのか、本当の意味で腹落ちしていない、ということがまだ多いのではないでしょうか。
先ほどからお話ししているとおり、ワークスタイル改革の本当の目的は人材育成を通してのビジネスモデルの変革であり、自社が将来にわたって強固な競争力を持って勝ち残っていくための基盤づくりです。しかしながら、現状は、グローバル市場で戦うためには外国人の社員が必要だ、人材確保のために女性やシニア社員も雇用しなければならない、ブラック企業と言われないように、などと個別的な課題に留まっています。つまり、CSR(Corporate Social Responsibility:企業の社会的責任)や差し迫った人材ニーズという枠の中での対応です。ワークスタイル改革が経営者にとって、企業経営を進めるにあたってのネックあるいはリスクのように誤って認識されている。いわば矮小化して捉えられているのが大きな課題だと思います。
また、ワークスタイル改革に関する議論は、生産人口の減少や若者意識の変化など、相変わらずマクロ的な視点からトップダウン的に行われることが多い。具体的な人材育成の実践として一人ひとりが腹落ちして取り組めるミクロ的リアリティがないのです。本来、テーマが大きいからこそ科学的根拠と、歴史的背景から正確に理解しなければ議論は前に進みません。しかし、人と組織に関わる人材育成の問題は、ともすれば、個別的な感情や精神論を優先して語られる傾向が強い。自分自身の個人的な人生経験を基に、断定的な議論をする人も多い。この辺りにワークスタイル改革が本来の目的から逸脱して徒労に終わる原因がありそうです。
「働きやすさ」とともに「働きがい」が大切
近年、人材育成に力を入れることで、高い業績を出している企業に注目が集まっています。こうした企業に学ぶところも多いと思います。
今、社会的ニーズとなっているのは職場の「働きやすさ」です。それは企業にある程度の余裕がなければ、実現することはできません。働きやすさは特に何らかの制約や課題を抱えた人にとって切実なものであって、有給休暇、介護休職、育児休職、在宅勤務などを、国内の大企業がリードして実現してきたのは間違いありません。そして、これからのワークスタイル改革でも大企業のそうした社会的使命は変わらないと思います。
一方、若手社員の人材育成という面では、「働きがい」が大切になります。長い人生全体を考えれば、若い時期は、自分の限界を知るところまで必死で働き、自分の特性や個性を知り、本当のスキルや能力を身につけることが成長の源泉になります。反対に若い時期に楽な仕事をしていると、いずれ仕事に逆襲されて、一生、生活のために嫌な仕事をしなければならなくなる。無我夢中で働いた経験を積んで、一つひとつステップが上がると、やりたかった仕事ができるようになるのです。そしてその後、結婚、子育て、介護など人生上のさまざまな問題が出てきたときに働きやすさが必要になります。
大企業には、働きやすさをめざしたワークスタイル改革とともに、20代の若手社員に働きがいを与えられているのかを改めて考え直してもらいたいものです。近年、大企業では、BPO(Business Process Outsourcing)やITツールの普及により、若手社員が実務経験を積むことなく、管理業務をこなしている場合が見受けられます。ここに、働きがいはあるのか。今こそ、従来の職場での人材育成に替わる新たな学びと成長の機会の創出が求められており、これらの課題解決に大企業がワークスタイル改革を通して率先して取り組んでいただきたいと思います。
ICTを活用し、ファシリテートする
これからの人材育成の要点として、「みんなで育てる」、「学び合う」という提言をされていますね。
大事なのは、人材育成を上司と部下という1対1だけの関係性に収斂させないということです。それからお互いに他人に対してもっと興味を持つこと。これに関しては、ICT活用が非常に有効だと考えています。
例えば、ある先進IT企業では、社内イントラで社員一人ひとりの経歴や趣味、個人的な活動などを紹介するコンテンツを共有しています。これは職能やスキルなどにとどまらず、各人の人間としての個性や魅力を可視化することで、そうした面への関心や興味を喚起し、社内で新たな協業や気づきの機会を創出しようという試みで、それを通じて人への興味が喚起され、人と人の関係性が強化されます。人材育成の風土の基本は、上司部下の関係に限らず、相互に人として興味を持つことにあります。
ノウハウの共有や人材育成という面でICTを活用することにより生産性が向上した事例もあります。ある通信工事会社は、携帯電話の基地局の建設を手がけていましたが、現地の土木工事はきわめて個別的な対応を求められる仕事です。作業内容をフローチャートに整理して、社内イントラで閲覧し合うシステムを立ち上げ、実地のノウハウや勘所などを作業者みずからが書き込み、一人ひとりの暗黙知を共有できるようにしました。すると、若い社員がさまざまな先輩の知恵を学び、従来よりも格段に早く独り立ちできるまでに成長したそうです。現場のモチベーションと成長の実感、そして生産性向上を合わせて実現したケースと言えるでしょう。
仕事の知恵の共有と、人間への興味の喚起という面で、ICTの貢献は非常に大きいのですが、ツールの導入だけでは成果は得られません。そこで問われるのはファシリテータの力量です。具体的事例を共有するだけでなく、普遍的・抽象的な命題との間でチャンクアップとチャンクダウンを繰り返して腹落ちさせることが重要です。これを実行するには一定の専門トレーニングを経たファシリテータが欠かせません。こうした役割が今後の管理職には求められるようになるでしょう。また、その機能に特化した管理職を社内に設ければ、新しいプロフェッショナルを輩出するポストになり、ラインマネージャーの負担軽減にもつながります。
人材育成企業への自己変容
そのような人材育成を軸にしたワークスタイル改革には、一人ひとりが明確なビジョンを共有することが重要ですね。
ワークスタイル改革は人材育成を通しての組織モデル、ビジネスモデルの変革だという認識が原点であり、それからぶれてはいけない。従業員満足度や女性管理職率はその結果得られるものと言ってもいい。その前提として大切なのが、経営者が発するビジョンへの理解と共感です。
長い歴史のある大企業のビジョンはどうしても普遍的で抽象度の高いメッセージにならざるをえないものですが、それを社員一人ひとりにいかに自分事として実感し、腹落ちできるか。社員の過半数が経営者のビジョンを理解・共有し、同じ方向を向けば、業績はおのずと上がるはずです。それが世界に通用する人材育成企業の姿であり、少なくとも経営陣は全員、管理職のほとんどがビジョンを共有し、語れるようでなければなりません。そのためにはやはり具体的事例を盛り込み、ビジョンとともに社内で共有することです。特に経営者自身が経験した事例を入れ、自分の言葉で繰り返し語りかけることが大切でしょう。
日本では「沈黙は金」という美学が今でも根強く、概して言葉を用いた自己主張が苦手ですが、具体的な事例を用いてビジョンを語り、自己主張していく。実はそんな経営者の熱い語りが社員一人ひとりに自己肯定的なメンタリティを植え付けるものなのです。ワークスタイル改革の本丸は、経営者から社員まで、そのような組織体質を含めた人材育成企業への自己変容にあると言って良いでしょう。
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