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「第2回:「総合性」を持つ人間は、あとから強くなる」
教養が軽んじられるようになった日本
山口
鹿島先生はご自身が学生として、そのあとは大学の教師として学生の変遷をご覧になってきて、やはり大きな転換点になったのは1980年頃ということでしょうか。
鹿島
僕が國學院大學の非常勤講師になったのが1978年のことで、1980年頃に授業を終えてから坂を下りて渋谷駅に向かって行ったら「えっ、日本ってこんなに変わったの?」と驚いた記憶があります。
山口
フランス留学から戻られたあとですか。
鹿島
留学ではなく、1979年にフランスに半年ほど滞在して、帰国したあとです。1980年代はセゾングループが渋谷で西武百貨店やパルコを展開して「消費文化」を広げていった時代ですね。60年安保闘争のあとは男性主導の享楽的文化が盛んになり、70年安保闘争のあとは、セゾン文化と結びついた女性主導の享楽的文化にシフトしていく。かつてのマルクス、レーニン、フーコー、デリダ、ドゥルーズみたいなものが、ファッション化して身も蓋もないレベルで物質的な欲求と結びついていったのが、その頃でした
山口
田中康夫が『なんとなくクリスタル』を書いたのが1980年でしたね。あれはまさに女子大生が流行を追いかける享楽的な生活を描いたものでした。
鹿島
ファッション、ブランド、音楽…、いろいろなものが記号化して、その記号の具体的な固有名詞を知っていないと話にならないという世界になった。文学や哲学も同様に記号化して、自分の教養度を示すアイテムというだけのものになっていったわけです。
山口
そうした意味で言うと、エリートならば人文科学的な教養をある程度は身につけているべきだという社会的な規範があったのは1960年代頃までで、その後どんどん教養というものが軽んじられるようになってきたのが、ここ50年の変化ですね。そのことが、人間が生きていくうえで必要な、あるいは価値を生み出すために必要な、基礎的な力の衰えにつながったように感じます。日本経済が「失われた30年」とも言われる迷走状態に入ったことも、そのことと無縁ではないようにも思われますが、先生はどのようにお考えでしょうか。
例えばフランスでは、バカロレア(大学入学資格試験)の第1科目は伝統的に哲学と決まっていて、どんな問題が出題されたかは毎年、社会的な関心事にもなっています。またイギリスのオックスフォード大学の看板学部はPPE(Philosophy, Politics and Economics)で、政治と経済の原点に哲学が位置づけられています。一定の知識層、エリートと呼ばれる人たちにとって哲学は必須の教養であるという前提が今でも続いていますよね。

リベラルアーツは役に立たない?
鹿島
そうですね…。バカロレアの哲学試験では、ディセルタシオンという思考の形式に沿った論文で回答することが求められます。ディセルタシオンというのは自動車のF1レースのようなもので、きっちり定められたルールの下で、どれだけパフォーマンスを発揮できるかが問われるものです。求められているのは問題に対する執筆者の見解ではなく、例えばルソーいわく、ヴォルテールいわく、ヒュームいわく、と過去の哲学者・思想家たちの主張を引用しながら、それぞれを「正」と「反」の意見として対立させ、さらにそれらを合わせて検討して「合」という結論を引き出す手法です。先人の主張、あるいは事例を適切に使って論理を展開するという手続きが問われているのです。
だからコンクールで評価されたディセルタシオンを読んでも、あまりおもしろくはありません。ただ、思考の中身ではなく思考の型がチェックされるというのは、ある意味ではとても公平なことだと思います。
なぜそういうことが求められるのかというと、何かをみんなで議論して決めるために必要な共通ルール、共通認識の枠をつくるためです。その枠に入ることでフランス市民と認められ議論に加わることができる。教育とはもともとそのようなものでした。
山口
現在の日本の教育の多くは、正解を出せるかどうかが問われるものですね。一方でディセルタシオンは、結論に至るプロセスを見るもので、答えを出すことが難しいような抽象度の高い課題でも、答えを出せる方法があるということが学べる。これはなかなか大きな違いを生んでしまうという気がします。
鹿島
大きな違いを生みますね。ディセルタシオンできっちり論理展開するためには、先人たちの主張や議論について、ほぼ完璧に暗記しておかなければならないので、特にトップクラスのグランド・ゼコールへ進むには、ものすごい量の暗記が必要です。
でも、その勉強が正解に結びつくかというと、そうではない。つまり、直接的に役立つというものではないことが重要なんです。
山口
自分の主張を展開するための材料をなるべく多く引き出しに入れておかないと、論理を組み立てられなくなるということですね。
そうすると結局、リベラルアーツというのは役に立たない…。
鹿島
最初のうちは役に立たないように思える。例えば会社なら入社したばかりの頃など、スタート時点での競争は狭い範囲で行われるので、何らかの専門性に秀でた人間のほうが強いでしょう。ただ年月が経つにつれて、モラルや人間性も含めた「総合性」を持つ人間のほうが強くなっていく。リベラルアーツというものが真価を発揮するのは、そこからです。
第3回は、5月7日公開予定です。

鹿島 茂
1949年神奈川県横浜市生まれ。1973年東京大学仏文科卒業。1978年同大学大学院人文科学研究科博士課程単位習得満期退学。元明治大学国際日本学部教授。明治大学名誉教授。専門は19世紀フランス文学。
『馬車が買いたい!』(白水社)でサントリー学芸賞、『子供より古書が大事と思いたい』(青土社)で講談社エッセイ賞、『職業別パリ風俗』(白水社)で読売文学賞評論・伝記賞を受賞するなど数多くの受賞歴がある。膨大な古書コレクションを有し、東京都港区に書斎スタジオ「NOEMA images STUDIO」を開設。2017年、書評アーカイブサイトALL REVIEWSを開始。2022年には神田神保町に共同書店PASSAGEを開店。
『小林一三 - 日本が生んだ偉大なる経営イノベーター』(中央公論新社)、『フランス史』(講談社選書メチエ)、『渋沢栄一 上下』(文春文庫)、『思考の技術論』(平凡社)など著書多数。

山口 周
1970年東京都生まれ。電通、ボストンコンサルティンググループなどで戦略策定、文化政策立案、組織開発等に従事した後、独立。
著書に『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』(光文社)、『武器になる哲学』(KADOKAWA)、『ニュータイプの時代』(ダイヤモンド社)、『ビジネスの未来』(プレジデント社)、『クリティカル・ビジネス・パラダイム』(プレジデント社)他多数。最新著は『人生の経営戦略 自分の人生を自分で考えて生きるための戦略コンセプト20』(ダイヤモンド社)。慶應義塾大学文学部哲学科、同大学院美学美術史学専攻修了。
シリーズ紹介
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一橋ビジネススクール一橋ビジネススクールPDS寄付講座特任教授の楠木建氏の思考の一端を、切れ味鋭い論理を、毎週月曜日に配信。
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寄稿
八尋俊英の「創造者たち」~次世代ビジネスへの視点~
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