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「第5回:民主主義も資本主義も一様ではない」
「個」に対する認識の違いと民主主義
山口
先生は「家族によって思考の枠組みがつくられる」とおっしゃっていましたが、日本やドイツのような直系家族、縦のつながりが強い家族を基本とする社会と、アメリカやフランスのような核家族を基本とする社会では、当然、考え方などに違いが生じるわけですね。その異なる考え方の調停に、日本人は文明開化以来、悩んできました。
日本とフランスの社会の違いを象徴しているのが、19世紀末から20世紀初頭にかけてフランスで起きたドレフュス事件だと私は思います。ユダヤ系の軍人、ドレフュスがスパイ容疑の冤罪で終身刑を言い渡された。それに対して作家のエミール・ゾラをはじめとする知識人が不当性を社会に訴えて、再審無罪になった事件です。
一方、日本では1911年の大逆事件で、幸徳秋水ら社会主義者が明治天皇の暗殺を計画したと濡れ衣を着せられ、12名が死刑に処せられました。そのときに永井荷風は同じ文学者としてドレフュスのように声を上げなかったことを恥じ、それ以降、娯楽を提供するだけの通俗小説家になるという戯作者宣言をしました。この二つの事件を比較して、社会学者の菊谷和宏氏は、日本には「国家」はあっても「社会」というものがない、と分析しています。
「社会」という言葉はもともと日本語にはなく、明治時代に「society」の翻訳語として翻訳者の西周(にしあまね)などが使い始めたと言われています。日本語では「世間」や「講」が近いけれど、それらとは異なる概念だったためです。英語の「society」は「collective of individuals = 個人の集まり」を意味しています。それに対して日本語の「世間」は、自分たちの血縁・近親集団の外側で「人々が集まっている場」という意味を持つ言葉で、個人というものはその中に溶けてしまっているのですね。そして「社会」という語をつくっても結局、「世間」と同じような意味で用いられていて、いまだにその本質をつかみそこねているように感じます。
鹿島
うん、そうですね。世界的に見れば、今日では、国でもなく家でもなく個人が最も大切であるという価値観が一般的になりつつあります。そのような価値観や、個の集まりとして成り立っている社会に源を発する民主主義という原理を、日本のように個というものが表に出てこない社会にどうやって根付かせていくかということが、われわれの直面している最大の課題だと思います。
民主主義と言ってもその制度はさまざまですが、フランスの政治思想家、アレクシ・ド・トクヴィルは、視察のために1831年からアメリカに9か月間滞在して、その民主主義のあり方に驚いたといいます。アメリカ社会の基礎を築いたイギリスからの移民は、タウンと呼ばれる最小単位の自治体を基本とする直接民主制度を自治の仕組みとして定めていました。タウンでは住民の誰もが参加できるタウンミーティングが行われ、地域の施策などについて議論し、決定していました。
そのような「境遇の平等」はフランスにはなかったので、トクヴィルは感心したのです。そして、タウンから郡、州、連邦政府へと積み上げていく自治のあり方や本質を『アメリカのデモクラシー』という本にまとめました。
アメリカの連邦主義は、各州の地方政府に一定の自治権を認めつつ、連邦政府も中央政府としての強い権限を持つというものです。これは、民主主義に内在するリスク、例えば中央政府が誤った判断を下すことなどの影響を最小限にとどめるため、三権分立について徹底的に考えてつくった制度で、その意味ではアメリカの民主主義はなかなかうまくできていると思います。

英米仏における資本主義の違い
山口
政治哲学者のハンナ・アーレントは『革命について』の中でフランス革命とアメリカ革命を比較し、前者は失敗し後者だけが成功したと書いていますね。フランスとアメリカというのは、私からするとかなり毛色の違う国に見えますし、フランス人であるトクヴィルが、アメリカのデモクラシーのあり方に一定の憧れを持ったというのも、意外な感じがしますけれど。
鹿島
そうですね。フランスはかなり早い段階から「イギリスと自分たちは違う」という認識は持っていたようです。例えばフランスの哲学者、ヴォルテールは、イギリスの議会主義を盛んにフランスへ紹介していたけれど、決定的な部分の考え方は違うと感じていたようです。そのイギリスからの移民がつくったアメリカという国も、フランス人から見れば自分たちとは異なるし、イギリスとも異なる部分があったようです。
サン・シモン主義者だった経済学者のミシェル・シュヴァリエも、トクヴィルと同時期にアメリカへ渡り、資本主義に関する視察を行っています。シュヴァリエはアメリカの資本主義について、イギリス型の、アダム・スミスの提唱した資本主義とは違うものであると感じたようです。どこが違うのか、はっきりと述べてはいませんけれど。
アメリカで重視されていたのは資本主義を規制することではなく、資本主義を大きく育てること、物質的幸福の追求を全面的に肯定するということでした。そうしない限りグロス(総計)の拡大は期待できないわけですから。一方で、サン・シモン主義の理想は、グロスを大きくすることと、その恩恵をできる限り公平に、平等ではなく公平に分割することの両立でした。ですから彼らはフランスにそれまで欠けていたのはグロスを拡大することで、それに取り組まなければいけないと指摘したのです。これは現在でも言えることで、フランスの資本主義は常にグロスの拡大と公平さのあいだで揺れ動いてきました。
ただアメリカも、物質的幸福の追求に対し制約を加えるのはよろしくないという姿勢でこれまでうまくやってきたけれど、貧富の差が拡大しすぎて、許容限度ギリギリのところまできているように感じます。
山口
そのようですね。州によってはかなりひどいところもあると。
鹿島
このように、西洋的な考え方というのも一様ではなく、揺らいだり変遷したりしているものです。したがって、おっしゃるような日本と西洋との調停を考えるうえでも、先人の思想や議論について知っておくことは意味があることだと思います。
第6回は、5月27日公開予定です。

鹿島 茂
1949年神奈川県横浜市生まれ。1973年東京大学仏文科卒業。1978年同大学大学院人文科学研究科博士課程単位習得満期退学。元明治大学国際日本学部教授。明治大学名誉教授。専門は19世紀フランス文学。
『馬車が買いたい!』(白水社)でサントリー学芸賞、『子供より古書が大事と思いたい』(青土社)で講談社エッセイ賞、『職業別パリ風俗』(白水社)で読売文学賞評論・伝記賞を受賞するなど数多くの受賞歴がある。膨大な古書コレクションを有し、東京都港区に書斎スタジオ「NOEMA images STUDIO」を開設。2017年、書評アーカイブサイトALL REVIEWSを開始。2022年には神田神保町に共同書店PASSAGEを開店。
『小林一三 - 日本が生んだ偉大なる経営イノベーター』(中央公論新社)、『フランス史』(講談社選書メチエ)、『渋沢栄一 上下』(文春文庫)、『思考の技術論』(平凡社)など著書多数。

山口 周
1970年東京都生まれ。電通、ボストンコンサルティンググループなどで戦略策定、文化政策立案、組織開発等に従事した後、独立。
著書に『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』(光文社)、『武器になる哲学』(KADOKAWA)、『ニュータイプの時代』(ダイヤモンド社)、『ビジネスの未来』(プレジデント社)、『クリティカル・ビジネス・パラダイム』(プレジデント社)他多数。最新著は『人生の経営戦略 自分の人生を自分で考えて生きるための戦略コンセプト20』(ダイヤモンド社)。慶應義塾大学文学部哲学科、同大学院美学美術史学専攻修了。
シリーズ紹介
楠木建の「EFOビジネスレビュー」
一橋ビジネススクール一橋ビジネススクールPDS寄付講座特任教授の楠木建氏の思考の一端を、切れ味鋭い論理を、毎週月曜日に配信。
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山口周氏をナビゲーターに迎え、経営者・リーダーが、自身の価値基準を持つための「リベラルアーツ」について考える。
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全生庵七世 平井正修住職に、こころを調え、自己と向き合う『禅のこころ』について話を聞く。
寄稿
八尋俊英の「創造者たち」~次世代ビジネスへの視点~
新世代のイノベーターをゲストに社会課題の解決策や新たな社会価値のつくり方を探る。