目的は生産性の向上とビジネス機会の創出
まず人材育成、人材開発という観点からワークスタイル改革が注目されている理由をお聞きます。
今、なぜワークスタイル改革が必要なのか。よく言われる人材確保という問題として論じる前に、これからの企業にとってもっと根本的なことを考えなければなりません。第一には、生産性の向上、第二にはグローバルな新しいビジネス機会の創出ということです。そのためのワークスタイル改革だということを、経営者、経営幹部は腹落ち感をしっかり持って取り組むことが前提となります。
1980年代、英国病という課題を抱えていたサッチャー政権下で、英国企業は他の欧州諸国と比べて生産性が低く、経済も低迷していました。こうした状況を打開するために、行政が主導した政策の一つがワークスタイル改革です。しばらくは試行錯誤が続きましたが、90年代半ばから一気に進みました。インターネットなどICT(Information and Communication Technology)の発達が大きなドライブとなり、ブリティッシュテレコムをはじめ多くの英国企業で生産性が格段に上がった。具体的には自宅勤務、テレワークが浸透した結果、通勤時間が節約でき、CO2の削減にもつながりました。その後、英国経済は順調な成長を遂げています。そこでの鍵は生産性の向上でした。
ひるがえって日本企業の現状を見ると、製造業の現場を除けば、先進国の中で依然として生産性が低い。日本企業がこれからグローバル市場で勝ち残っていくためには、まずこの生産性の向上への抜本的な取り組みが急務となっているわけです。
もう一つ、グローバルなビジネス機会の創出については昨今、日本人・外国人を問わずグローバル人材の獲得、取り込みが議論されていますが、国内の職場は大企業でも外国人の社員がきわめて少数ですから、まだ皮相的なレベルに留まっている。今の日本企業の職場がそうした人材を生かす力を備えていないので、たとえ優れた外国人の人材が入っても、すぐにやめてしまう。つまり、人材を獲得するだけでなく、継続的に成長させるプラットフォームを築けるかどうかが重要なのです。
日本企業が直面する働き方の限界
四半世紀近い経済低迷を経てなお、多くの日本企業が、そうしたビジネス環境の急激な変化に対応できず苦慮しています。
この二つの大きな課題に取り組むには、もう少し掘り下げて、働き方の本質的なところから原因を見つめる必要があるでしょう。かつて戦後の高度経済成長において、製造現場などの例外を除けば、日本では、高度な専門性や知見を必要とせず、若い人たちのやる気やモチベーションを引き出すことで非常に巧みに成果を上げ、全体としての成長を遂げてきました。
例えば、医薬品の営業マンであれば、たった一瞬、医師に挨拶するためだけに長時間、ずっと病院の外で立って待機する。その結果、うまく相手の歓心を得れば、接待して個人的に強い関係を築いて、最後に商談を成立させる。できる営業マンの強みは、そんなウェットな人間関係にあるとずっと考えられてきました。あるいは、新聞やテレビのようなメディア業界も基本的な構造は同じです。日本では、記者会見のような公式の場で鋭い質問をするのではなく、それ以外で個別に親密な人間関係をつくりながら、リーク情報を得て特ダネにする。膨大な時間と体力を費やすやり方は日本特有です。
ところがこの20年あまりの間にビジネス環境が大きく変化して、そのようなやり方が通用しなくなった。思えば、かつての仕事は高い専門性やきめ細かい個別性を考慮せずとも、大量生産された商品を、ニーズが明確な市場に向けて広く売りさばくというビジネスモデルから成り立っていました。それを支える労働力として、地方から大学に入るために上京してきた若い人がたくさんいて、上司・先輩、自分、部下・後輩という会社の縦関係を通じたOJT(On-the-Job Training)を中心とした人材育成と、上昇志向に満ちた一人ひとりのモチベーションとやる気で難局を突破し、多くの成果を出すことができたのです。
こうした組織構造の中、従業員を仕事に駆り立てる最大のモチベーションは、早く命令される方から、命令する方になりたいという、つまり会社の中での出世でした。右肩上がりで成長していた時代はそれだけ管理職も増えましたから、それで良かったわけです。
ところが今は、大学卒でも半分は管理職になれない。今後は、年齢に関係なく第一線でプロフェッショナルとしてバリューを提供し続けられるという働き方にシフトしなければ、もはや現在の人口構成に合わないでしょう。そして、何より今は仕事が複雑になり、商材はモノではなくソリューションであり、専門的な知識が必要になります。技術的にも自動車であれば、内燃機関からEV(Electric Vehicle)へ、鉄道であれば、直流モーターから交流インバーターへと、ソフトウェア上の問題に変化しています。もはや縦型OJTは通用しないし、人間関係と勢いだけでは、とても顧客ニーズに対応できないのが実情です。
しかし現場では万事、業績の低迷をモチベーションの問題に単純化して捉えようとする傾向がいまだに強いようです。本当の問題は知識とスキルが不足しているということであり、やる気とモチベーションで乗り切れる状況ではないのです。このことを明確にしない限り、昨今、社会問題となっている若手社員の高い離職率や過労によるうつ病などメンタルの問題を解消することはできないでしょう。
長時間労働で問題となる「ワーカホリック型」
一方、日本では一部の企業で依然として長時間労働が問題になっています。
働き方について世界各国と比べて日本だけが突出している項目は多くあります。例えば、女性の管理職比率の低さなどは日本が群を抜いており、その特殊性を表しています。それに比べると労働時間は必ずしも日本だけが特別長いというわけではありません。問題なのはその質です。
社会心理学的に見ると、長時間労働には二つのタイプがあります。
一つは「エンゲージメント型」で、仕事が面白くてのめり込んで、気が付いたら長時間労働になってしまうというケースです。かつての日本企業ではそういう仕事がたくさんあって、長時間労働が当たり前でしたが、深刻な社会問題になることはありませんでした。「自分たちは仕事が好きでやっているだけだ、どうして長時間労働が悪いのか」とワークスタイル改革に反対する人たちもいます。自分もマッキンゼー時代には一月500時間も働いたこともあるのでよくわかります。
問題となるのはもう一つの、「ワーカホリック型」です。思わずのめりこんで仕事を続けてしまうエンゲージメント型とは反対で常に不安で、その不安を消すために仕事を続けてしまう。仕事から離れられないという一種の依存症です。
日本人は総じてこのワーカホリック型になる傾向が強い。特に仕事が複雑化・高度化し、専門性と個別性を要求されるようになるのにつれて、自己効力感、すなわち、外部からの要請に対して自分が主体的に対応できているという確信を見いだせなくなってきています。目の前の仕事が自分の能力より少し上の課題で努力すれば解決できると思えば、人は必死で頑張って達成感を感じられる。成長も実感できる。それに対して、自分の能力ではとても届かない、どんなに努力してもとても解決できない、と感じれば、そこで頑張るのは難しいでしょう。
しかしながら、ワーカホリック型の人は、常に不安に駆られながらも、今の会社を辞めたら生活が成り立たない、生きていけないと思い込んでいるのです。ブラック企業で長時間労働をしていた従業員にインタビューすると、多くの人がそんな不安をかき消すためにワーカホリック型に陥っている実態がよくわかるといいます。
同じ長時間労働という問題にしても、エンゲージメント型に比べて、ワーカホリック型は時間あたりの生産性が低く、うつ病などのメンタルも多い。今、急激な環境変化に対応できず、若者世代を中心にワーカホリック型の長時間労働が一気に増えている。これがワークスタイル改革を本気にやらなければならない最大の理由です。
ワークスタイル改革は同時にビジネスモデル改革でもあるのです。いかに生産性を上げるかという手段の議論だけではなくて、企業の勝ちパターンそのものを変える。つまり、グローバルに勝つためのバリュー創出の形そのものを変えるということです。ワークスタイル改革の背景としてこれらの現実を直視しなければなりません。
Next:【後編】「働きがい」で人材を育てるワークスタイル改革 >
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